The Outcasts(読切り短編)21~30

第21話~第30話まで

The Outcasts 外伝・Nobody but she told me.・4

翌日、僕が学校に行き、サークルの溜まり場に顔を出すと
友人の一人がニヤニヤしながら僕に呼びかけてきた。

「ようヘンタイ、合宿の日程聞いたか?」

「は?ヘンタイって何だよ」

「とぼけちゃってwww居酒屋の女子トイレ覗いたんだろ?」

「誤解だって。覗いてねぇよ。あれはB子に頼まれて・・」

「またまたwwB子はそんなこと言ってなかったぜ。
お前が女子トイレ覗いてA子見つけたって」

僕の脳裏にB子の調子の良い話し方が蘇った。
その場を盛り上げようと、B子はあることないこと織り交ぜて話したのだろう。
適当に事実を並び替えたり、適当に脚色、あるいは端折ったり。

(何だよ、B子のやつペラペラいい加減なこと喋りやがって
黙ってるって言ったじゃねえかよ)

僕は一瞬むきになって反論しかけたが
すぐに馬鹿馬鹿しくなって思いとどまった。
反論すればするだけ面白おかしく囃されるし、
言いたい奴には言わせておけばいいのだ。

僕は連絡ノートに書かれた合宿の日程だけチェックすると
すぐにその場を離れた。
僕をからかってきた友人が何かを言いたそうにしていたけれど
そっぽを向いて通り過ぎた。

幸いこれから長い夏休みだ。
夏休みの後半にある合宿の頃には
ほとんどの人間はそんな事件など忘れているだろう。

(店ではホモ、学校ではヘンタイか・・)

そう考えると急にやるせなくなった僕は
ふと、サトコのことを思い出した。
サトコはなんて言うだろう。

僕は財布の奥からサトコのくれた名刺を引っ張り出して
深夜にサトコの店へ行った。
店に入るとすぐにサトコと目が合った。

「あら、どうしたの。珍しいこともあるもんねえ」

そう言いながらサトコが席へと導く。
10人も入ればいっぱいになってしまうくらいの小さな店には
サトコの他に、女の子(と言えばいいのだろうか)が3人ほどいた。

「何呑む?ビール?」

曖昧に頷く僕に、サトコが尋ねてくる。

「それで?今日はどうしたの?
もしかして目覚めちゃった?」

苦笑いしながらそれを否定して、
僕は自分の身に起こった悲劇についてサトコに話した。
サトコはそれに頷きながら聞いていたけれど
僕の話が終わると、小さなため息をついて言った。

「あらまぁ、それは災難だったわね。
でもね、男にもいろんな男がいるし、女にもいろんな女がいるでしょ。
オカマだって同じなの。基本的にはおとなしいんだけど
中にはそうやって襲っちゃうのもいるわけ」

グラスの水滴を拭き、氷を足してウィスキーを注ぎながらサトコは続けた。

「アンタは優しいのよね。だからそうやって傷つくこともあんのよ。
それはすごくいいこと。でもアンタがあの世界で生きていくなら
アンタはもうちょっと強くならないとね」

そしてサトコは横にいる女の子にこう言った。

「でも、そういう男に女は弱いのよねえ・・
ってやだ、アタシ女じゃなかったわwww
アンタもそこはすぐ突っ込まないとダメじゃない」

場に笑いが巻き起こり、空気が変わった。
僕はその日、サトコや店の女の子と馬鹿話をして朝まで笑い転げた。
息が苦しくなって、涙が出てくるくらい笑ったと思う。

店を出る頃には、僕はすっかり元気になって、
すでに明るくなっていた通りで、
タクシーを拾おうとしているサトコにこう言った。

「ありがとうございました。すごく楽になった」

サトコは笑って手を振りながら

「アンタが早くタクシー乗ってくれないと
アタシこの化粧のはげた酷い顔でずっと外にいなくちゃいけないんだけど」

と答えた。

それからというもの、僕は時々サトコの店に行くようになった。
ディーラーから黒服になって、黒服からさらに上のポジションに上がっても
サトコはいつも学生相手のような金額しか僕から取らなかった。

「アンタがもっと偉くなって、強くてかっこいい男になったらいっぱいもらうわよ」

人情の機微に通じ、ユーモアのセンスに溢れた彼女たちの会話から
僕は実にいろいろなことを学んだと思う。

誰かがボケればすかさず突っ込み、時には突っ込みやすくボケる。
時に自分をネタにしても、場の空気を盛り上げる。
真似ができないなと思わされることも何度もあった。

「役回りってあんのよ、誰にだって。
アタシたちはここで馬鹿やるのが役回りなの。
ずっと通ってくる客もいれば、通り過ぎていっちゃう客もいて。
水商売ってのはそれを見続けるのが役目みたいなもんなの。
アンタだってアンタの役回りがいろいろあんでしょ?
何もかもぜーんぶほっぽり出すか、その役回りをこなすしかないのよ」

店が終わった後、一緒に麻雀をしながら
(オカマ3人に囲まれたセット、というのはなかなか貴重な体験だった)
たまに僕が愚痴のようなことを言うと
サトコはそう言って、次には必ず

「ここはアンタが振り込む役回りなんだから!早くフんなさいよ!」

などと言って笑いを取った。

それは本当に楽しい時間だったのだけれど
それが楽しいものであればあるほど、
店を出た後に、僕は決まって切なくなった。

あるいはそれは、一過性の場であることが
誰にとっても分かっていたからだろうか。

面白うて、やがて悲しき・・・

そんな形容がぴったりの場だった。

実は、サトコは、もういない。
体を壊して入院したという話を聞いた数ヶ月後には
この世の人ではなくなっていた。ガンだったという。

告別式の会場だという落合の斎場へ僕が行くと
店の女の子と数人の客しかいない寂しい葬儀が行われていた。
サトコの身内は葬儀に出席することを拒んだという。

僕が喪主を務めていたチーママに挨拶をすると
彼女は

「サトコさん、アンタのことホント可愛がってたのよ。
アングラの世界であんな子めったにいないって。
奥さんと子供大事にね。頑張るのよ」

と僕に言った。

途端に、涙が溢れてきて止まらなくなった。
僕は斎場の白黒のテントの脇で、しばらく嗚咽した。

「後になっちゃえばね、だいたいみんな笑い話よ」

サトコはよくそう言っていた。
嫌なこと、悪いことがあった時ほど。

サトコさん、僕は偉くも強くもなれなかったけれど、
その言葉だけは、身についたような気はするよ。

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The Outcasts(読切り短編)21~30 | | コメント (11)

The Outcasts 外伝・Nobody but she told me.・3

(あれ、車代でもくれるのかな)

僕は心の中で少し期待して、母親の戻ってくるのを待った。
母親はすぐに戻ってきた。
毛布と、なにやら紙のようなものを持って。

母親はA子に毛布を掛けると、僕の方を向いて言った。

「あなたお名前は?学校はどちら?」

少し詰問口調なのが気になったけれど
もちろん僕は正直に答えた。

「W大学法学部3年のOです」

母親はそれを紙に書き留めると、
今度ははっきり詰問口調で言葉を続ける。

「何でこんなになるまで飲ませたんですか?」

「は?」

「年頃の娘にこんなに飲ませて何かあったらどうするんですか」

「いや、僕が飲ませたわけじゃ・・」

「A子は普段お酒なんて飲まないんです。
誰かが無理に勧めなければ飲むはずないじゃないですか」

「・・・」

叫び出したかった。
いっそ大声で怒鳴り散らして
啖呵の一つも切れたらどんなにすっきりしただろう。

(ふざけんな、お前の娘が勝手に飲んで勝手に潰れたんだろ!
パンツ丸出しで便器抱えて潰れてるの背負って
俺はわざわざここまで連れてきてやったんだぞ!)

けれど、そうするにはあまりに僕は疲弊していて
(そもそも疲弊していなくても、僕は女性にあまり怒鳴れない)
その後15分くらい、僕はA子の母親に小言を言われ続けた。
タクシー代なんてもちろん寄越さなかった。

狛江の駅までとぼとぼと歩き、上りの列車を待つ。
辛うじて、最終の上り列車のある時刻だった。

新宿駅に着き、僕は再び歌舞伎町へと向かった。
もしかしたら、まだギリギリ部屋に帰れる時間だったのかもしれなかったが
汗と酒と他人の胃液の入り混じった臭いが着いた服を、
僕はこれ以上着ていたくなかった。

目に付いたサウナに飛び込む。
体を綺麗に洗い流してさっぱりしたかったし
サウナであれば、Tシャツなどの物販もある。

朝まで寝てから帰ろう、そう思っていた。

一風呂浴びて、ようやくさっぱりした気分になる。
深夜のサウナは結構混雑しているが
横になれるスペースを見つけて横になる。

(今日は散々だったな・・)

そんなことを思い返しているうちに
いつの間にか僕は眠ってしまっていた。

(・・・ん?)

何時だっただろうか、何かの気配を感じて
僕はふと目を開けた。

すると誰か僕の顔を見下ろしているではないか。

(・・え!何?誰?知り合いかな・・?)

眠気の取れない頭で思考する間もなく、
そこにいた誰かは、僕が目を開けたことに気づくや
さっとその場を離れていってしまった。

(あれ・・気のせいだったかな・・
まあいいや・・眠いよ・・)

僕は再び眠りの底へと沈んでいった。

(・・・?)

しばらくして、今度は下腹部で誰かの手が動くのに気づいた。
手が当たらないように寝返りを打とうとした瞬間、
その手はさっと引っ込んでいった。

(寝相の悪い人がいるんだな・・)

などと思って、僕は暢気にうとうとと浅い眠りを続けていたのだけれど
しばらくすると、手の主はまた僕の下腹部へと手を伸ばしてきて
僕の股間をまさぐってくるではないか。

どう考えても、それは偶然当たったような動きではなく
ある意思を持って動いていた。

そこに至って僕はようやく深刻な事態に気がついた。

(これはわざとだ!こいつはゲイなんだ!)

眠気はいっぺんに吹き飛んだ。
僕は飛び起きて急いで服を着替えてサウナの外に飛び出した。
蒸し暑い夜だったけれど、衝撃で体が震えていた。

それまで同性愛者に嫌悪感は無かったはずなのに
(というか、そもそも好悪を判断するような接点が無かった)
無理やり痴漢のようなことをされたショックは大きかった。

僕はコマ劇場の前に腰掛けて、そのまま始発を待った。
漫画喫茶のようなものは当時は無かったし
雀荘などに行って誰かと話す気分にはなれなかったのだ。

翌日、ディーラーの仕事をしに、カジノに行って
店の店長に僕はぼやいた。

「いや、昨日サウナでえらい目に遭いましたよ・・」

僕が前日の出来事を話すと、店長は大笑いして

「それどこのサウナに行ったんだよwww」

などと尋ねてくる。

「いや、コマ劇の近くのFっていうとこですけど・・」

「えwwwふwwwあそこハッテン場www
お前知らなかったのかwww」

詳しく話を聞くと、歌舞伎町にあるサウナのうち
僕が入ったFと近くにあるOというサウナは
そっちの気がある人の溜まり場なんだという。

「マジですか・・orz」

落ち込む僕を尻目に店長は嬉しそうに他の黒服にそのことを教え
僕はその日ずっと、みんなのからかわれる羽目になった。

「ホモくん、次30バラねww」
「店ではハッテンしないでねwww」

まだ二十歳そこそこの、僕の可哀想な自我は
その一両日でズタズタに切り裂かれた。
帰る間、真剣に店を辞めようかと悩んだくらいだった。

ところが、悲劇はそれだけでは終わらなかった。

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The Outcasts(読切り短編)21~30 | | コメント (2)

The Outcasts 外伝・Nobody but she told me.・2

その日の飲み会は、前期の試験が終わった直後の納会という名目だった。

夏休み直前という開放感もあったせいもあったし
当時はまだ一気飲みのようなことも普通に行われていたので
飲み会が終わる頃には何人かの飲み慣れない人間が潰れていた。

「先輩、A子ちゃんがどこか行っちゃったんです」

酔って騒いでいるうちに、姿を見失ったのだろう、
一人の女子大生(B子としよう)が言ってきた。
同じ大学ではなく、どこかの女子大に通っていた子だった。

ノリが良くやたらとしゃべる子だったように記憶していたが
宴会中の様子とは違って、やけに不安げだった。

「トイレとかは探した?」

僕がそういうとB子はすぐにトイレへと行った。
そしてしばらくして戻ってくると

「一つだけ鍵がかかってて呼んでもずっと出てこないんです」

と小声で言ってきた。

「鍵がかかってるんじゃ起きるまで待ってないとダメじゃんか」

僕がそう呟くとB子は

「でももう飲み会終わりですよね、どうしよう。
先輩ちょっと来てください」

そう頼んできた。
正直に言うと、A子という女の子がどんな子なのか
僕には全く印象が残っていなかった。
多分席も離れていたし、話もしなかったのだろう。

(めんどくさいなぁ・・・)

心の中ではそう思ってはいたのだけれど
一応宴席では先輩風を吹かせていたわけだから
邪険にすることもできず僕は女子トイレまで向かった。

B子は再びトイレに入って、鍵がかかっている個室に向かって
何度もノックをしたり声をかけたりしていたけれど
中からは何の反応も無い。

トイレから出てきたB子は思いがけないことを言い出した。

「今、トイレの中誰もいないんで、
先輩、中に入って上の隙間から見てください。
あたしじゃ届かないけど先輩の身長なら届きますから」

「ちょ、ちょっと待てよ。女子トイレの中に入るのか?
別の人が入ってたらどうすんだよ」

僕が慌ててそう言うと、B子は

「A子しかいないですよ、絶対。
先輩しか頼む人いないんです。お願いします。
周りの皆には黙ってますから。
あ、あたしここで人が入ってこないように見てます」

とすがるような表情で言う。
仕方なく僕は女子トイレの中に入って
鍵のかかっている個室を何度かノックして声をかけてから
上の隙間に手をかけて、中を覗き込んだ。

「あちゃー・・・潰れてるわ・・」

あられもない下着姿でA子と思しき女の子が酔い潰れていた。
顔ははっきりとは見えなかったけれど、服装には見覚えはあった。
そして僕は一旦トイレの外に出て、B子にそう伝えた。
(あられもない姿だったことはもちろん省いた)

B子は即座に言った。

「先輩、上から入って鍵開けて連れてきてください」

その時点では薄々予想は出来ていたので
僕はもう半ばヤケクソで頷き、
女子トイレの個室の上から個室に侵入するという変質者的な行為を
誰かに見咎められた時に正当化する理屈を
少し酔った頭で必死に構築しながら取り掛かった。

(これはこの子の友人に依頼されて仕方なく、
いや、それじゃダメだ。依頼なら何でもするのかってなっちまう。
緊急避難であって違法性が阻却されるって言えばいいのか?
明らかに正当防衛ではないよな。あれ、緊急避難の要件ってなんだっけ?)

真面目に勉強しておけば良かったのだけれど
その時はそんなことを考える暇は無い。
行為自体はあっという間に終わることだ。

僕は個室へと降りると、A子の衣服を整えてやり
A子を背中におぶって個室の鍵を開けて外に出た。

「吐いた形跡はあるけど後は大丈夫?」

一刻も早くその場から立ち去りたい一心で
僕は建前丸出しでB子に尋ねる。

もちろん解放されるはずも無かった。

「あたし一人じゃ連れて帰れないです・・・。
先輩お願いします。新宿からなら一本ですから」

B子は泣きそうな顔でそう言う。
帰ろうと思っていた僕は、A子をおぶったままため息をついた。

「一本ってどこよ?」

「狛江です。あたしん家豪徳寺なんで途中まで一緒に行きますから」

「・・・俺小田急線じゃないんだけど」

「この時間ならまだ上りもあるから大丈夫ですよ。
それに、頼めそうなの先輩しかいないんです・・」

確かに時刻はまだ11時を少し回ったくらいで
狛江まで行って帰ってくることは別に不可能ではなかった。

(嫌だって言ったら悪者になるの俺なんだよな・・)

世の中って理不尽だなと思いつつも
僕はもう諦めの境地で頷いて駅の方向へ歩き出した。

歌舞伎町から小田急線の駅まではかなり距離があって
僕は汗だくになりながらもA子をおぶって歩いた。
唯一の救いと言えば、歌舞伎町には同じような酔っ払いが大勢いて
女の子をおぶって歩く僕の姿は特に異様ではなかったことくらいだった。

ところが。

「うわっ、また吐いた」

歩いているうちに、振動で状態が変わったのか、
A子は酔い潰れたまま嘔吐したのだ。

肩口にあったA子の口から、
微量ではあったけれど胃液のようなものが流れ出て
僕の着ていたTシャツを部分的にオレンジ色に染めた。

(何この臭い・・マジかよ・・これ着たまま帰るのか・・)

混みあった小田急線の中で、異臭を放つ僕。
そして潰れたままのA子。泣きたい気分だった。

豪徳寺まで来ると、B子はA子のバッグから学生手帳を取り出して
A子の住所を書き写すと、僕にそれを渡して

「じゃ、後はお願いします。変なことしちゃダメですよ。
後でA子の家に電話しますから」

といって降りていってしまった。
普通一緒について来るもんだろうと思いながらも
いちいちそういうことを言うのが面倒で
僕は曖昧に頷いてB子と別れた。

電車が狛江に着き、僕はタクシーを拾って
A子の住所を告げる。
ものの数分でA子の家には着いた。

表札を確かめて、呼び鈴を鳴らす。
すぐにA子の母親らしき人物が出てきた。

「あ、夜分にすいません。A子さんと飲み会で一緒だったんですが
A子さん、少し飲み過ぎたみたいで・・」

僕がそう言うと、母親は

「まぁいやだ、この子ったら。ちょっとここまで上げてください」

と言い、僕は玄関先までA子を連れて行き、
A子をそこに横たえて帰ろうとした。

すると。

「ちょっと待ってください」

母親は短くそう言うと、家の奥へ引っ込んだ。

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The Outcasts 外伝・Nobody but she told me.

昔、まだ十代の頃、雀荘で働いたことがある。

いろんな意味で、結構キツい仕事なんだという感想は
その時から持つようになってはいたのだけれど
良かった点の一つに、寮があった、ということがある。

家出のような形で実家を飛び出した僕に
部屋を貸してくれるような不動産屋などいるはずもなく
(というか、敷金礼金といった当座の経費さえ持っていなかったし
まして保証人なんてものもいなかった)
僕は食い扶持を稼ぐために少しばかり事情を知っていた雀荘を選んだ。

寮と賄いがあるということだけは知っていたのだ。

とは言え、4人で一つの物件(2DKだか2LDKだかだった)を使う上に
先輩メンバーにやたらとこき使われた僕は
誰かに一度だけ連れて行ってもらったサウナに時々逃げるように泊まった。

風呂があって、横になれるスペースがあるだけで
当時の僕には十分だった。

そして、その後に僕は大学に進学して
大学3年の頃からカジノディーラーとして働き始めた。

フロムAのような求人誌に掲載されていたこともあって
割と気軽に入り込んでしまったような気はするが
結局の所、まぁ自己責任だ。

カジノで働くうちにあちこちの繁華街をうろつくようになった僕は、
歌舞伎町の雀荘でサトコと出会った。

当時、サトコは40前後だっただろうか。
今の僕と同じくらいの年代に見えた。

サトコは、女性にありがちな手に溺れるようなこともなく
押し引きのしっかりした打ち手だったのだけれど
それもそのはず、サトコは性別でいえば男だったのだ。

最初に同卓した時から、声色などに違和感を感じてはいたけれど
はっきりそれを知ったのは、ある日、卓割れした店内での雑談だった。

「お酒呑みに行ったりするの?
良かったらアタシんとこにもおいでなさいよ、安くしとくから」

一人卓に残った僕に、店の名刺を渡してサトコは言った。
すると店長が

「またそうやって若い男捕まえようとか思ってんの?」

などと茶化し、サトコは

「ノンケの子もたまにはいいもんよ」

などと言い返した。
それで僕は、サトコがオカマであることを知ったのだ。

とは言え、サトコと同じように夜の世界で働いていた上に
それほど酒が好きでもない僕が
学校と仕事の合間を縫って呑みに行く機会は無かった。

けれどサトコはそんなことを気にする様子も無く
雀荘で時折出くわすと、気軽に話しかけてきた。
昔はカジノ遊びも相当したらしく、話題も豊富なサトコは
最初から僕にとっては話しやすい相手ではあったように思う。

そんなある日、大学のサークルで飲み会があった。

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The Outcasts・30-6

ミズタニは苦笑いしながら答えた。

「いや、パクられはしなかったです。
でも客でパクられたって高が知れてるじゃないですか。
常習賭博の量刑なんてせいぜい罰金が関の山です。
そりゃ20か30取られるわけですから痛いですけど
そういう理由じゃないです。

ガジリの生活をね、2年くらい続けたんです。
平均すれば一日4,5万、月に120万くらいは稼いでました。
ガジリって断られると思うかもしれないけど
俺みたいなパターンはなかなか断られないです。
今まで大負けしてた奴がガジリになったりするってパターンです。

なんたってそれまで散々負けてますからね、
断ったりすれば、だったら今までの負け分返せってなることも
やっぱり多いじゃないですか。

ならまぁこいつ一人ならしょうがないか、
もしかしたらそのうちまたハマって
ガジった分吐き出すかもしれないし、
なんて思ってるんじゃないですかね。

でも店の人間の腹の中はニコニコしてたって分かってます。

ああ、こいつ、昔はそこそこ張ってたのに
今じゃ落ちぶれてガジリになったんだな・・

そんな風に思われてるわけです。
もちろんそんなこと気にしてられません。
むしろそう思われてもいいからガジれればいいわけです。

でも、念のためというか、保険というか
新規オープンの店にも行くようにはしてました。
店の寿命も短いですしね、最近は。

でね、ある時池袋の新規オープンの店に行ったんです。
Oって店だったかな。
店自体は綺麗だったけど
俺が行った時は客はまぁ見事なくらいガジリばっかりでした。
上の人間が呼べる太い客がいなかったんでしょうね。

もちろん美味しくガジらせてもらいましたよ。
オープンイベントで20点で4点サービス付いてたかな。

それで俺が打ち始めた時にちょうどアウトした客が
昔からあっちこっちで顔をあわせてた奴でね、
向こうは俺がガジリになったなんて知らないから
調子良く話しかけてくるんですよ。

やれ30バラは打たないのかとか
そういう昔のイメージのまんまで。
こっちもそういうイメージの方が断られにくいから
適当にあしらってたんです。

で、そいつが帰った後、シュートの合間にね
黒服が挨拶なんかしてくるわけですよ。
ずいぶん若い奴だったけど、聞けば責任者だとかで。
それはまぁ感心しましたよ。

その若さで責任者任されるだけあって
客を掴もうという努力はしてるわけですから。
ただその努力があさって向いてるだけでね。

俺の張り方見てれば分かりそうなもんだけど
そういう感覚はあんまり持ってなかったんでしょうね。
教えてくれる人もいないんでしょうし。

ま、そいつにも適当に受け答えして
電話番号なんか交換しました。
こっちはもうラッキーってなもんですけどね。
そうなったらまず断ってこないですから。

店出た後にそいつから電話ありましたよ。
また寄って下さいって。
こいつホント盆暗だわってその時は笑っちゃいました。

でもガジリとしては、これは美味しいと思って通ってたんですが
やっぱりしばらくしたら潰れちゃいました。
ガジリによってたかって食われちゃったんですね。
ま、しょうがないです。

それでね、1年くらい後にね、
別の店でその若い黒服に会ったんです。
その日はノルマが達成できなくて
夜中まであちこち回ってました。
そういう日もあります。

今度は責任者じゃなくて、平の黒服って言ってましたけど
こっちとしては盆暗がいると思って内心喜んでたんです。
だからいつもよりちょっと露骨なガジリ方しました。
ミニマム中心で、ルックも多めにして。

何とか浮かせてアウトして帰ろうとしたらですね、
その黒服に呼び止められたんです。

あ、挨拶されるのかなって一瞬思ったんですが
出てきた言葉は意外なものでした。

申し訳有りませんが、お客様のベットだと
今後のサービスはカットさせていただきます・・

あちゃーって思いました。
何だよ、お前ちゃんと見てたのかよって。
一応軽く抗議もしました。
ちゃんとベットしてたよって。

いえ、ミニマム中心であのルック回数では無理です。

はっきりそう言われましたね。
もうちゃんと理解してるわけです。ガジリのやり方ってのを。
そしてそれを言いにくくても言うだけの器量もあるわけです。
普通はなかなか言えないですよ。本人が得するわけじゃないんだし。

そこまで言われて揉めたってみっともないだけだし
すごすごとビルの外に出たらもう明るいんですよ。
その明け方の薄明かりの中をとぼとぼ歩いてるうちに
急に惨めになってね。

あの若い黒服の兄ちゃんはちゃんと成長してるのに
俺は毎日同じこと繰り返して。
成長なんて全く無くて。

それまで開き直ってガジリやってきたわけですが
それがやけに堪えてね、
もう止め時かなってその時思いました。
そういうことが気になりだしたら、ガジリなんて耐えられないです。

でね、たまたま知り合った奴にシキテンの話もらって
それ以来シキテンやるようになりました。
別にシキテンが立派な仕事だって思ってるわけじゃないけど
一応は仕事ですからね。
ガジリに比べれば雲泥の差です。俺的には。

でもね、店長。
俺ね、もうすぐこの世界上がらせてもらいますよ。
そろそろ負けた分回収し終わると思うんで」

「全額取り戻せたの?」

僕は少し驚きながら尋ねた。

「ええ、ガジリで2500万、シキテンで500万残しました。
リベンジ成功ってやつです。
もう博打は飽きたんで、また運転手でもしますかね」

ミズタニが黙り、僕も黙った。
ミズタニがさっき口にした、明け方の薄明かるい時間になって
ほとんど人通りは無くなった通りを、カラスが飛び交っていた。

言葉通り、ミズタニはその後しばらくして店を辞めた。
いつの間にか携帯電話の番号も変えてしまっていて
連絡も付かなくなっていたし、どこかのカジノで見かけることもなかった。

今でも僕は、タクシーに乗るたびに運転手の名前をチェックする。
一つだけ、ミズタニに尋ねてみたいことがあるのだ。

必死に勝負を続けてヒリヒリしていた頃と
ガジリをやって、毎日金を増やしていた頃・・・、
どちらがが生きている実感があったのかと。

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The Outcasts・30-5

「で、どんな張り方してたの?」

僕は、ミズタニに尋ねた。

もちろん僕も、カジノの世界で長いことやってきているわけだから
ガジリの基本的なやり方は知っているのだけれど
その使い分けには少し興味があった。

「Nみたいにミニマムが$50ならベットの基本は$70前後でしたね。
10回に1,2回は張らずにルックします。
それでたまに1点ちょっと張るようにすれば、まず断られないです。

サービスの額とバカラの控除率1・2%を考えたら、
平均ベットを$80くらいまで上げても期待値は十分プラスでしょ。
ケチって断られては何にもならないですからね。

で、2シュートやったら、勝ってても負けててもアウトです。
まぁ滅多に負けませんけど、たまに負けることはあります。
控除率を超えないように打つわけですから
長い目で見れば絶対に勝てるんですが
その日その日で見れば負けることだってありますよね。

で、渋谷だったらそのままZに向かってました。
Zはサービスは20点で2点だったんですけど
サイコロ振って最大1点まで当たるイベントやってましたね。
8デッキを1シュートやればいいってのもこっちは楽でした。
その方があちこちの店を早く回れますから。

でもZはガジリ多かったですね。
それもかなり露骨なのが。
店のシステムが悪いのか、世の中が世知辛くなってるのか
ちょっとおれらには分かりませんけど。

ヘタクソなガジリってのは大体グループなんです。
理由は複数で来れば、キャッチボールできますからね」

キャッチボールというのはガジリ方の初歩で
二人組み以上でプレーヤーとバンカーに同額ベットする。
プレーヤーが勝てば、張っていないのと同じ状態でベットをしたことになるし
バンカーが勝っても5%のバンカーコミッションだけで済む。

ガジリというのはとにかく賭けてはダメなのだ。
そうやって賭けているふりをして
平均ベットを店の人間に分からないように下げようとするわけだ。
もちろんルックと言って、ベットをせずに一回流すこともする。

ただし、こっちもそんな手口は知っているので
よっぽどうまくやらないとあっという間にばれる。
ばれればその日だけで来店お断り、ということになる。
出入り禁止にはしないけれど、サービスの提供を断るのだ。
それだけでガジリは来なくなる。

「それで、ノルマとかは作ってたの?」

僕はさらにミズタニに訊いた。
人によるのだろうけれど、5軒必ず回るタイプと
一定額勝ったらその時点でその日は終わり、というタイプがいるらしく
僕はミズタニがどちらのタイプか尋ねたわけだ。

「ああ、一応5万勝ったら終了ってことにしてました。
ガジリ生活を始めてしばらくは、最低4軒必ず回ってたんですが
たとえば最初の2軒で目標額勝っちゃうと
気が緩んでその後負けることが多くて。

根が博打好きでしょ、ついその頃の気分に戻っちゃうんですね。
だから目標達成したらその時点で終わってました。
そしたら後は飲みに行ったりダラダラしたりでしたね」

気楽そうに見えるけれど、
先が見えないのは僕らと同じだ。
罪名こそ違えど、摘発されればやはり逮捕はされる。
ミズタニは、ガジリをどんな理由で止めたのだろうか。

「で、何でやめたの?どっかでパクられた?」

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The Outcasts・30-4

「運転手も辞めて、バカラばっかりやってて
やれ100万勝ったの200万負けたのってやってるうちに
金がどんどん回らなくなっていって
金貸しから早いのつまんでまでやってって。

で、金利入れるのだけでいっぱいいっぱいになって
いよいよもう飛ぶしかないかなって時に
ふと思ったんですよ。

ハウスから今まで負けた金取り返してやろうって。
多分3000万くらい負けてたと思います。
どんなことしてもそれ取り戻そうって。

でね、車から時計から全部売って金貸しに金返して
残った金が50万くらいでした。
それ元手にハウス食ってやるって思ったんです。

勝負して勝つのなんて絶対無理なのは分かってるんですよ。
バンカーコミッションあるんだし。
だったらいつも隅っこでコソコソガジってる奴らみたいに
俺もガジリになってやろうって。

ガジリの理屈は分かってました。
ただかっこ悪くて出来なかっただけでね。
見栄を捨ててしまえば何てことないんですよ」

ミズタニは少し自嘲気味な笑みを浮かべながら話し
僕はそれを黙って聞いていた。

「だいたいね、昼前くらいに起きるんです。
でね、まずベッドの中で携帯のメールをチェックです。
仲間からのメールがいくつか入っているから。

○○のイベントが終わってサービスが絞られた・・・
△△がリニューアルオープンしてイベントやるらしい・・・

そんなあちこちのハウスの情報を入ってきてるわけです。
もちろん自分が先に情報を手に入れれば自分も回します。
そのためだけの仲間ですから。

で、それを見ながらその日の計画を練ります。
どこの店からどう回るか、
一日に回れる店は多くて5,6軒だから効率は大事ですよね。

自分の部屋は明大前だったんで井の頭線で渋谷に出て、
渋谷を2軒回ってから池袋を3軒回ろうか、
新宿は最近サムいらしいから今日はパスだな、みたいな感じでしたね。

つったって、状況次第で新宿も回らないといけないこともあるんですけどね。
ノルマがこなせなかったり、行こうと思ってた店が閉めてたりとかで。

で、渋谷に着いたら行くのが大体百軒店のNでしたね。
理由は駅から近いのと、けっこうちゃんとした料理が出てくるからです。

基本的に、食事とタバコはカジノで調達するんです。
無駄な出費を控える、という発想っていうか
貰える物は何でも貰うという発想に近いですけど。

もちろんタバコはシガレットケースに4,5本だけ入れて、
残りのタバコはバッグの中に別にしておくんです。
いくらなんでも無くなる前に貰うのはマズいです。
店の人間に余計な反感を買うし、
タバコぐらいで出入りを断られるわけにはいかないですからね。

Nはテーブルが二つでしたけど、
もちろんミニマムが小さい方にしか座りません。
シュートの途中だったら必ず終わるまで待ちます。
中途半端なところで入ったら、自分では2シュートやったと思っても
このシュートが終わるまでやってくれって言われたりしますからね。

まぁNは結構流行ってたんで、ガジるのは楽でした。
大体大きいバランスのテーブルに客がいましたから。
潰れたら、また別の店を探さなくちゃいけなくなるから
店が流行るのはいいことです。

せいぜい頑張って利益を出してくれよ、
こっちはそのおこぼれで生活できれば十分だから、
なんて思いながらやってました。

20点買うと3点サービスが付いて
6デッキのシュートを2シュートってのがNのハウスルールでした。

普通って言えば普通なんですが、
来店ごとにスタンプを1つ押してくれて、
10個貯まればその次のお買い上げの時に20点で4点出てくるんです。

結局は20点で3・1のサービスということですよね。
こんな無差別のイベントを続けてて大丈夫なのかと思うんですけど
太い客がいればまぁ何とかなるんでしょう。
あるいは昔の俺みたいにアホみたいに張るバカな客とかね。

そんなサービスだからガジリは結構入ってました。
若い女のガジリなんか多かったです。
でも若い女は店もガジリって分かってても泳がせるんです。
そういうのが多い方が男の客は喜ぶから。
なんかパッと見て華やかじゃないですか。

オッサンってのは若い女にいいところを見せたいもんで
女に適当に「すごーい!」とか囃されると嬉しいんですよ。
だからついつい張りも大きくなっちゃうし
負けてもゴネたりしないようになりますよね。

だから店も甘めになるんでしょ。
ある意味共存共栄です。
店の黒服とできちゃうガジリの女もいるくらいですから。

もちろん一人だけ反発しても損なので、
こちらも適当に「ナイス!」などと囃してやりますよ。

なるべく雰囲気作りには協力してやるんです。
そうすると断られにくくなるわけです。
寄生してる奴に寄生するみたいでわけわかりませんけどね。
一緒には行動しませんけど」

確かに良く分かってる。

僕は心の中で感心した。
客の中には、ハウスに対して異常なまでの敵対心を燃やすタイプがいる。
何かとハウスのやることに不平不満を言うのだ。
だけでなく、周りの客を焚き付けたりもする。

そうするとどうしたって雰囲気はギスギスするから
あまり太い客でなければガジリでなくても断ってしまいたくなる。
ガジリっぽい張り方をしているという印象だけで断ったりすることもある。

同じ張り方をするなら、場を和ますようなタイプを選ぶのは当然なのだ。
若い女性が歓迎されるのもそういう理由からだ。

ミズタニは黒服の仕事などしたことは無いはずだし
ディーラーの仕事だって出来ないはずだ。
それなのに、店側の都合というものを理解しているというのは
ミズタニなりの観察眼があるのだろう。

客が来店する様子は全く無く、
僕とミズタニは路上でポケットに手を突っ込みながら
さらに話を続けた。

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The Outcasts・30-3

その日店がやけに暇で、僕は外に出てミズタニと雑談をしていた。
ミズタニはたまたま通りかかったガジリをちらりと見ながら

「店長、あれGですよ、G」

と薄笑いを浮かべながら言った。

Gというのはガジリの頭文字だ。
インカムで店内と連絡を取る場合に使う符丁だ。
普通の客なら「ゲスト何名上がります」などと言い
ガジリなら「G何名」、不良や刑事臭い客なら「お客さん」と呼ぶ。
それによってドアを開けたり開けなかったりを決める。

「お客さん上がりました」

などと言われたら、ドアをホイホイ開けてはいけない。
カメラのモニターを注視して、見知った顔でなければ、
そのまま息を潜めて立ち去るのを待つ。

その判断は、基本的には入り口付近の隠しカメラで行うのだけれど
肉眼で見た場合とは異なって見えることもあるから
外で肉眼で見ているシキテンの判断は重要だ。

ミズタニが言ったそのガジリと思しき通行人は僕も知った顔で
最初から入れない客のリストにも入っていたが
パッと見てすぐに分かるあたりは
ミズタニが優秀なシキテンであることを示していた。

そしてそのガジリが見えなくなるのを見送ってから
ミズタニは苦笑いをしながら不意に呟いた。

「あいつらもね、ホント良くやりますよね・・。
まぁ俺も昔はああだったんですけどね」

「ああだったって?」

僕は問いかける。
その言葉が何を指しているのか分からなかったのだ。

「いや、ガジリ連中ですよ。
俺、一昨年までガジリで食ってたんです」

「え、マジで?」

正直言って意外だった。
ガジリというのは、基本的に楽をして金を稼ぎたい連中がやることだ。

浅ましいと言われようが乞食同然に蔑まれようが金を作った者が偉い、
そういう哲学で生きている彼らが
雇われの身になることなど滅多にない。
ましてシキテンのような気候に大きく影響される仕事は
冬場や悪天候の時は辛い。

彼らがそんな仕事をするとしたら
それは半端なガジリ方しかできないか
よほど凌ぎ方が下手なガジリということになる。

「もう食えなくなっちゃったの?」

僕は再びミズタニに問いかけた。
するとミズタニは首を横に振って

「いや、食えなくはなってなかったんですけどね・・」

そう呟いた後に、思い出話を語り始めた。

時折遠くを見るような目をしながらも
道を通る人にはしっかりと目を配りながら。

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The Outcasts・30-2

堕ちることを拒み、働くことも否定し、
ミズタニは頑としてこの世界で食うことをやめなかった。

食うと言っても、勝負を続けて勝ち残ろうとしたわけではない。
むしろミズタニは、勝負をしないことで勝ち残ろうとしたのだ。

そう、ミズタニはガジリになったのだ。

ガジリ、と呼ばれる人々について説明しておかねばなるまい。

必勝法があれば・・。
これでずっと食っていければ・・・。

ギャンブルに嵌まる人間は
その多くがそんなことを夢見る。

もちろんそれはただの夢だ。

人為的な操作が入り込まない限り
確率が収束して行く原理に抗うことはできない。

もしかしたらごく一部の幸運な誰かは
途中で大勝することもあるかもしれないが、
ギャンブルを止めて勝利を確定させない限り
彼が敗者に向かって歩いていることに変わりはない。

実のところ、カジノというところは、それを予定して営業している。
愛想を振りまき、食事や部屋代のサービス
(海外ではコンプと呼ばれる)をしても
十分に元が取れるという確信があるのだ。

そのコンプの額は、顧客一人一人で違う。
大きくベットする、あるいは長くベットする客には手厚く、
あまりベットしない、あるいはすぐ出て行くような客には小額だ。
平均ベット、プレイ時間などをきちんとチェックしているのだ。

ところが日本のアングラカジノでは違う。
どんな客であっても、最初にチップを買った時点でサービスが付く。
それも、平均ベットやプレイ時間に関わらず同額だ。

およそ10%~15%、場合によっては20%分のチップ、
つまり10万分のチップを買えば1~2万分のサービスが余計に貰える。
サービス分浮きからスタートできることになっているわけだ。

ベットすればするだけ負けるのが博打の仕組みだから
なるべくベットをせずにこの浮きを確保して帰ろうというのが
ガジリの根底にある考え方だ。

カジノ一軒だけではアウトコミッション(換金手数料)を
引かれたら幾らにもならないが
3、4軒、多ければ5軒回れば結構な額になる。

ただし、店側の黒服に露見すれば、出入りを断られたり
サービスチップの提供を断られたりするから、
監視の目をいかにかいくぐるかが大事になってくる。

当然のことながら、監視体制や断る基準は
店によって違うし時期によっても違う。
多少の赤字は覚悟の上で、宣伝の為にガジリを放任する時期もあれば
増えすぎたガジリを整理する時期もある。
もともと従業員が盆暗でチェックが緩い店もある。

そういう店を狙って彼らは入り込む。
なるべくならガジリだと思われないように振舞いながら
少しずつ少しずつ彼らは勝ちを積もらせていく。

もちろん、店側も黙って見ている訳ではない。
ある程度入客が確保できている店であれば
ガジリの存在など害悪でしかないから
客のベットを見てサービスや出入りを断るのだ。

長年業界にいると、一度断った客は
顔を見ただけでガジリだと思い出せるようになる。
そんな時は一度も打たせずに、新規での入店そのものを断るわけだ。

とは言え、僕はミズタニがガジリで凌いでいたことなど知らなかった。

僕がそれを知ったのは、春も間近に迫ったある夜のことだった。

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The Outcasts・30

「歌舞伎町は暖かいですよね。
って言ってもデコスケのことじゃないですよ、気温の話です。
寺一つ越えるたびに気温が一度違うって
いつもおれら言ってたんですけど」

あれは何年前だっただろうか。
ちょうど今の時期くらいの寒い日だった。

僕が外でシキテンをしているミズタニに
缶コーヒーを差し入れて、寒くないかと尋ねた時に
ミズタニは笑いながらそう言った。

寺というのは、新宿から郊外に出て行く時に通る地名だ。
高円寺→吉祥寺→国分寺と寺の付く地名が
等間隔ではないにしろ、一定の距離があることで
一つの目安になっているのだという。

まだ30をいくつも過ぎていない割にはあれこれと職を変わって
運転手もしていたことがあるというミズタニは
寺と言われて寺銭のことを連想し怪訝そうな顔をした僕に
そう教えてくれた。

中肉中背で外見的にはこれといった特徴の無いミズタニだったが
僕らが思いも寄らない物の見方をすることがあって
仕事の合間に外に出て雑談をするのは
僕にとってはなかなか面白い時間だった。

タクシー運転手として個人タクシーの開業を目指していたミズタニは
この世界の住人の多くと同じように、どこかで道を踏み外した。

もともとタクシー業界には博打好きは多い。
客待ちの列で競馬新聞を読み耽る運転手も少なくないし
麻雀やサイコロ、花札といったものに手を出す者も多い。

自分の稼ぎでやっている間はそれは別に構わない。
けれど、一回数枚のカードの数字に、数万、時には数十万を張って
勝った負けたを繰り返していれば、やがて金銭感覚は麻痺する。
ワンメーター650円だのとチマチマ稼ぐのが馬鹿馬鹿しくなってくる。

そしてたまたま勝ちが続いた時に
ずっと食っていけるんじゃないかという錯覚を起こし
仕事を辞めてしまう。

ダメだったらいつでも運転手に戻れるという思いもあるだろう。
二種免許さえあれば食うのには困らない。

もちろんそんな生活はいつまでもは続かない。
一人前の博徒を気取っていても
ほとんど全員、いつかはパンクする。
長く続ければ続けるほど確率というのは収束する。
それから逃れられる者はいない。

そして負けが込んでパンクしかけた時に
人が取る行動は様々だ。

どこまでも堕ちることを選ぶ者、
真っ当に仕事をする生活に戻る者、
あるいはハウス側として働くようになる者、
意識してか、あるいは無意識のうちにか、人はそうしてまた道を変える。

ミズタニも例外ではなかった。
けれど、ミズタニが選んだ道は、少しばかり変わっていた。

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The Outcasts・29-4

出てきたのは意外なことにカワムラだった。

自力で歩けるのか・・

僕は少し意外だった。
てっきり出てくるのはオーナーだと思っていた。

カワムラは中でボッコボコに殴られたあげく、
気絶していてもおかしくないのだ。
ところがカワムラの顔には大きな変化は無かった。
泣いたのだろうか、少し目が充血しているくらいだ。

そしてカワムラは、僕のところに来て
オーナーが呼んでいるということを小声で言った。

カワムラの処遇については、
それがどうであれ当然聞いておかなければならなかったから
僕はすぐにモニター室に入った。

腕組みをしていたオーナーはしばらく黙っていたが
やがてゆっくりと口を開いた。

「カワムラな、責任者外すから。またお前の下で使え」
「え?使うんですか?」

意外な指示に僕は驚いた。
まさか単なる降格だけで済ませるのだろうか。

「働かせて給料から返させなしょうがなかろうもん」
「いや、ですがそれだけでは・・・」

店の金を使い込んだ人間をあまりに甘い処分で済ませると
甘く見た誰かが同じことをしかねない。
仏心がいつか仇にならないとも限らないのだ。
甘いんじゃないですか、僕は言外にそう言ったわけだ。

けれどオーナーは即座に言った。

「ええんや」

どうしても納得が行かなかった。
その数百万を稼ぐために、どれだけの苦労を必要とするだろう。
客の罵声を浴びて、極道や警察に神経をすり減らしながら
現場が懸命に抜いてきた金だ。
使い込んでおいて分割で埋めれば済むというものではない。

僕はオーナーになおも食い下がった。

「カワムラさんの説明はどうだったんですか?
なんでそんなことしたんですか?」

「お前が言ったルミや。
あれにええ顔したかったんだと。
オレはこれだけ張る器量あるんだと見栄張りたかったんだと。

一回手を着ければあんなもんあっと言う間や。
分かっとっても止まらんもんや」

「そんなしょうもない理由で500万ですか・・」

予想通りとは言え、やはり呆れる気持ちはあった。

「だったら尚更そんな甘い顔してたら・・」

そう言いかけた僕にオーナーが怒鳴った。

「せからしか!預けたらいかんもんに預けたこっちも悪かろうが!
俺もお前もあいつがそういう性分なんは分かっとろう!」

正直言って、納得はできなかった。
けれど、そこまでの権限が自分に無い以上、
従わなければならないのが雇われている身の宿命だ。

その日以降、僕はカワムラをある意味で常に色眼鏡で見るようになった。
誤魔化すとか、ヨコを入れるとか、そこまでは思っていなかったが
何かあれば歯止めが利かない人間として見るようになったのだ。

それを知ってか知らずか、カワムラは黙々と働き続けた。
僕は真相を誰にも話さなかったけれど
やがて誰もが事の次第を知るようになった。

それはそうだ。

金が無いはずのカワムラがルミの店で大きな勝負をして負け、
その直後に責任者を外れたのだ。
その二つを結びつけるのはそれほど難しいことではない。

オーナーが何故そこまでカワムラに寛容だったのか
僕が知ったのはしばらく経過した後のことだった。

12月になって、ミーティングを終えて雑談していた時に
オーナーがポロッと言った。

「のう、カワムラ、お前正月帰るんか?」

その問いかけから、カワムラとオーナーはしばらく地元の話で盛り上がり
やがて高校の先輩後輩の間柄であることも判明したのだ。

九州の田舎町の出身だったオーナーが
同郷のカワムラを可愛がる気持ちは、何となくは理解できた。
田舎から都会に出てきている人間の地元意識とは、そういうものだ。

誰も頼る者がいないままに東京に出てきて苦労したオーナーは
カワムラにかつての自分を重ねたのかもしれない。

その後、僕は別の二号店に移り、カワムラは残った。
月にいくら返済しているのかも知らなかったから
カワムラの残債がいくらかももちろん知らない。
もしかしたら、今頃は完済しているかもしれない。

カワムラは、今度は、博打を止められるだろうか。

博打打ちというのは一種の病気で
完治するというのはなかなか難しい。
完治したと思ったらあっけなく再発する。

あの日、金を使い込んだ日に見たものが
本当は破滅の淵だったということに、
カワムラが気づいていればいいのだけれど。

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The Outcasts・29-3

その日僕が出勤すると、大きく張る客が大敗したばかりで
店にかなりの現金があった。
1000万を超えて1300万ほどはあっただろうか。

その客が帰ってしまった後は、
それほど大きな数字は動きそうに無かったから
僕はオーナーに電話を入れて、金を引き取りに来てもらうことにした。

店に置いておく現金があまりに多額なのはリスクが大きいからだ。

万が一摘発されてしまえば、店にある現金は押収、没収されてしまう。
びた一文、戻ってくることはない。
摘発が無くても、強盗などの被害に遭う可能性もある。

開店時に店に用意しておく現金は5,600万ほどだったから
それだけ残して、残りは分けておくのが常套手段なのだ。

仮に客がそれ以上の大勝をして現金が不足したとしても、
換金する前に現金の用意ができれば問題ないし
オーナーが渋谷に構えていた事務所からであれば
どんなに混んでいたとしても1時間もあれば着く。

だから僕は少なくとも500万は引き下げてもらうつもりで
オーナーの携帯に電話をいれたのだ。
電話に出たオーナーに僕がその旨を告げると

「おう、そうか。でも今まだ出先なんよ・・
そやけん、誰か持ってこれる奴おらんか?店に今誰がおる?」

オーナーはそう言った。
引継ぎの時間だから、今から上がる黒服が数名いる。
僕がその数名の名前を挙げると、オーナーは即座に

「カワムラおるんやったらカワムラに持ってこさせよか」

そう言った。
責任者クラスであれば事務所の場所は知っていたから
持って行かせること自体には特に問題はない。

僕はカワムラに札束が入った封筒を渡し
オーナーからの指示を伝えた。
カワムラは特に緊張する様子も無く

「了解っす。じゃ失礼しますー」

と言って店を出て行き、僕は自分の仕事に戻った。
人手が足りずにその日もてんてこ舞いだったのだ。

そして数時間が経過した頃、オーナーから電話が入った。
僕が電話を取ると、オーナーは開口一番言った。

「なんや、結局胴金下げんかったんか?」
「え?」

何のことを言っているのか、即座には分からなかった。
するとオーナーは不思議そうな声で

「ほんでも誰も事務所来とらん言うとるぞ」

そう言う。
反射的に嫌な予感がした。

「いや、カワムラさんとっくにこっち出てますけど」

電話の向こうで空気が変わったのが分かった。

「何時の話や!」
「引継いですぐだから4時間ほど前です」
「カワムラに電話せぇ!」

すぐに電話を切って、カワムラの携帯を鳴らすが
呼び出し音は数回鳴って留守番電話に変わった。

逃げたか、あるいは事故か。

胸の奥に不安がむくむくと頭をもたげる。
どちらにしても良い状況ではない。

数分おきに携帯を鳴らしているうちに
オーナーが店に飛んできた。

キャッシャーの人間が

「まさか持ち逃げ・・」

と呟くと、苛立ったような声で

「憶測でモノを言うな!まだ何も分からんやろうもん!」

そう言った。
あるいはそれは自分に言い聞かせていたかもしれない。
いずれにしても、連絡がつかないと真相は分からない。

僕は焦りながら、またカワムラの電話を鳴らす。
コール音が何回か鳴る。
カチャリと通話がつながる音がした。

「もしもし?カワムラさん?」
「・・・・はい」

電話の向こうの声は、やけにか細く
カワムラの様子が尋常ではないことを示していた。
オーナーが僕の携帯をひったくるようにして取り、カワムラに話す。

「どげんしたん?」

さっきまでの声とはずいぶん違って優しげな声だな、
僕はふと、そう思った。
それからオーナーの声はさらに小さくなり、
問いかけるような、口説くような響きに変わった。

「お前このままトんだって行くとこあるんか?なかろ?」
「とにかくお前一回戻って来い、な?」

そして電話を切ったオーナーは僕にこう尋ねた。

「Nってハウス知っとるか?」
「聞いたことはありますね・・」
「カワムラ、そこで金全部打ち込んじまったとさ」

その店の名前は確かに聞いたことがあった。
それもつい最近の話だ。

何でその名前が出てきたんだっけな・・・

記憶を辿り、僕は不意に思い起こした。

「あ、ルミちゃんいる店じゃなかったかな」
「ルミ?誰やそれ」
「前にここで働いてたウェイトレスです」

その説明はオーナーにはさほど意味を持たなかったようだったが
僕の頭の中では、その時には既にあるストーリーができていた。

たぶん、カワムラは自分の金をいくらかは持っていたはずだ。
20万か、30万か・・独り者だからそれくらいは持っていただろう。

そこへ500万という大金を手にする。

もちろん自分の金ではない。預かっただけの金だ。
けれど、その札束の厚みは、カワムラを妙に強気にする。
金というのは持っているだけで人を変える魔力があるのだ。

「ちょっと勝負していこうかな・・」

そんな気持ちになったカワムラはどこの店に行こうかと考える。
そしてどうせならあの子にいいカッコをしたいと思い始める。
以前思いを寄せながらも、相手にされなかったあの子に。

彼女が働いている店は知っている。
彼女が出勤している時間帯であることも知っている。

彼女の店に行き、奥の一番レートが高い店に向かう。
ホールで働く彼女に、軽く挨拶をする。
彼女はカワムラが奥の高レートテーブルに座るのを見て、
少し驚いたような表情を見せる。

席に座り、100万になったズクからいくらか・・50万くらいだろうか・・を
抜き取って、横に来ている黒服に手渡す。
彼が数百万の金を持っていることを見て取った黒服の顔には緊張が走る。
飲み物のオーダーを訊きに来た彼女の顔も同様だ。

俺はこれくらいの金を任されるような男になったんだぜ・・

カワムラは心の中でそう言うが
もちろん心の中ではまだ冷静さを保っている。

今買った50万のチップのうち、20万は使わずに残そう。
少し遊んで浮いたら、そこで帰ろう。

あるいは、一時的には浮いていたかもしれない。
バカラというゲームの性質上、瞬間的に勝つことはありえない話ではない。
けれど、いつの間にかカワムラは、持っているチップをすべて溶かす。
自分の金である30万分だけでなく、預かった金に穴を開けてしまっている。

まずい、何とかして埋めなくちゃ・・

そう焦るカワムラが選ぶ解決策は
さらに勝負を続けることだったのだ。

追加を繰り返すうちに冷静さはどこかへ消える。
30万のチップを買って、そっくりそのまま張るようなこともしただろう。
僕らはそういう客を毎日見ているのだ。

カワムラが我に返ったのはいつだっただろう。
電話がかかってきた時には、事の重大さには気付いていただろう。

恐怖と、焦燥と、後悔と。

もしかしたらそのまま逃げようと思ったかもしれない。
でも、どこかでカワムラは思いとどまる。

無一文で逃げられるはずがない。
逃げたってどうにもならない。
カワムラには切符さえも買えないのだ。

だったらまだ全てを正直に告白して・・

そんな思いで電話を取ったのだろう。
僕にはカワムラの心理は手に取るように分かった。
だって、僕らは、そういう客を殺すことで凌いできているのだ。

しばらくして打ちひしがれた様子でカワムラが戻ってきた。
ドアが開き、目が合った瞬間、カワムラは目を伏せる。
何かを言おうと思ったが、僕は言葉を飲み込む。

それは、僕の仕事ではない。

モニター室にいるオーナーのところに連れて行くと
カワムラはいきなり深々と土下座をした。

「すんませんでしたっ」

オーナーは何も言わずに黙っていたが、
やがて口を開いた。
けれどその相手は、カワムラではなく、僕だった。

「すまん、ちょっと外してくれんか?」

僕は黙ってモニター室を出た。
その後に、どんな阿鼻叫喚が待っているか想像すると
少し鳥肌が立った。

500万もの大穴を開けて、ただで済むはずが無いのだ。

二時間近く経っただろうか。
モニター室の扉が開いて、誰かが出てきた。

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The Outcasts・29-2

カジノの世界はある意味では職人の世界と同じだから
年齢が上とか下とかは関係ない。
仕事が出来ない間は何歳であっても、年下の小僧に怒鳴られる。
一人前の仕事が出来ない人間には、文句を言う資格すら与えられない。

僕よりもいくつか年上のカワムラも
仕事という意味では丁稚と同じようなものだった。

もちろん、一応言葉遣いだけは気をつけたけれど
教えるべきことはビシビシ教えた。

半人前のままでホールに置いておけば、
いつかとんでもないトラブルを引き起こしかねないし、
それが数千万円の損害につながることもあるからだ。

とは言え、カワムラの物覚えは悪くなかった。
今まで散々カジノで遊んできただけあって
黒服がどういう仕事をするかは既に十分理解していたし
客の心理も良く分かっていた。

単純なやり方だけ教えてやれば、特に問題は無かった。

ただし、悪い癖が一つだけあった。

カワムラは、客が遊んでいるテーブルを見ているうちに
自分も賭けているかのような気持ちになって
ゲームの勝敗ばかりに気をとられる傾向があった。

黒服が気を配るべきなのは
勝敗がきちんと決められているかどうかであって、
どちらが勝つかということにではない。

まして、次のゲームの勝敗の予想などする必要も無い。
と言うより、してはならないのだ。

例えば、客が冗談半分で

「よう、次どっちが勝つと思う?」

と尋ねてきた時に、お調子者が調子に乗って

「これはテッパンでバンカーですよ」

などと答えた挙句、プレイヤーが勝ってしまって

「お前がテッパンとか言うからじゃねぇか!負けた分返せ!」

などと因縁を付けられたケースも山ほどあるのだ。
だから、その点だけはカワムラには何度も釘を刺した。

「目の予想がしたかったら、自分の稼ぎ持って別の店行ってください」

客が付けているスコアカード(罫線と呼ぶ)を
身を乗り出すようにして眺めるカワムラを呼んではそう言う僕に

「すいません。もう打ちに行くのは止めたんですけどつい・・」

とカワムラは頭を掻き掻き答えていた。

とは言え、カワムラが他の店に打ちに行っている形跡は無かった。
小耳に挟んだところでは、カワムラは高利貸しからの借金を
オーナーに立て替えてもらって、月々の給料から返済しているようだった。

オーナーが何を考えてそれほどまでにカワムラを助けたのか
もちろん僕は知るはずもなかった。
疑問が無かったわけではないが、
そもそもが僕だってある意味オーナーに拾われたようなものだ。
オーナーが誰を使おうが、その裏事情を詮索するつもりもなかった。

ともかく、カワムラにとってはオーナーは恩人だったはずだし
その恩に報いるためもあってか、カワムラは懸命に働いていた。
残業も厭わなかったし、汚れ仕事も平気でやった。

小柄で細身で色白で、絵に描いたようなもやしだったカワムラは
ややもすれば客に舐められるケースもあったせいか
仕事をしている間は、少し色の着いたメガネをしていたが
仕事を終えてメガネを外すと、
店の皆にとって格好のいじられキャラだった。

やがて一通りの仕事を覚えたカワムラは
僕と反対の時間帯の責任者として働き始めた。
やけに出世が早いとは思ったが、
この世界で生きる人間にとって嫉妬というものは禁物だ。

向こうで打っている人間がどれほどチップを積み上げようと
どれほどいい女を連れていようと
嫉妬して張りあったり、足を引っ張りに行くことは
自分の首を絞めるようなものだ。

オーナーの寵愛を受けていることについても同じだ。
おかしな空気を入れようとして逆鱗に触れたら首が飛ぶ。
自分なりに美味しい思いができて、仕事に支障が無ければ
誰が出世しようと気にする必要はない。

それを決めるのは僕ではないし、カワムラにはその能力はあった。
給料も上がり借金も順調に減っているはずだった。

女っ気は全く無かったが、やがて同じ時間のウェイトレスに惚れたらしく
引継ぎの時間帯に見ているだけでも、頻繁に話しかけたり
仕事の後に飲みに誘ったりしているカワムラを見て
僕ら同僚の黒服はくすくす笑っていた。

ルミ、というそのウェイトレスには
まるでその気が無いのが分かっていたからだ。

知らぬは本人ばかりなり、というやつで
カワムラが休みの時に、誰かが冷やかすと、
ルミ、というウェイトレスはうんざりした表情で

「もういい加減にしてって誰か言ってくださいよ。
何回も断ったのに全然諦めないんだもん」

と言っていたのだ。

「でもルミちゃん彼氏いないじゃない。
だったら付き合っておけば?」

再び誰かがそう突っ込むと

「アタシ借金いっぱいある人とか無理です」

と彼女は即座に答え、
あまりにも脈が無いことに僕らは少しだけカワムラに同情した。

とは言え、思いが通じないのは本人にとっては悲劇だが
その諦めの悪い様子は
周囲にとっては格好の喜劇ではあったのだけれど。

そしてさらに数ヶ月が経過した。

カワムラは相変わらずルミに熱を上げていたが
ルミは相変わらずそっけない態度だった。
ただ、カワムラが何かとかこつけて贈るプレゼント攻勢には
満更でもないようで、時々デートのようなことはしていたらしい。

そういう意味ではルミはこの世界の人間だから
金目の物には目が無いし、金を持っている男には悪い顔はしない。
借金の返済中のカワムラが、そう金を持っているはずはなかったが
ルミにこまごました何かを買って歓心を得るくらいの余裕はあったのだろう。

そんな折、店を一時的に閉めることになった。
経営的な問題ではなく、摘発逃れのためだ。
半月ばかり閉める予定だったが、従業員には給料の保証などはない。
黒服の責任者クラスには若干の保証がある程度だ。

となると、蓄えなど持たず生活に追われる者は
別の店に移らなければしょうがないことになる。
多少の余裕がある者でも、店に愛着や忠誠心など持っていなければ
仕事の話があったらさっさと店を乗り換える。

それはもうどうしようもないことだった。
そういう世界なのだ。

そして、カワムラにとっては残念なことに
店を再開する時には、ルミも店を移ってしまっていた。

付いていけるものならついていったかもしれないが
オーナーに世話になっていることもさることながら、
そもそもオファーさえ来ていないカワムラが
ルミが移った先にくっついていけるはずも無かった。

さすがのカワムラも落ち込んだようだったが
従業員が何人か抜けた店は息つく暇も無いくらいに忙しく
僕らはホールをめまぐるしく動き回る日々に戻った。

売り上げも良く、忙しさに見合うだけの配当を手にできるところまで
もう一息というある日のことだった。

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The Outcasts・29

長年、アンダーグラウンドの世界で生きてきて、
人間というのは本当に弱い生き物だなと、つくづく僕は感じた。

ほんの数枚のカードに財産を、いや、時には人生さえも賭ける。
どれほど手痛い大敗を喫して、水ばかり飲んで過しても
小銭を稼いでは、またカードを絞る。

冷静な方であれば、負けても負けても懲りないなんてバカだ、
そう言うかもしれない。
大敗すれば普通は懲りるだろうと。

たぶんそれは、合っているようで間違っている。

人は、負けるからギャンブルを続けるのだ。

使ってはいけないお金を賭けてしまった時の言いようの無い昂揚感、
そしてその乾坤一擲の勝負に負けて、頭の奥がカッと熱くなる瞬間、
ギャンブラーの脳内麻薬が最大限に分泌されるのはまさにその瞬間だ。

半ば恍惚として目の前に積まれたチップに手を伸ばす。
周囲の目も、時間も、一切気にならない。
力を込めて、念を込めて、一枚のカードに目を凝らす。

たぶんあの時、カワムラが感じていたのも
そんな気持ちだったのだろう。

当時僕はまだ20代の後半で、カワムラは30を少し超えていた。
けれど、職制上は、僕が上司でカワムラは部下で、
カジノの黒服のイロハを教えたのも、僕だった。
何と言っても、初めて会った時、カワムラはただの素人で
カジノでの仕事を初めて経験しようとしていたのだ。

人がカジノで働き始める場合、その経歴は二通りに分かれる。

もともとカジノ遊びが好きで、客として経験してから入ってくる者と
この世界に入るまで、カジノのことなど何も知らないで入ってくる者だ。

僕は後者だったのだけれど、前者も意外と多い。
もちろん、仕事は仕事としてできるのであれば
どっちが先でも別に大きな違いはない。

ただ、客として遊んだ経験がある者と無い者では
客に対する発想がずいぶん違ってきたりするから
客がどう感じるか、ということを想定する場合は
前者の意見を訊くことも多かったように思う。

カワムラは、前者だった。

それもどっぷり浸かったギャンブル中毒だった。
にっちもさっちも行かなくなって飛ぶ寸前だった時に
僕が仕切っていた店のオーナーと知り合って拾われたのだ。

「何でもするって言うからさ、使ってやろうと思って」

そんな言葉でオーナーはカワムラを連れて来た。
細身で色の白い男だな、という印象だけ残っている。

30を過ぎた人間に、今さらディーラーをさせるわけにはいかないから
必然的にホールで黒服として使うしかない。

こんな博打中毒使い物になるのかな・・

僕は半ばそんなことを思いながらも
上から使えと言われた以上は仕方が無いと諦めて
カワムラに仕事のイロハから教えることにした。

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The Outcasts・28-6

「ちょっと待った!今のところもう一回だ」

ニシムラが叫んだ。
僕は慌てて巻き戻しのボタンを押し、
数分前まで画面を戻し、もう一度そこを再生した。

そのゲームはプレイヤーに一人・・一番若い男だ・・が10万ほど張り、
残りの二人がバンカーに40万張っていた。
カードが4枚出され、それぞれに渡される。
絞り終わったカードを見ると、
2枚では勝負は決まらず、それぞれ3枚目のカードを引く数字だ。

ディーラーがプレイヤーとバンカーにそれぞれ3枚目のカードを渡す。
プレイヤーのカードを絞ろうとした時に、
反対側に座っていた男が声を出したらしく、皆がそちらを向く。

そしてプレイヤーのカードを絞り終えた男が
自分のカードを腹立たしそうな仕草でディーラーに返した。
3枚の合計は勝ちがなくなる0だ。

そしてバンカーに張っていた二人が嬉しそうに自分たちのカードをめくる。
0になればドローだが、合計は6になっていた。
この勝負でハウスはコミッション込みで28万マイナスしたことになる。
ディーラーがチップをつけて、その勝負で使われたカードを片付けようとした。

その瞬間、ニシムラが言ったことに僕も気づいた。

「見ろ、カードの色が変わってる」

ニシムラが言った。
確かにそうだった。

通常、日本のアングラカジノではカードの色は赤と青の二色を使う。
裏が赤のカードを4デッキ、青カードを4デッキというように混ぜ合わせるのだ。
当然、ゲームになれば赤と青のカードはランダムに出てくる。

その時のゲームは最初の4枚は全て青のカードで
残りの2枚を出した時も、青だった。
ということは、6枚全て青色のカードでなければおかしいことになる。

ところが。

ディーラーが片付けようとしたカードの中に
赤色のカードが1枚混じっていたのだ。
どこかですり替えられたことになる。

どこですり替えられたんだろう・・

僕とニシムラは再び巻き戻して見た。

粗い画像からかろうじて判別できたのは
プレーヤーの3枚目を絞ろうとした瞬間に反対側で声を発し
皆が半ば反射的にそちらを向いた瞬間に、
プレーヤーに張っていた男の手がカードの上を動いたことだけだった。

当時の店に付いていたカメラの角度だけでは
残念ながらそこまでしか分からなかった。
けれど、不正が行われたことは明白だ。

これがマジシャン系のゴトか・・

僕はその巧妙な手捌きに驚愕した。
当時、そういったゴトの存在は情報としては知っていたけれど
現実に目の当りにするまでは実感として分からなかった。
そういう奴らがいるんだという程度の他人事の感覚だったのだ。
彼らがカードの色を間違えるというミスを犯さなければ
もしかしたら気づかないままだったかもしれない。

ビデオを何度も見直しても、はっきりとは分からないのだ。
そういう目で最初から見ない限り、おそらく見破るのは困難だろう。

僕とニシムラは保存してあったカードをひっくり返した。
シュートごとに使い終わったカードは保存してある。
カードがすり替えられているのであれば、8デッキ分は揃わない。

スペードのエースから並べていく。
案の定だった。10枚ほどのカードが合わなかった。
7が9枚あったり3が7枚しかなかったり。

おそらく彼らは好機を窺っていたのだ。
カメラの位置、使っているカード、そして黒服が甘そうな時間帯・・
それを調べ尽くした上で、この日一気に抜きに来たのだ。

「なぁ。あいつらまた来ると思うか?」

ニシムラが僕に尋ねてきた。

「どうでしょう・・これだけ派手に抜いたら来ないかもしれないですね。
場合によっては疑われるのは奴らも分かってるでしょうし」

僕がそう答えると、ニシムラはため息をつきながら

「だよな・・ゴトってのは短期が勝負だからな・・」

と呟くように言った。
彼らが再びゴトを仕掛けに来れば、ケリを着けるのは難しくない。
ケツ持ちを呼んで、ビデオテープを渡せば
ケツ持ちは問答無用で彼らの身体検査をするだろう。
そして、すり替えるためのカードが出てくるはずだ。

そうなれば、後はいくら取れるかの話になる。
ゴトを仕掛けるくらいだから連中にもケツ持ちはいるだろうが、
身柄を押さえてしまえば話を優勢に進められるわけだ。

問題は彼らが二度と来なかった場合だ。
この場合、彼らは相当な場数を踏んでいることになる。

偵察して、馴染みになってから、ゴトを仕掛ける。
そして一回だけで未練を残さずに去る。
一回だけなら発覚しない可能性も高いし、
発覚したとしても現行犯以外なら逃げることも難しくはない。

そこまで計算していることになるからだ。

「参ったな・・上にどう説明しようか・・」

ニシムラは言ったが、その答えは僕には分からなかった。
このまま黙っていて、普通の勝負で負けたことにする手もあるだろう。
ゴトを見破れずにやられたとなれば、確実に責任を問われる。

けれど、それを隠蔽してから後で発覚すれば
共犯の疑いをかけられても文句は言えないことにもなる。
どちらを取るかは、何とも判断しにくい話だった。

数日後。

僕が出勤すると、見慣れない男がいた。
聞けば、今日から新しく入ってきた黒服だと言う。
初対面の挨拶を交わし、仕事に就こうとするとニシムラに呼ばれた。

「ちょっといいか」

そう言ってニシムラは、近くの喫茶店に僕を連れて行った。

「実はな・・」

ニシムラが口にした言葉を聞いて、僕は耳を疑った。

「お前には悪いんだけど、今日で上がってくれるか・・」

要は首だということだ。

「理由、聞きたいか?」

そう尋ねられて僕は答えた。

「そうですね。俺には何も疚しいところはないですし
ゴトを仕掛けられたのは俺の出勤する前でしたよね。
見逃したのは俺のせいじゃないですし、俺なりにちゃんと働いてきたんで
できれば切られる理由は聞きたいです」

ニシムラは言いにくそうにしていたが
やがて説明してくれた。

つまり、ニシムラは事の次第をオーナーに報告した。
ゴトを仕掛けられた上に、犯人を取り逃がしたことをだ。
当然オーナーは激怒し、ニシムラの責任を追及した。
のみならず、オーナーはニシムラに任せておけないと言い出して
どこかから別の責任者を呼んできたというわけだ。

そうなれば人は余り、人員を整理しなくてはならなくなる。
誰を切るか、となれば一番新入りが切られるというのは
別にこの店でなくても良くある話だ。

能力などを明確な数値で示すことはできないけれど
その店で働いた年月は明確な数値で示せる。
3年、2年半、1年、2ヶ月・・簡単な数値だ。

「俺も責任者外されて降格だ。すまんな」

そう言って頭を下げるニシムラに、僕は言った。

「いえ、そういうことならしょうがないです。
別にニシムラさんが悪いわけじゃないですし」

喫茶店を出て、僕は知人の業界人に電話をかけて仕事の口を探した。
幸い、すぐに次の店は決まり、条件もさほど悪くは無かった。

新しく移った店で、僕はそれまでと同じように仕事を続けた。
店が違っても、やることは同じだ。
客が来て、勝負をして、誰かは勝ち、誰かが負ける。
そして最終的には、ほとんど全ての客が負ける。
何も変わらない。どこでも一緒だ。

そんな日々を繰り返していた僕の耳に
ある日、ちょっとした噂が飛び込んできた。
ニシムラの話だ。

何でもニシムラは、都内各地だけでなく
横浜や西川口のカジノまでゴトの犯人を捜し歩き、
ついに彼らを見つけ出した。
仕事の前後、休日、空き時間を全てそこに費やしたらしい。

そしてケツ持ちと一緒に彼らと対峙し、
ゴトで抜かれた金を回収したというのだ。

もちろん全額ではないだろう。
ケツ持ち同士の話になるはずだが
現行犯で無い以上、テープだけで突っ張れるとは限らない。
相手の顔を立てて半分戻すという程度で手を打つケースも多い。

自分のケツ持ちにさらにその半分を渡すわけだから
(一般的に「取り半」と呼ばれるものだ)
実際に回収できた金は100万がせいぜいだろう。
どれくらいの日数を要したかは分からないが
決して割のいい話ではない。

けれど、僕はニシムラの気持ちが良く分かった。

このままやられっぱなしではいられない。
このままだと舐められて終わってしまう。

それはある意味、ニシムラにとっては死に等しい。
となれば、何としても雪辱しなくてはならない。
ゴト仕掛けられて降格された間抜け、
というレッテルを剥がさなければならない。

舐められたら負け、か・・。

感心したような、呆れたような思いで、
僕はニシムラの口癖を思い出した。
言うのは簡単だけれど、それを実際に貫くのは本当に難しいのが
まだ青い、当時の僕にも分かっていたから。

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The Outcasts・28-5

状況証拠というか何かおかしいとは僕も思っていた。
いきなりいつものベットよりも多く張り、しかもそれがことごとく当たる。
どこかであぶく銭を手にした可能性も無いわけではないが
それにしても多く張った時だけ当たるというのに違和感がある。

けれど、それが何なのかは、まだ分からなかった。
とにかく、それを見つけないことには店が潰れる。
ニシムラは従業員を返した後、キャッシャーに籠もった。

僕は出勤直後だったこともあって帰りづらく、
皆が帰った後も店に残って休憩室の掃除をするふりをしていた。

するとニシムラが僕を呼んだ。

「お前、暇なら一緒に見てくれ。
一人よりは二人の方が気づくことってあるしさ」

そして僕はニシムラと一緒にキャッシャーに入り
14インチのモニターを睨んだ。

不正があるとすれば、まず考えられるのは
従業員とのグルだ。

特殊塗料の痕跡があるかどうかは後で調べるとして
まず一番可能性があるのは手仕事だ。

シヨウ・カードに怪しい点が無いか、
シャッフルはきちんと正しく混ぜられているか、
最後のインチョンカットと呼ばれる組カード防止のためのカットは
きちんと行われているか。

念のために数回見直したけれど、どれもちゃんとなされていた。
そういう不正であれば、見れば分かるのだ。
もちろんシューターも取り替えられたりはしていない。

ではゲーム中に何かされているのか・・。

僕は画面の中の無音の映像に目を凝らす。

ディーラーが最初に4枚カードを出す。
プレーヤー・バンカー・プレーヤー・バンカー。

そしてそれぞれの1枚目のカードをめくり数字を晒し、
2枚目のカードをそれぞれのベットした客の手元に渡す。

めくられたカードと合わせて9に近い方が勝ちだから
客は9に近くなるように念じながら、2枚目のカードをゆっくり見る。
いわゆる「カードを絞る」という作業だ。
1シュートあたり大体70回くらいそれを繰り返す。

音は聞こえないけれど、仲間内だけだからか
それとも好調だからか、彼らは何事か話しながらゲームを進める。
彼らが張っているのは同じ方とは限らない。
一人がプレーヤーに張って二人がバンカーに張ることもある。
もちろんその逆もある。

以前見た時もそうだった。
そして彼らはカードを絞りながら、反対側に張っている相手に

「よし、足があった!」
「こっちだって足あったぞ!」
「どうだ、負け無しだ!」
「うわぁ、そりゃ参った」

などと挑発や煽り合いをしながらゲームに興じていた。
音声は聞こえないけれど、その様子はモニターからも分かった。
特に不自然なことは何も無かった。

ふと横のニシムラを見ると、腕組みをしながら画面を見つめている。
不精ひげがまばらに伸びた顔には疲れが滲む。
けれどどれほど疲れていても、この作業をしないわけにはいかない。
不正がなされていない、という確信が持てない限り
ハウスの胴金を出すオーナーに報告できないからだ。

ビデオテープが終わりまで進み、
次の画面を録画したテープに差し替える。
先ほどまでの続きが映し出され
同じようにゲームが進んでいった。

その時だった。

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The Outcasts・28-4

ある日、僕が出勤すると、ちょうどニシムラがビルから出てくるところだった。
挨拶をすると、ニシムラは苛立ったような口調で

「ちょっと出てくるから場面から目を離すな。
何か変だと思ったらすぐに電話してくれ」

そう言って急いでどこかに行ってしまった。

何があったんだ・・

僕は不安を抱えながらエレベーターに乗り
店のある階で降りて店に入った。
店内ではやけに大きな声が響き、騒々しい雰囲気を醸し出していた。

すぐにテーブルの方を見る。
するとそこにはその3人組がいた。
他に客はいなかったけれど、
一見して彼らが数百万以上のチップを持っているのが見て取れた。

慌ててキャッシャーに行き、彼らの使った金額を尋ねる。
何と彼らは、初回の30万ずつしかチップを買っていなかった。
日報を見ると、その時点の店のマイナスは500万を越えていた。

集計表を見ると、彼らが来店したのは2時間ほど前の時刻だったから
彼らはものの2シュート・・140ゲームくらいだ・・で
手持ちのチップを500万以上増やしたことになる。

毎回3人で30万を張るとしても、20回近く勝ち越している計算だ。

プレーヤーかバンカーの「ツラ」と呼ばれる連勝があったり
あるいはあまりにも規則正しい出目があったり、
ドローの連発などがあったりすれば、客が大勝することも稀ではない。

が、有り得ないとは言えないけれど、簡単に起きる事象でもない。

よっぽど変な目が出たのかな・・

僕はそう思って、それまでに終わったゲームの罫線=スコアを見た。
確かに、ある程度の規則性は見て取れなくもなかった。
けれど、そこまで大勝できるほどのものとも思えなかったのも事実だった。
しかも聞けば、多く張った時に決まって勝つのだという。

バカラの出目というのはプレーヤーとバンカーとドローしかない。
必ずどれかが出ることになっているのだけれど
過去の出目を記録して、そこに何らかの規則性を見出して遊ぶゲームだ。

例えば・・
プレーヤー(P)が2回、バンカー(B)が2回勝ち、
その次にプレーヤーが2回勝てば
ほとんどの打ち手は次にバンカーに張る。
PPBBPP、こう出れば次はBだとそれは思うのが人間の性だ。

「テッパンでバンカーだろ」
「自信あり!」

そんなことを口々に言いながら客はベットをする。
自信があればあるほど大きく張るのも自然なことだ。

けれど、テッパン、なんて無い。
良く言われることだけれど、
カードは自分の前後にどのカードがあるのか知らない。
まして前回の勝敗なんてカードが知るはずも無い。

1枚カードが変われば勝敗が変わる、それがバカラだ。

PPBBPPと出た次にまたPが出るのも
実際にはBが出るのとほぼ同じくらいある。

自信があろうと無かろうと、勝つ時は勝つし負ける時は負ける。
結果として控除率分を負担して、客は負けていく。
自信があった時に必ず勝てれば蔵が建つどころではなく大富豪だ。
必勝、絶対、テッパンなんてものはそれこそ絶対に無い。

なのに、彼らは大きく張った時に必ず、100%、勝った。

となると、そこに何らかの作為が入った可能性を考えなければ
僕らの仕事は勤まらない。
たとえ結果的にそれが単なる客の幸運だったとしてもだ。

僕は急いでテーブルの傍に行ったが
程なくしてシュートが終わり、彼らは手持ちのチップを一斉に換金した。
そこに作為を見つけるにはあまりにも時間が足りなかった。

彼らに札束を渡すと、

「よーし、今日はハウスをやっつけたぞ!」
「たまにゃ勝たないとやってられんよな」

などと軽口を叩きながら、彼らは帰っていき
僕らは頭を下げながらそれを見送るだけだった。

しばらくしてニシムラが戻ってきた。
胴金がどうのこうのという話をしていたところを見ると
おそらくハウスの金が足りなくなりそうなのを見越して
どこかに胴金を取りに行っていたのだろう。

店にいくら置いていたのかは僕は知らなかったが
400万抜かれてしまえば、補充は必要になるはずだ。
ニシムラは平然としていたが、内心は穏やかではなかっただろう。

けれど不正を疑うに足る証拠は無かったし
証拠が無ければ、それは客がついていたと思うしかないのだ。

彼らが帰った後、ニシムラは黒服やディーラーを集めた。

「今日は一旦店閉めるから。
何かやられてたら舐められるどころじゃねぇし
舐められたらこの商売できねぇぞ」

耳慣れた決まり文句もその時は重く響いた。

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The Outcasts・28-3

ビールで簡単に乾杯をし、刺身や煮物をつつきながら、
僕とニシムラは他愛も無い話をした。
最初のうちは、何か説教でもされるのかと思って身構えていたのだけれど
やがて打ち解けて話もできるようになっていった。

焼酎やら日本酒やらを数杯重ねたころだろうか、
ニシムラが突然言った。

「ちょっと手出してみ」

言われるがままに僕は右手を出す。
するとニシムラは僕の手を握ってこう言った。

「思いっきり握ってみろ」

僕は決して力自慢ではないが
一応は運動部だったから、握力はそれなりにある。
だからいきなり全力を出すのも躊躇われて、8割くらいの力で握った。

「嘘だろ、もっと本気で握れよ」

煽るような口調でニシムラが言い、
僕は最後には全力で握ることになった。

「まぁまぁってとこか。じゃ今度は俺の番だな」

不敵な笑いを浮かべながら、ニシムラが言い
不意に手に力を込めた。

「いてててて」

恐ろしい怪力だった。
リンゴを握りつぶすレスラーがいたけれど
この男はもしかしたら頭蓋骨だって握り潰すかもしれない、
そんなことを思わせるほどの力だった。

時間にすれば5秒も経っていなかったはずだが
ニシムラが力を緩めた時には
僕は思わず手をさすっていた。

「ははは、悪い悪い」

こともなげにそう言うニシムラに僕は尋ねた。

「握力、何kgくらいあるんですか?」

「うーん、80は間違いなくあるよ。
調子がよければ90超えるんじゃないかな」

ニシムラはそう答え、さらに言葉を続けた。

「俺はさ、ガキの頃からチビでさ、よく苛められたんだ。
昔は細かったしな、舐められっぱなしだったよ。
そういう連中に舐められないようにと思ったら体鍛えるしかないだろ。
やっぱりさ、男は舐められたらダメだよな」

なるほど、僕はそう思った。
背が低いということをコンプレックスとして持っているから
ニシムラは体を鍛え抜き、同時に
他人に舐められまいということを自分に課しているのだ。

もちろん、そういった事実で
僕がニシムラへの態度を変えるはずは無かったけれど
コンプレックスの原因が、他者からは窺い知れないということを
改めて気づかされるようにはなったように思う。

そんなある日、僕が出勤すると、
店に3人連れの新規客が来ていた。
打っていたのは30万のバランスのテーブルだ。

年齢は、おそらく40代が2人で1人は30代だったろうか。
中心になっているのは、色の黒い、目付きの鋭い男で、
一見して堅気の人間ではないのが分かった。
かといって、極道でもない。

おそらくは同じような商売、カジノかゲーム屋か・・
そんなことを生業にしているような雰囲気だった。

残りの2人のうち、若い男は、
どちらかというと優男の雰囲気だったが
3人は仲が良いようで、軽口を叩きながらゲームに興じていた。

「誰かの紹介ですか?」

僕はニシムラに近寄っていき尋ねた。
同業のような雰囲気を持つ連中、ということは
誰かの紹介でも無ければ、受けにくいタイプの客だったからだ。

同業というのは、良くも悪くもこの世界について知り尽くしているだけに
ちょっとした粗相で因縁を付けられたりもしかねないし
負けが込めば、返金だのサービスだのと言いかねない。

それに、これから自分が接客する上で、
その客がどういう経路で来たかを知っておくのは会話もしやすい。

「うん、一人は歌舞伎町のハウスで何回か見たこともある。
残りは知らないけど、店も暇だし受けないわけにもいかないしな」

ニシムラはそう言って、彼らの遊び方をずっと見ていた。
もちろん僕も別の角度から観察したのだけれど
彼らの遊び方には特に不審な点は無く、
数時間後、1人が負けて「パンクだ」と言ったところで
他の2人も持っていたチップを換金して帰っていった。

3人でトータルすれば10万も浮いていなかったが
財布が一緒かどうかはもちろん分からないから
それ自体は致し方のないことではあった。

3人が同じ懐なら10万の勝ち、
別々の懐なら、1人が負けで2人が勝ち、
ただそれだけのことだ。

彼ら3人の遊び方がサービス目当てで無い限り、
それをとやかく言うことは出来ないし
彼らの遊び方は、特にサービス目的とまでは言えなかった。
ベット自体はせいぜい張って5万くらいだったけれど
遊ぶ時間の長さを考えれば、サービス分は確実に控除できていたからだ。

そして彼らは、その後もちょくちょく顔を出すようになった。
他の客がいる時は、3人で寄り添って、
他に客がいない時は、それぞれ好きな席に座って
冗談や野次を飛ばしながら彼らはゲームに興じた。

ニシムラや僕を含めた他の黒服にも彼らは懐っこく話しかけ、
時々差し入れと称して、屋台で売っているたこ焼きなどを持ってきたりもした。
物に釣られたわけではないけれど、彼らの遊び方と態度を見ていれば
特別扱いはしなくても、必要以上の警戒まではしなくなっていった。

そう、言ってしまえば、ごく普通の常連客へとなっていったのだ。

もちろん、ある日までは、だったのだけれど。

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The Outcasts・28-2

最初にニシムラと会ったのは、バブルの名残が残る時代で
僕がまだ別の店にいる時だった。

僕の店の上司と知り合いだったニシムラは
当時僕がいた店にちょくちょく遊びに来ていた。
小柄だけれど胸板の厚い男で、
いつもサングラスをかけていた。

使うのは10万か20万くらいだったけれど
おそらくそれは偵察というか情報収集が目的で
勝ち負けにはそれほど拘っていなかったように思う。

その代わり、打ち終えた後には必ず、
上司と世間話や噂話を交わして、
時折僕にもちょっとした質問を投げかけてきたりした。

そして僕のいた店が、複数いたオーナー同士の揉め事のせいで閉まると
上司を通じてすぐに声をかけてきた。

「もちろんウチで欠員が出たから声かけるんだけどさ、
使えなさそうな奴呼んだって仕方ないから
自分の頭にある使えそうな奴の中で、その時空いてる奴を呼ぶのさ。
人間関係なんて所詮はタイミングなんだよ」

面接に指定された喫茶店でコーヒーをすすりながら
ニシムラは真顔でそう言い、僕に条件を提示した。
特に不満を持つような内容ではなかった、どころか
むしろ新参の小僧としては良い部類だったと思う。

もちろん、僕は懸命に働いた。
今のところ使える奴と思われているからといって
それは恒久的な評価ではない。

ちょっと可愛がられたくらいで調子に乗った小僧、
そんなレッテルに変化するのはあっという間なのだ。

ニシムラの店は、常連を中心とした落ち着いた店で
常連客と一緒に食事に行ったりすることも多かったけれど
その分、馴れ合いや不正にはひどく敏感だった。

不正、というのは店が客を殺すために仕掛けるものもあれば
客が店から金を抜こうとして仕掛けるものもある。
ただし、手口自体は共通している。
使う側と使われる側が入れ替わっているだけだ。

ニシムラの店にいた当時、イカサマと言えば手仕事が多く
特殊塗料を使ったイカサマは主流ではなかった。
そこまでカメラが発達していなかったからだ。

手仕事となると、これは客側が単独で仕掛けるものではなく
店側の従業員を抱きこむ形になる。
だからニシムラは馴れ合いに敏感になっていたわけだ。

もちろんそれだけではなく、
隙を見てシューターごと取り替えてしまうような手口もあったし
もっと荒っぽい強盗のようなケースもあったから
用心するべき点は決して少なくはなかった。

当時もカメラは付いていたのだけれど
ズーム機能も無かったし、画素数も低いもので
細かい手仕事は、よほど注意していないと判別できない。

結局のところ、人の目が頼りにならざるを得なかったし
ニシムラ自身、店に居る時はいつもテーブルの見えるところにいた。

「俺がここにいれば、ゴト仕掛けようと思ってもびびるだろうし
下の人間もちゃんと場面を見るようになるだろ。
客にぼけっと立ってるだけだと思われたら舐められるからな」

ニシムラは僕だけではなくみんなにそう言って
最後には必ず

「いいか、舐められたら負けだぞ」

という例の決まり文句で締めた。
それはもう、哲学とか信念とかいう言葉だけでは言い表せない、
ニシムラの生き方そのものだったんだと思う。

ある日、僕はニシムラと飲みに行ったことがあった。
特に何かがあったわけではなかったと思うが
ニシムラが誘ってきたのだ。
僕とニシムラは時間がずれているシフトだったのだけれど
その日はたまたまニシムラが遅くまで残っていたのだ。

「今あがりだったっけ?じゃ一杯行こうか」

ニシムラはそう言って僕を誘い、
明け方どころか昼前までやっている歌舞伎町の小料理屋に入った。

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The Outcasts・28

アンダーグラウンドの世界で生きていこうとした時、
決して忘れてはいけないことがある。

それは「レッテル」を貼られてはならない、ということだ。

もちろんレッテルとは、世間一般で言われているように
決して良い意味では使われない。

博打の世界に付き物のイカサマや不正、
それをみすみす見逃すような盆暗だと思われること、
あるいはそういった不正やイカサマに
自ら手を染めていると思われること、

客あしらい一つ満足にできないような
使えない人間だと思われること、

あるいは、アドバンテージがある勝負を受けているのに
それに勝ち抜けないような勝負弱い人間だと思われること、

そういったレッテルを貼られることで
その人間の世界はどんどん狭く、小さくなっていく。

小さくなっていくのは世界だけではない。
その人間の精神性さえも、卑屈で矮小になっていく。

何故なら、彼はそうしなければ生きていけない。
オーナーや責任者に阿り、媚びて、嫌われないようにしなければ
彼が生き残る術は無い。
今さら真っ当な勤め人になどなれるはずもなく、
かといって、独力で事業や商売を始めるだけの才覚も無い。

イエスマンでも歯車でもいいから、そこにしがみ付かなければ
行き着く先は使い捨ての駒だ。
重要なことは何一つ知らされず、
人員整理の話が出ると真っ先に切られる。
もちろん補償なんて何も得られない。

パクられたところで弁護士はもとより差し入れ一つ来ない。
庇わなくても謳いようがないからだ。

もとより、評価というものは、自分が決めるものではない。

良い評価を確立させて、
それを自分で掲げればそれは「看板」と呼ばれるが
悪い評価をぶら下げて歩けば、それはただのレッテルだ。

そして、看板を汚されてそのままにしておくと
それはやがてレッテルへと変わっていく。

この世界で生きていく限り、
地に落とされた評価は、
たとえどんなに苦労と時間がかかったとしても戻さなければならない。
辱めを雪ぐ、とはそういうものなのだ。

「お前なぁ、この世界は舐められたら負けなんだよ」

僕が働いていた店のソファに座り、マルボロメンソールを吸いながら
ニシムラは僕にそう言った。
いや、僕だけではなく、彼の下で働く全ての人間にそう言っていた。

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The Outcasts・27-6

事件、と言っても、店には直接関係は無かった。
ただ、影響は非常に大きかったと言わざるを得ない。

チャンが強制送還されたのだ。

悪事が発覚して当局に拘束された、というのではない。
チャンのような幹部クラスは、
そう簡単にはそういったことで引っ張られない。
直接の実行犯にはまずならないからだ。

蓮がたどたどしい日本語で話した内容と
周囲の中国人の話を総合すると、こういうことだった。

チャンがたまたま訪れた中国系のクラブに
入国管理局が強制捜査に入った。
歌舞伎町では良くある話だ。

不法滞在の中国人ホステスを連行した後、
捜査官はチャンにも外国人登録証の提示を求め、
チャンが提示したそれを見て偽造と見破ったらしい。

「あのヒト持ってる登録証、普通の警官は見ても分からない。
ホントのプロだけ分かる」

口惜しそうに蓮は言った。
確かに、最近の偽造技術は格段の進歩をしていて
僕ら素人が見てもまず見破れないものらしい。
入国管理局の捜査員でも判断に迷う物もあるらしいが
真贋を判定する専門家も最近は同行するようになっているのだ。

チャンにとってはアンラッキーだったし
店の売り上げにとっても打撃は大きかったが
大口の客が一人いないからと言って
即座に経営が苦しくなるわけでもない。

痛いけどしょうがないか・・

事件直後、僕はそんなことを思うだけだった。

けれど、チャンがいなくなった影響は
思わぬ形で店に波及した。

店に来る中国人女性客の中で
より格上の男と付き合っている者が
派閥のボス的存在になることは既に書いた。

チャンの存在によって一目置かれ
派閥に属さずに独自の路線を歩んでいた蓮。
ボス格にも怯まずに言いたいことを言えたのは
そのパワーバランスが保たれていたからだ。

それが崩れたのだ。

今まで面白くない思いをしていたのだろう、
ボス格の中国人たちは、
蓮や玲に、露骨に罵声を浴びせるようになった。
反目に回ったりすれば、ほとんど喧嘩腰でベットを下げさせた。

今までのように、蓮がうるさいと文句を言っても
全く聞き入れるそぶりを見せなくなった。
むしろさらに大きな声で何事かを言い返し、
今度は蓮が悔しそうに黙りこむようになった。

怒鳴りあうような声が店に響き、
店の人間が慌てて飛んで行って注意してから
ようやく静かにする始末だった。

それから、例えば空席が一席しか無い場合には
蓮以外の客には手持ちを溶かした誰かが席を譲っていたのに
蓮に対しては知らん顔をして居座るようになった。

店の従業員が遊ばないなら席を空けてくれと頼むと
ボス格が自分のチップを何枚か貸してやって
プレイを再開させてわざと空席を作らないようにする有様で、
今まで黙認していたギャラリー行為を一切禁止せざるを得なくなり、
店として余計な業務を抱えることになった。

それ自体は致し方のないことではあるが
女の戦いの陰湿さと凄惨さを目の当たりにして
僕は正直に言って恐怖に近い感情すら抱いたのと同時に
少しだけ、不思議に思うことがあった。

なぜ、そんな屈辱を味わってまで
蓮と玲はこの店に来るのだろうか。

他にもカジノはいくらでもあった。
新たに店を開拓しておとなしくしていれば
少なくとも露骨な嫌がらせは避けられるはずだ。

屈辱に唇をかみ締めてまで
この店で勝負を続けていた蓮と玲。

いくらチャンとは言え、もう一度日本に来るのは
そう簡単なことではないはずだが
その日まで耐え続けるつもりなのかと思っていた。

ところが。

そういった嫌がらせがどれくらい続いただろうか。
ある日、ふと僕が気が付くと
その嫌がらせはピタリと止んでいた。
チャンがいた頃と同じような応対に変わっていたのだ。

僕はてっきりチャンが戻ってきたのかと思い
ゲームの合間に、あくまでさりげなく蓮に尋ねた。

「チャンさん元気?今どうしてるの?」

蓮はちょっと寂しそうに笑って言った。

「向こうにいる。戻って来れない」

となると、チャンが戻ってきたわけではなかった。
けれど、僕が見る限り、
パワーバランスは明らかに再び変化していた。

特に店の経営に影響があるようなことではないのだけれど
僕はそれが気になって、営業で行った中国クラブで
ホステスをしている中国人にそれとなく話を振った。

「チャンさんの彼女とAさん(ボス格の一人だ)たちは
仲直りしたのかな?
最近あんまり揉めてないみたいだけど」

実の所、そのホステス自身は大していい客ではなかったのだが
いわゆる事情通という存在で、
何かと情報を手に入れるには都合が良く
僕は時々彼女の店に行って金を落としてやっていた。

向こうもそれを自覚していたのか
知っていることは教えてくれた。

彼女が言うには・・

「別に仲直りってわけじゃないの。
やっぱり今までいろいろあったからね。
でもね、妹の方が最近彼氏が出来てね・・」

そういうことだったのか。
僕はようやく合点がいった。

後ろ盾になる男が失脚すれば
女の方も勢力を失うのが当然だけれど、
だからと言って、そうそう別の男に乗りかえられない。

蓮が後ろ盾を失った代わりに
今度は玲がそれなりの格の男と付き合うことで
崩れたパワーバランスは再び均衡するようになったのだ。

まさか、だから蓮は玲を今まで誰とも付き合わせなかったのか・・。

僕はそう思い至って背筋が寒くなった。

中国人の家族の絆と言うのはかなり強い。
どこに行っても彼らは故郷や家族を忘れないし
家族のために出来る限りのことをしようとする。

同時に、年長者が弟や妹に与える影響も大きい。
特に、異国で姉の庇護の元で暮らすような場合は
ほとんど絶対なのかもしれない。

首領格とは言え、いつ捕まるか分からない稼業で
なおかつグループ内の権力闘争もあったであろう男と
異国で付き合うようになった蓮。
そのおかげで彼女はいい暮らしと、優越感を味わってきたわけだ。

けれどいつその暮らしが失われるか分からない。
そんな時に、自分の身とプライドを守るには・・
蓮が玲に近づく男を厳選したとしても、全く不思議はない。

僕らの仕事にも、リスクは付きまとう。
だから、リスクは極力減らしたいし
何かの時のために、なるべく保険をかけておく。

けれど、異国の地で、それもアングラの世界で
生き抜こうとしている彼女たちから見たら
きっと甘すぎるんだろう。

そのしたたかさには、敵いそうもないな・・。
僕は、ただただ溜息をつくしかなかった。

もしかしたらそれは、中国人だけではなく
日本人の女も同じなのかもしれないけれど。

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The Outcasts・27-5

僕の知る限り、中国人は世界でも指折りの博打好きな民族だ。
世界中どこのカジノに行っても中国人の老若男女が大勢いて
どこのカジノでもわぁわぁと騒ぎながら博打を打つ。

「角(クヮン!!」
「零(リン)!ドロー!!」

そういった呼び込みもするし
次の予想はどっちだとかいった会話も頻繁にする。

そして、ただでさえ中国語というのは発音が強い言葉だから
普通に会話をしていても喧嘩をしているように聞こえる。
加えて彼らは非常に熱くなりやすい性質を持っているから
どうしても異常な大声を出して騒いでいるような状況になりがちだ。

日本のアングラカジノでも、それは同じだ。
中国人を入れている店では
女性だけであったとしても、それに頭を悩ませる。

日本人は博打場でわぁわぁと騒ぐことを嫌うからだ。
特に、自分にとって理解できない言語で喚かれれば
それはただの騒音にしかならない。

サービス目当てでシノギに来ているガジリなら
そういった騒音は我慢するのだろうけれど
そこそこ張るような客は、五月蝿いのを嫌がる。
するとせっかく盛り上がった場面が白けていってしまう。

黒服が注意しても、効果は長続きせず
半ば根競べのような感じになる。
そうすると現場にストレスが溜まってきて
他の接客にも影響が出るようになってくるのだ。

この点において、チャンとチャンの彼女は
店にとって非常にありがたい存在だった。

チャン自身は、中国人の女性が主に座るような
10バラや20バラといった低めのレートでは遊ばなかったが
蓮と玲は、低レートでおとなしく遊んでいた。

当時の店にはかなりの数の中国人の女性客が来ていたが
大きく分けて2,3の派閥があった。

別に彼女たちが乱闘をするわけではないのだけれど
何か注意をする時は派閥のボス格に納得させないと
なかなか効果が上がらない。

あまりに五月蝿い客は出入りを断るのだけれど
それもボス格が納得しないと余計に騒ぎになる。

チャンの彼女たちはどこかの派閥に属すと言うよりは
数人の小規模な派閥を形成しているようだったが
よくよく観察してみると、
どのボス格からも一目置かれているようだった。

ボス格の女性にも当然彼氏がいるのだけれど
おそらくチャンよりは格下だったのだろう。

男が女を惹きつける上で最も効果があるのは
世界中どこでも、金と権力だ。
男同士もそれを巡って争うのだけれど
女同士も代理戦争のようなことを繰り返す。

アングラカジノでは表立った抗争にはならなかったが
付き合っている男の格で、ある程度のところまでは
彼女たちの力関係が決まっているのは想像できた。

そして、店にとって幸いなことに、
蓮は静かに遊ぶことを好んだ。

さらに幸運なことに、五月蝿い中国人客がいると
ボス格に向かって鋭く何事かを言って
その客を静かにさせてくれたのだ。

効果は僕ら従業員が注意する時の比ではなかった。

蓮に文句を言われたボス格は
むっとした表情を見せながらも
該当者・・要は下っ端だ・・にきつい口調で何かを言い
言われた該当者はあっという間におとなしくなった。

「アンタのせいで恥かいたじゃない!」

そんな感じだったのだろう。

だけでなく、蓮が店側と同じスタンスを取ることで
店の従業員が同様な注意をする場合にも
同じような効果が生まれてきたのだ。

それから、中国人が嫌う「反目」に対しても
蓮は格上であることを見せ付けた。

例えば、ボス格がバンカーに張ったとする。
その場合、格下の者はプレイヤーに張りたくても張らない。
仮に張ったりするとボス格や取り巻きから罵声が飛び
ベットを半ば無理やり撤回させられることになる。

蓮は、そういったことを一向に気にせず
ボス格が一方に張っていても平気で反目に回った。
ベットがかち合うと、ボス格の方が嫌な顔でベットを撤回した。

その光景は、ベットが低くなる分、
店にとっては必ずしもプラスではなかったが
なかなか滑稽な有様ではあった。

ともあれそのおかげでその後しばらくの間、
店の安静はそこそこ(あくまでそこそこだ)高い状態で保たれて
賑わっているのにまずまず落ち着いて打てるということで
営業をかけて呼んだ日本人も定着するようになった。

当時の歌舞伎町で、1,2を争う繁盛店だったし
数字もかなり良いものだった。

「奴らがあちこち襲って手に入れた金を
国外に持ち出させないで国内で落とさせてるんだから
俺たちでも国の経済にとっては貢献してるよな」

僕らは冗談半分にそんなことを言いあった。

かなり抜けたし、そろそろ箱を替えようかという話も
その頃には上と交わしていた秋口のことだ。

ちょっとした事件が起きたのだ。

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The Outcasts・27-4

チャンは平均して月に1、2000万を落としていただろうか。
一人で落とす金額としてはかなり大きいものだけれど
チャンがそれを惜しんだり、苦しくなっている様子はなかった。

ということは、チャンはそれ以上の実入りがあったのだろう。

とはいえ、僕らとしてはそれに安穏としているわけにはいかない。
あまりに負けが込めば、いつ牙を剥くか分からない。
チャン以外の中国人男性は決して入れなかったし
チャンが連れてくることも無かった。

時々チャンは店があるビルの外まで
部下らしき男と一緒に来ることがあったが
部下は店内はもちろん、ビルの敷地にすら入らなかった。

チャンは自分のシノギを決して口にはしなかったけれど
チャンを昔から見ていた僕はもちろん薄々分かっていた。

おそらくチャンは、宝石店や高級住宅などを
油圧ジャッキや重機を使った荒っぽい手口で襲う
爆窃団のような組織の首領格だったはずだ。

ビルの入り口ではなく、外壁を破壊して侵入し
金目の物品を根こそぎ奪い取る手口は
ここ数年、かなりの被害を出していた。

数年前に僕がチャンを見た時(当時は蓮とは一緒ではなかった)、
チャンは自分の下の人間から分厚い封筒を受け取っていたし
ある時には現物そのものを受け取ったりもしていた。

なぜそれが現物と分かったかと言うと
チャンは店の社長や僕の所に来て
先刻受け取ったアタッシュを開けて言ったからだ。

「どれか好きなの買わない?」

アタッシュの中には、高級時計が何本もあった。
ロレックス、カルティエ、オメガ・・・
値札が付いたままのその時計は
明らかに本物であり、明らかに盗品だった。
どこかの宝石店を襲った戦利品だったのだろう。

「ロレックスは70%、他は50%でイイヨ」

不敵な笑いを浮かべてチャンは言った。
僕は時計というものにあまり興味が無かったので
チャンがこれを手に入れた背景を想像するだけだったが
横にいた社長は購買意欲をそそられた様子だった。

「このロレックス半値にしてよ」

盗品だと高をくくってか、そう値切ろうとする社長に
チャンは即座に答えた。

「ロレックスはダメ。売れるから。
でもカルティエも買ってくれるなら半分でいいよ。
社長の彼女にあげたら喜ぶよ」

基本的に、こと小売に関しては
普通の日本人は中国人の敵ではない。
彼らは何と言っても華僑を生み出した人種なのだ。

その時に、別の客の対応をしなければならなくなって
僕はその場を離れてしまい、
結局、社長が時計を買ったかどうかは定かではない。

ただ、当時ならいざ知らず
当局による対中国人の警戒態勢がこれだけ厳しくなった今、
以前と同じように、店で盗品を捌かせるわけにはいかない。

僕はチャンの機嫌が良さそうな時を見計らって
その意向をそれとなくチャンに伝えた。
チャンはにっこり笑って

「ダイジョウブ、今はそういうの持ち歩かないから」

とだけ言った。
僕らよりも本人の方が用心しているということだったのだろう。

チャンが来ることで、店にとって都合が良いことが
実はもう一つあった。

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The Outcasts・27-3

チャンが歌舞伎町に出没しだしたのは
多分、まだ、中国人でも比較的自由に
アングラカジノに出入りできる時代だった。

日本語も下手ではなかったし
盆面も悪くなかった。
もちろん、羽振りも良かった。

ただ、バカラに関してはやはりカモでしかなかった。
張りっぷりがいいから、勝てば数百万を抜かれるが
勝った金など数日すれば回収できるし
そもそも滅多に勝たないのだ。

だからこそ、中国人男性を規制するようになってからも
僕はチャンを受け続けていたのだとも言える。
来れば数百万単位の勝ち負けになるわけだから
まずまずビッグベッターと呼べる客なのだ。

僕のいた店が新たにオープンしてまもない頃
僕はチャンと区役所通りでばったり会った。
見るからに中国人と分かる男数人と歩いていたチャンは
僕を見つけると近寄ってきて

「遊べる?」

と尋ねてきた。

「チャンさんだけなら」

と僕は答え、チャンはそれにそれに頷いて
連れの男たちに何かを言って別れた。

そして僕は、そこからすぐのところにあった
当時の自分の店へと連れていった。

店には中国人の女性客が数人いたけれど
チャンはその全員と知り合いのようで
中国人女性たちは一様にチャンに声をかけ
チャンも鷹揚にそれに答えていた。

そしてチャンは携帯電話でどこかに電話をかけた後、
奥の高レートテーブルに座り
万札のズクを5つ出してゲームを始めた。

程なく、派手な顔立ちをしたチャンの彼女がやってきて
他の中国人女性が遊んでいるのと同じテーブルに着いて
20万分のチップを買って遊び始めた。

会員規約への同意書へのサインは
彼女は「蓮」と書いた。
本名かどうかはもちろん知らない。

それからも、チャンとチャンの彼女は
僕のいた店に頻繁に来るようになり
店の売り上げにずいぶん貢献してくれるようになった。
いつの頃からか、蓮は妹と言ってもう一人女性を連れてきて
妹の方は同意書に「玲」と記した。

姉同様、妹の方もかなりの美人だったけれど
そちらには男の気配は全く無く
僕は実は二人ともチャンの彼女なのかと思ったりもした。
蓮よりも玲の方に気を使っているチャンの様子を見ると、
そうではなさそうなのはすぐに分かったが。

それはともかく、ビッグベッターが盆に一人いると
他の客も煽られて大きく張ったりするようになる。
プレイヤーとバンカーの両方にかなりのベットが置かれる、
いわゆる「いい場面」が出来てくる。

そして「あの店ではいい場面が出来ている」という噂が
別のビッグベッターを引き寄せるようになる。

それは当局に目を付けられる一因でもあるのだが
客が入らないことには、店が潤うはずがないし
流行っていようが寂れていようがリスクは存在する。

ならば腹をくくって臨むしかない、
それが当時の僕の置かれた状況だった。

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The Outcasts・27-2

そもそも、アンダーグラウンドのカジノの世界では
金は、基本的に闇の中を動いていく。

チップを買ったからといって領収書も出ないし
大勝しても不労所得の申告をする人間もいない。
従業員の給料からの源泉徴収や保険の天引きも無い。

一番初めの開店時の資金すら
どこからどういう流れでやってきたのか
知っているのはオーナーだけだ。

当然、強盗の被害にあったところで
警察に届けられるはずはない。
(客が被害者になって、被害届を出すのなら別だけれど)

店の(あるいは客の)金を狙っているのは彼らだけではない。

従業員がヨコ(横領)で金を抜こうとしているかもしれないし
客がゴトを仕掛けに来ているかもしれない。
キャッシャーが胴金を持って逃げてしまうかもしれない。

さらに言うなら、摘発されてしまえばその金は没収されて
国庫に入ってしまうことになる。

(それでも尚、手を出してみようかと思うくらい
カジノというのは金が落ちるものなのだ、と言えば
合法的に運営できるのなら、と
地方自治体などがカジノ法案に色気を見せるのは
理解できるのではないかと思う)

話が、少し逸れた。

乱闘だの強盗だのときな臭い話が次々に発生した結果
大抵のカジノでは中国人男性を無条件には受けなくなったが
条件付で彼らを入れる店というのは何軒かは存在した。

張りっぷりが良く、盆面のいい客であること、
顔馴染みの黒服がいて、日本語で会話が出来ること
そういう人間だけを選んで受けていくのだ。

多くの場合、そういう中国人は
彼ら不良グループ(もちろん荒稼ぎしている)の幹部クラスだ。
取り巻きも入れないし、友達でも紹介客は受けない、
その人間だけ入店を認める、という条件を呑むなら受ける。

一般的に、中国人は僕ら日本人が想像するよりもずっと
面子や体面というものを重要視する。
面子を潰されたと感じた時の怒りは大変なものだ。

逆に言えば、普通の・・いや、普通ではないか・・
平凡な中国人が入れない場所に
自分だけが特別に入ることが出来る、というのが
中国人不良のある種のステイタスになっていく側面もある。

よほどシノギに詰まってくれば牙を剥くこともあるだろうが
カジノの寿命の方がよっぽど早く尽きるから
そんな気配がすれば店を閉めてしまえばいい。

少なくとも、不良のリーダー格を入れて面子を立てておけば
その場所を荒らさせないようにしてくれるのだ。

チャンはそんな特別な中国人の一人だった。

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The Outcasts・27

アングラカジノの世界で一日に動く金は大きい。

店側が受ける、客のプレイヤーとバンカーへのベットの差額が
10万から30万くらいのテーブルしかない小中規模の店でも
店に置いている胴金は少なくとも300万はある。

50万から100万といった高額なテーブルを置く店であれば
最低1000万程度は置いていないと
客が大勝した時に(もちろんそういうこともある)
換金用の資金がショートしてしまう。

客が勝った時に勝ち金が付けられないというのは
アングラの賭場では致命的だ。
チップを買う時は現金を出さなければ買えないのに
それを換金できない賭場で打つ者などいない。

だから、アングラカジノの店の中には
胴金として置いている金と客が持ってきている金を併せれば
数千万もの金があるということになる。
ある意味では、誰もがそれを虎視眈々と狙っているわけだ。

そして、その割にはセキュリティは甘い。

武装したガードマンがいるわけでもなければ
防弾ガラスがキャッシャーに張られているわけでもない。

その結果、一時期カジノを襲う強盗などというものも頻発した。
客を装って店内に入り、頃合いを見計らって襲う。
中国人密入国者の集団などが形成するチャイニーズマフィアは
銃や青龍刀などを持ってきて襲うから、誰も抵抗出来ない。

しかも彼らは、店側だけでなく、店で遊んでいた客まで襲う。
手口も非常に荒っぽく、あちこちのカジノを襲った中には
猿轡代わりに口に巻いたガムテープで窒息死した客もいた。

そうなってくると、中国人男性が何人もいるような店には
日本人が近寄らなくなってしまうことになるから
都内のカジノでは中国人男性自体を最初から断るようになった。

警察白書などでどう分析されているかは知らないが
中国のように広大で、かつ言葉が何種類もあるような国では
人の行き来が非常に少ない。

例えば広東語を話す地域から上海語を話す地域に移る者は
よほどの事情が無い限りまずいない。

北京に関しては、北京語が公用語であることもあってか
その傾向はやや低いようだが、
いずれにしても人の交流が少ない分、
その地方によって気質がかなり異なる。

さらに踏み込んだ分析をするなら
日本にいるチャイニーズマフィアが主なシノギにすることも
彼らがもともといた地方によってずいぶん異なる。

福建省などのグループであれば
強盗、それもかなり荒っぽい手口の粗暴犯が多いし
上海のグループならカード偽造などの知能犯が多い。
東北などから来たグループであれば、北朝鮮に近いせいか
覚醒剤の密売などをシノギにしているようだ。

基本的には彼らは博打に関してはカモでしかないし
彼らが持ってくる金は魅力的ではあるのだけれど
彼らが博打を打ちに来ているのか
あるいは客を装っているだけなのかは外見では分からない。

もちろん最初は客として来ていたのが
金に詰まった挙句強盗になるというケースもある。

だったら最初から入れないようにするしかないので
中国人と思われる男性客に関しては
新規の時点で受けないようになってしまったのだ。

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The Outcasts・26-6

正直に告白すれば、残らされることになった瞬間は、
この後、憂鬱な展開が待っていると思っていた。

まさか金が届かずに拉致されたりはしないだろうが
届くまで軟禁状態になるのは間違いなかったからだ。
そして、それまでに受けるであろう罵詈雑言の嵐と
もしかしたらちょっとした暴力を考えないわけにはいかなかった。

ところが、店にいるのがハシモトと社長、そして僕だけになると
店の空気は思いがけない方向へ変化していった。

どういう風の吹き回しなのか、
彼らは一様に僕に対して同情的になったのだ。

「お兄ちゃんも可哀想にな、入ったばっかりなのに」

常連の何人かにはそんなことを言って慰められる始末だ。
その空気の変容ぶりを見て
まさかハシモトはこれを狙ったのかと僕は一瞬勘繰った。

常連は、馴れ合った顔であれば言いたいだけ文句を言うだろう。
あまり馴染みのない僕が残らされることによって
言いたいことを言いにくい状況を作り
僕に同情させることで、僕もハシモトも使われている身だということを
言外にアピールしたのかと思ったのだ。

更にうまいことに、譜代の黒服に対しても
自分が体を張って彼らをこの場から解放したことを主張できる。

もしかしたらそれは、単に僕が勘繰りすぎただけだったのかもしれないが
計算であればその保身の技術に舌を巻かざるを得ないし
偶然であったとしても、その生き残る嗅覚には驚嘆せざるを得なかった。

深夜になって、ようやく金が届いた。
どこかに走らされるかと思っていたが、使いの者がちゃんと持ってきた。
僕が出勤してから5時間ほど経過していただろうか。

彼らは店が本来取っているアウトコミッション=換金手数料を
当然のように負けさせて、ニヤニヤしながらハシモトに訊いた。

「で、店はいつから開けるの?」

ハシモトはすぐに答えた。

「一両日中には開けると思います」

この資金繰りの状況で、ここから更に数百万の胴金を
そんなにすぐ用意できるとは考えにくかったし
この際、店を何日か閉めてでも
立て直すための方策をここで決めておくべきだと思ったけれど
僕は何も言わずに、店をさっさと後にした。

その日の給料をもらいそびれていたことに気づいたのは
自分の部屋に着いた後のことだった。

次の日、ハシモトから電話があって
店でミーティングを行うと言う。
給料ももらえるのかと思って、僕は指定された時間に店に行った。

店にいたのは、譜代の黒服ばかりが7,8人ほどで
僕と同じように入ってきていた新入りの黒服は一人もいなかった。

既に話し合いが持たれていたらしく
彼らの前にある灰皿には
煙草の吸殻が山のように重なっていた。

僕が端っこに座ると、副責任者という肩書きを持っている男が
僕にこう言った。

「うちもね、やっぱりこのままじゃなかなか抜けないから
思い切って人を入れ替えていこうと思うんだ。
で、誰を残そうかっていう話になった結果
君に残ってもらおうかってことになってね。

ディーラーも黒服も入れ替えるから
使えるのがいたらどんどん呼んでいいよ」

恩着せがましく、とまでは行かないまでも
名誉に思えと言わんばかりの口調だった。

それに憤慨したわけではなかったが
僕はすぐに答えた。

「いえ、今日で上がらせてもらいたいんで辞退します」

するとハシモトが取り成すように言う。

「そう言うなよ。そりゃ昨日は大変な思いさせたけど
こっから立て直してうまく軌道に乗せられれば配当だって出すし
頼りにしてるんだからさ」

配当なんて言ったって上が吸い尽くした後なんでしょ。
流しそうめんの一番下にいる人間に
麺なんかいくらも流れてこないでしょうよ。
ろくに仕事もしないで店にしがみ付いてるだけのアンタ達と
この先ずっと馴れ合ってくつもりなんかこっちは無いんだよ。

僕はそう言いたかったけれど、それは抑えた。
その代わりに、自分のいた店が近々開くからという口実で
そのまま店を上がることを納得させた。
彼らから古参意識が抜けない限り、外様の立場で頑張ったところで
苦労が報われるとは思えなかった。

一週間前の申し出という約束はあったけれど
資金ショートを起こした時点で、それは反故になって
残ろうと辞めようとこちらの自由、というのがこの世界の常識なのだ。

後日、僕が自分の仕切る店を再開させた後、
風の噂でハシモトたちの店の話を聞いた。
結局、彼らはポンコツ(=イカサマ)で抜く店を立ち上げた挙句
誰かにめくられて大変な騒ぎになったらしい。

立て直すだけの知恵も才覚も無い彼らは
どんどんと細くなって行く胴金に焦り
手っ取り早く数字を上げるために
ばれさえしなければ確実なポンコツに手を染めたのだろう。

「いや、多分あれは身内に寝返られてますね。
客がいきなり天井ぶち破って、カメラズルズル引っ張り出して
てめぇらこれ何だってやりだしたらしいです。
100%の確証が無ければそんなこと出来ないですからね」

明け方、外に立つシキテンにコーヒーを差し入れて話しているうちに
ふとそんな話が出てきたのだ。

実のところ、カメラを使ったイカサマはコストとリスクが見合っていない。

手短に言えば特殊塗料でバーコードのようなものをカードの端に入れ
それを天井やディーラーの後ろからカメラで読み取って
それを離れた所で解析して、次にどういう目が出るかを予め把握する。
この機械の仕込が結構な値段なのだ。

また、それだけでは客が当たる方へベットしたら避けられないから
吊りやパームといった手仕事を結局混ぜることになる。

外れる方へ張っていればそのままカードを出し、
当たる方に張ればカードの順番を操作したり別のカードを混ぜて
どっちに張っても外れるように勝敗を操作するのだ。

塗料、カメラ、本来入るべきでないカードなど
証拠が残ってしまうのもデメリットと言えるだろう。

堅気の客では分かるはずもないし
分かったところでめくれる(暴ける)はずもないけれど
分かっている人間がケツ持ちをちゃんと付けて、
カメラやカードといった証拠を先に押さえてめくりにかかれば
証明するのは容易にできる。

確証がないのに動くのはリスクが大きすぎるから
ハシモトの店の裏を知っている人間が
それを流している可能性は大きい。

金を追い求める者だけを集めて店をやれば
中には目先の金で転ぶ者も紛れ込む。
あるいは分け前の額に不満を持つ者も出てくる。
そんな誰かが店をめくって金にしようという誘いに乗ったのだろう。

ケツ持ちも交えて相当揉めたはずだが
最終的には金で解決しただろうし、そうするしかない。
いくらかかったかはもちろん漏れては来ない。

そっちに手を出したんだ・・

僕はそんなことを思っていたが
ふと、僕は結局あの時の給料をもらっていないことに気づいた。
その時までまるで頭から消えていたのだ。

あんな大変な思いしてただ働きか・・

苦笑いが浮かんできた。
そう、僕だって金のために働いているのだ。

冷え込みの厳しい中、辺りを見回すと
ビルの外に出されたゴミに、カラスが群がっている。
いつ見ても気味の悪い生き物だけれど
金に群がる僕らも、カラスから見れば相当気味が悪いはずだ。

どっこいどっこいだなどと言えば、
気を悪くするのは、むしろ、カラスかもしれない。

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The Outcasts・26-5

ある日、僕が出勤し、キャッシャーに挨拶をしに行くと
雰囲気がただ事ではなかった。
ハシモトがどこかに電話をかけて、店の現状を必死で説明している。

「いや、今お客さんが持っているチップが200から250あって
現状で店にあるのが・・」

途切れ途切れにしか聞こえなかったけれど
僕はすぐにピンと来た。

資金ショートを起こしているのだ。

確かにここ数日、数字があまり良くなかった。
日々の給料を支払って、その他に仕入れの経費を考えたら
毎日現金は100万以上出て行く。

客が確実に100万以上落として行けばいいが
客が勝つこともあれば、100万まで届かないこともある。
その代わり、何日も続けて数百万抜けることもある。

その波は人智の及ばないところだし
それを前提として資金繰りをしないと
カジノなどできるものではない。

この一週間ほど、店が負ける日があったり
いくらも上がらない日が続いていたから
おそらく現金は1000万以上出ていっていただろう。

やれやれ、この辺で目を覚まさないと手遅れになるな・・

その場を離れながら、僕はそんなことを考えた。
今回はすぐにオーナーが金を持ってきて急場を凌ぐだろうから
立て直すなら今のうちしかない、
そんな風に考えていたのだ。

やり方さえ工夫すれば、この店は利益を出せそうだったし
もしかしたら店の運営を見直すいい機会になるかもしれない。

少なくとも、店が客のベットを受け続けている以上
金は間もなく届くはずだ。
客の手持ちのチップの総額が店にある現金を越えている状況で
ベットを受け続けているというのは、それしか考えられない。

店は表面上、いつもと同じように動いていた。
客がやってきてチップを買い、ゲームをする。
チップが無くなって買い足す者もいれば
チップを換金して帰っていく者もいる。

金が届いたのかどうかは分からなかったが
僕は僕の仕事をするしかない。
ちょうどその時、そこそこのベットをする客が来て
立て続けにチップを買い足した。

この客を仕上げてしまえば、一息つくかな。

僕はそんな期待を抱いたのだけれど
一時100万以上負けていたその客は
最後に買ったチップを急激に増やし、元まで達した。

「これアウト(換金)して。やっとこさ戻ったよ」

安堵したような表情で客が言う。
僕はそのチップをカウントし、キャッシャーに持って行く。

「アウト、123.8です」

するとキャッシャーに入っていた人間が
困惑したような表情で首を横に振る。
奥に座っていたハシモトが、曖昧な笑いを浮かべて言った。

「いや、今現金無いからそう言ってきて」

僕はさすがに呆れて言った。
金が足りないこともその原因だったけれど
問題はそれだけではなかった。

「アウトって言われて金が無いから出来ませんって
僕みたいな下っ端が答えて
それでお客さんが納得すると思いますか?

少なくとも、上の人が出てきて頭下げて
いつ届くのか説明しないと収まるわけないでしょう」

少し口調が強くなったかと一瞬思ったけれど
それを抑える気持ちも沸いてこなかった。

観念したのか、ハシモトはキャッシャーから出てきて
アウトを頼んだ客の席に行って、何事か囁いた。
客はそれを聞くとすぐ、大きな声を出した。

「金が足りないってふざけんなよ、そんなはずないだろ。
今俺が100使ったばかりじゃないか。
俺別に勝ってないぜ。チャラなのに。
その金どこに行っちまったんだよ」

何事もないかのように動いていた店の空気は
その客の声を聞いた瞬間一変した。

「これアウトして!」
「こっちが先よ!あたしが先に言ったんだから!」

中国人やガジリ連中が口々に喚きながらチップをテーブルに置く。
誰かが大声で叫ぶ。
ウェイトレスが怯えたような表情で立ち竦んでいる。

ディーラーはゲームを止めて固まっていて
他の従業員は控え室から出てくる気配すらない。

「おい、店から誰も出すなよ!金持って逃げさせるな!」

銀行の取り付け騒ぎのような様相を呈した店内で
僕はハシモトがどう宥めるかを待っていた。
僕ら下っ端が何を言ってもこの騒ぎは絶対に収まらないし
これにケリをつけられるのは、ただ一点、
金がいつ届くか、ということだけだからだ。

ただ、人間の怒りはいつまでもは持続しない。
もともと欲から来ている怒りだから
その欲がどう満たされるかの方が大事なのだ。
怒って金になるわけではないのなら、と
誰かしら冷静になってくるものだ。

「で、金はいつ付くわけ?」

案の定、一番最初にアウトと言った男がハシモトに尋ねる。
ハシモトは困惑した表情を浮かべながら
先ほど僕に見せたような曖昧な笑いで答える。

「もうオーナーには連絡してあるんで
間もなく届くはずなんですが・・・」

「だから間もなくっていつだよ!」

怒りが収まらない誰かが怒鳴る。
また騒ぎが再燃しそうな雰囲気になった。

仕方ない、これじゃどうにもならないしな。

僕は覚悟を決めて、ハシモトの傍に行き
怒鳴った客に向けて言った。

「とりあえず一旦ゲームを止めていただいて、
皆様のお手持ちのチップをカウントさせてください。
うちもこのままなんてことはしませんので」

助け舟を出したつもりは無い。
けれど、そう言って前に出ないと
ハシモト一人ではいつまで経っても収拾は付かないだろうし
それは結局僕自身がこの場から解放されないことを意味する。
いわば自衛のためだった。

そして僕は、ハシモトと一緒に
20人ほどいた客のチップをカウントして回った。

紙に名前とチップの額を控えて、客に確認させる。
そうしている間に、ほぼ全員が落ち着いてきた。

「これこのまま待ってるの?用事あるんだけど」

誰かがポツリと言う。
チャンスが来た。
僕はハシモトに小声で言う。

「携帯教えて後で来てもらったらいいんじゃないですか?
どうせこのままじゃ営業できないんだし
帰せる人間は客も従業員も帰してしまいましょうよ」

ハシモトは頷いて、こう言った。

「お急ぎの方は私と社長の連絡先を教えますので
後でまたお越しいただければ。
今日はこのまま閉店しますので」

その提案に何人かが乗り、何人かは乗らなかった。
取りっぱぐれを恐れる人間は、普通は乗らない。
利に聡い誰かが、周りの客に声をかけ始めた。

「急ぎの人、10点までは8掛け、10以上は9掛けで買うよ」

要は、チップを換金してやって後で店からは満額取ることで
ちょっとした小遣いを稼ごうとでもいうのだろう。
この辺はその人間の力量次第だが
こういうことをすぐにできる人間は、取り切る自信がある者だ。
不良ではないだろうが堅気でもないだろう。

こじれればその人間のケツ持ちが間違いなく出てくるだろうし
駒を付け残したという事情で、店のケツ持ちが動くことはない。
店の権利金と、備品などを売り払って金にすれば
数百万にはなると踏んでのことでもある。

もちろん僕らはこの状況ではそれを止められない。

債権の買取が一通り済んだ後、
大口債権者になった一人がハシモトに言う。

「ディーラーやウェイトレスは帰してもいいや。
いたってしょうがないし。
でも社長とアンタはここから一歩も出さない。
あぁ・・でも何かの時に走る人間がいるな・・
じゃあさ、誰か一人黒服置いて黒服も帰していいよ」

それを聞いて僕は、やっとこの展開になったか、と思った。
ようやく解放されてこの場から逃れられると思ったのだ。
それはそうだ。何の権限も持っていない新入りの下っ端など置いても
言ってしまえば何の意味もない。

対外的に示しているかどうかは別としても、
副責任者などという役職もちゃんと存在しているのだ。

ところが、ハシモトは僕に寄ってきてこう言った。

「悪い、しばらく付き合ってくれるか?」
「え!?僕、ですか・・」

僕は絶句した。常連の客の一人がすかさず突っ込む。

「ハシモッちゃん、普段威張ってるのがいっぱいいるでしょ。
最近入ったばかりのお兄ちゃん残すなんてずいぶんじゃない?」

ハシモトは苦笑いを浮かべながら言う。

「いえ、これはかなりしっかりしてるってことでわざわざ呼んできたんで。
仕事見てれば分かるでしょ?」

何言ってやがる。

僕はうんざりしながらも承諾せざるを得なかった。
ここで店側がゴタゴタしているところを見せたら
まとまった話もまたこじれてしまう。

現に、ハシモトにそう提案した男はどこかに電話をかけて
何かあったら連絡するから、そしたら若いの何人か寄越せ、
などとと人手を確保している。

ハシモトはモニター室に行って何事か言うと
中にいた黒服・・ほとんど譜代だ・・が4人ほど
そそくさと店を後にして行った。

何のことはない、僕は人身御供にされたのだ。

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The Outcasts・26-4

カジノでは、客寄せのために様々なイベントを打つ。
パチンコ店と同じようなものだ。
ビンゴや抽選会、つかみ取りやスクラッチ、ジャックポット・・
射幸心を煽ることで客の心に眠る獲得欲に火を着ける。

ただ、イベントは打てばいいというものではない。

客寄せのために打つのか、
あるいは常連に対する還元のために打つのか、
そこをはっきりしてから行わないと、狙った効果は出てこない。

ただで貰えるチップ目当てで店に来て
もらったチップで少しだけ遊ぼうと思っているうちに
いつの間にかその数倍の金を落としてしまう客を狙うのか、
あるいは、負けが込んでちょっと控えようと思っていたのに
負けの何分の一かが戻ってくるがために
結局また足しげく通ってしまう客を狙うのか。

さらに、イベントに使う原資の額は
当然そのリターンに見合うように決めなければならない。
5万、10万しか使わないような客を狙って
数百万単位でのイベントを打っても無駄になるし
1万2万のチップの抽選会で数百万使う客を引こうと思っても
同じように効果は薄いということになるからだ。

原資100万の抽選会と一口に言っても
1人に100万が当たるのか、10人に10万が当たるのか
あるいは100人に1万が当たるのか、
やり方も異なれば効果も異なる。

ハシモトの店のイベントは
そういう意味で、全く意味が無かった。

一日二回、一人に一枚の抽選券で行われる総額20万の抽選会は
集団で来るガジリグループに抽選券の大半を占領されていたし
各テーブルで毎シュート行われるジャックポットは
ろくにゲームをしないで座っているガジリが時折当てて
それで得たチップを巧妙に換金して帰るだけだった。

このイベントだけで毎月1500万ほどが消えていたのだ。

僕は少しどころではなく呆れたけれど
それは顔には出さないようにしながら
こっそりと、言葉を選んで、ハシモトに言った。
(顔に出せば下に見られているかのような印象を与えるし
他の譜代の黒服がいるところで言えば
彼らの嫉妬や反感を買いかねないからだ)

「ミーティングでイベントの打ち方は議論されてるんでしょうけど
抽選会はもう一工夫あってもいいかもしれないですね。
金を使う客に当たりやすくするような感じとか。
ジャックポットで当たるチップも
換金できないサービスチップにしようとかはもう出てますよね?」

外様である僕は、ミーティングに出席すら許されていなかったが
アイデアを問われれば答える用意はあった。
第一、ろくにホールに出て仕事をしていない譜代の黒服は
現状の問題点を把握しているかさえ、甚だ疑問だったのだ。

ところがハシモトは、僕の言葉に対し
怪訝そうな表情をしてこう言ったのだ。

「何で?別にこのままでいいだろ?」

「いや、でもガジリにサービスガジられるだけならまだしも
イベントの分まで持って帰らせるってのは・・」

口ごもった僕に、ハシモトは笑って言った。

「ガジリが持っていくのは宣伝費だと思えばいいんだよ。
うちは今までこれで結果出してきてるんだから。
そりゃ最近インが少し落ちてるしディーラーも弱いから
あんまり抜けてないけど、7,8000くらい抜けた月もあったし
店が沸いてるの見て太い客が来れば億も行けるよ」

何にもわかってないんだな・・
僕はそう思って、それ以上口を挟むのをやめた。

人件費とイベントで毎月数千万もの無駄を垂れ流して
一人や二人のビッグベッターから幾ら抜けるというのだろう。
一昔前の、鞄やアタッシュケースから札束を出して
勢い良く盆に張り付けるような時代ではないのだ。

丼勘定で、何に幾ら経費が出ているかさえ定かではない状態で
ディーラーが弱いだの気合だの言ったところで
それは鉛筆を転がして試験に臨むのと変わらない。

第一、結果を出していると言ったところで
ここ数ヶ月はろくに結果も出ていないのではないのか。

それに、従業員の給料を日払いで出すということは
毎日数十万の現金が出て行くということを意味する。
店が少し負け込めば、現金ショートのリスクは相当大きい。

この店のオーナーがどれくらいの資金力があるか
もちろん僕は知らなかったけれど
このやり方で店を続けていけるとは僕には思えなかった。
ただ、それを口にするのをやめただけだ。

おそらくこの一ヶ月以内に
自分がかつていた店も再開するはずだったし
もともとそれまでのつなぎだったのだ。
変にコミットすることはない。

僕はその後は特に口を出すこともなく
自分の与えられた仕事を黙ってこなした。
平の黒服は、そういう意味では気楽なものだ。

明確な目標も無く、遣り甲斐も無い日々。
ずっとそのままでいれば、いつか腐ってしまうが
一時的な避難だと思えばそれもまた良し、なのか。

そんなある日、店で事件が起こった。

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The Outcasts・26-3

ハシモトの紹介で入ったとある店のアングラカジノ。

その混雑ぶりを見て、僕はハシモトに尋ねた。

「一日にどれくらいインがあるんですか?」

ハシモトによれば、客数は一日60人から70人ほどで
イン(客がチップ購入総額)の平均も1500万ほどということだった。

それを元に計算してみると
弱い弱いとハシモトが嘆くディーラーの数字も
僕が入った月は決して悪くはなく、
アウト率の平均(客が換金した金額の割合だ)も85%程度だった。

これはアングラカジノ的にはごく標準的な数値だ。
アウト率が80~90%の間であればそう言ってもいい。
では今月だけまともな数字で前月までは低かったのかと思って
僕はある時ハシモトに尋ねてみた。

何と、ハシモトは責任者でありながら
イン総額、アウト率の平均だけでなくディーラーの成績すら
全く把握していなかったのだ。

では彼が上がらないと嘆く数字はどこから出てきたのか。
それは、店の最終的な純利益の話だった。

「いや、台上(粗利益のことだ)で5000万くらい上がっても
経費考えたら赤字だから」

こともなげにハシモトは言ったが
インが1500万の店で15%を抜いても
月の粗利は7000万以下だし、抜けたのが10%なら4500万だ。
その数字で赤字になるのであれば
それはやり方がおかしいということに他ならない。

粗利で5000万でも足りないくらい経費をかけていては
バブル期ならまだしも、不景気の時代には追いつくはずがない。

そう思って店全体を見回してみると
確かにおそろしく無駄の多い店だった。

ハシモトの店にはテーブルが3台あったのだけれど
これくらいの規模の店で24時間で回すのであれば
ディーラーは20人、黒服は10人が最低限の人数だ。
忙しさを考慮しても、それぞれ22人と12人いれば十分だろう。

ウェイトレス、キッチン、キャッシャー、シキテンを入れて
人件費は何とか1800万以内、最大でも2000万を切るようでないと
固定費の重みがのしかかってくるようになる。

もちろん僕は、個々の給料の額を知っていたわけではなかったが
ざっと概算しただけで、ハシモトの店の人件費は
軽く2500万を超えていた。

それはそうだ。

黒服が16人、ディーラーが26人もいて
ウェイトレスやキッチンも余剰人員を抱えていた。
暇な時間帯でも忙しい時間帯と同じだけの人数を抱えていれば
人件費はどんどんと膨れ上がる。
僕に出してきた条件のように相場よりも高めであれば、
総額は3000万近かっただろう。

もちろん誰だって忙しい思いはしたくはない。
特に、この世界に入ってくる人間であれば
楽をしたがる傾向は非常に顕著だと言っていい。

それでも、固定費を削っていかないと
店自体が成り立たなくなっていく時代であることを
彼らにきちんと自覚させることも
上の人間の重要な役割なのだ。

それを怠ったハシモトの店は人が無駄に溢れ返って
譜代の黒服は1時間のうち半分以上は休憩していて
(ホールにいなくても何とかなるからだ)
外様で入った僕を含む数人だけが
ホールで客やテーブルを監視している状態だった。

彼らはモニター室を休憩場所にして
そこに頻繁に溜まっていた。
漫画を読み耽る者、居眠りをする者、
そしてそれを糾すべきハシモトは
むしろ率先してそこに入り浸っていたかもしれない。

「この店はやたら緩いですよね・・
あんなのに給料払うなんてオーナーもお人よしっていうか」

僕と同じ頃に入ってきていた新入りの黒服が
僕にこそっと耳打ちしてきて嘲笑した。

彼が言う「あんなの」が譜代の黒服を指しているのは分かったけれど
確かに、彼の方が仕事に関しては遥かに真面目にやっていたし
そういう者からみれば、譜代の黒服は給料泥棒としか言えなかっただろう。

ハシモトの店の無駄はそれだけではなかった。
むしろ、無駄が人件費だけであれば
入客数から考えても利益は十分確保できたかもしれなかった。

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The Outcasts・26-2

それは、とある繁華街にあるカジノだった。

その店で仕事をしないかと僕に声をかけてきたのは
ずいぶん昔、同じ店で働いたことのあるハシモトという男で
その店である時間帯の責任者をしていた。

僕が働いていた店に、時々客として遊びに来ていて
何か用事のある時だけ電話をかけてくる間柄だったのだけれど
(ディーラーやウェイトレスの募集をかけたりするような時だ)
ちょうど僕がいた店が用心のために閉めている時に
仕事の話を持ち込んできたのだ。

「新宿が寒くてこっちに客が流れてきたのか
人が足りなくてさ、ちょっと手伝ってよ」

正直に言うと、僕はハシモトという男に対し
あまり良い印象は持っていなかった。

僕よりも10歳ほど年上のハシモトは
一緒に働いた時には黒服で、僕はディーラーだったのだけれど
自分より上の人間・・オーナーや店長などだ・・には
大げさなくらいへりくだる一方で
ディーラーやウェイトレス、あるいは新入りの黒服には
横柄な態度で接するような人間だった。

カジノの世界に限らず、どこの世界にもそういう人間はいる。
上司に見られているところでは真面目なふりをしているが
目が届かないととたんにサボるようなタイプだ。

もちろん、誰しもそういう一面はあって
ハシモトだけに見られる一面ではないのだけれど
あまりにも露骨だとさすがに辟易はする。

ただし、当たり障り無いように接する知恵くらいは
当時の僕でも持っていたから
おそらくハシモトは僕を味方とまではいかなくても
敵だとは思っていなかっただろう。

だからこそ、職場が別々になった後でも
連絡をしてきたりするわけだし
こうして自分の店に誘ったりするのだろう。

そのせいか、ハシモトが出してきた条件はやけに良く、
聞いた直後は断ろうかとも思った僕は、結局その話を受けた。

給料は10時間労働の日払い(相場よりも1割ほど高かった)、
辞める時は一週間前の申し出だったろうか。

金額はともかく日払いと言うのが何より魅力的だったし
一週間前でに申し出ればいいのであれば
再開の目処が立った時に余計な軋轢を避けることもできる。

「こっちの都合で上がらせてもらえるなら」

念のため僕はそんな話をして
僕はハシモトの指定した時間にハシモトの店に行った。
店のルールや仕事のやり方は店によって若干違いがあって
あらかじめ説明を受けておかないと混乱するだけでなく
使えない奴、というレッテルを貼られかねない。

当日、店のすぐ近くまで行ってからハシモトに電話を入れる。
いきなり行っても、シキテン(見張り役だ)に話が通っていなければ
怪しい人物だと思われてしまうからだ。

ハシモトの指示に従って場所を少しだけ動き、
電話を切って少しその場で待つ。

とある雑居ビルの陰にいた男が近づいてくる。
黒のロングのダウンジャケットを羽織り、
耳にインカムのイヤホンを挿しているところを見ると
この男がシキテンなのだろう。

僕の名前だけを確認すると、男は頷いて
エレベーターに乗るように無言で示す。

店に入って店内を見回してみると、確かにハシモトの言うように
店は非常に混雑していたし、客の中には見知った顔も何人もいた。
かなりのハイベットをしている良客も何人もいた。

「いや、ディーラーが弱くて全然数字が上がらないんだよ。
知ってるディーラーで強いのいたら呼んでよ」

そんなことをハシモトは言っていたのだけれど
数日間、店の様子を見ているうちに
僕はかなり強い衝撃を受けることになった。

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The Outcasts・26

少しだけ、想像してみて欲しい。

もしあなたが、数千万単位で金を出している
アングラカジノのオーナーだったら
どういう人間を現場で使うだろうか。

考えるまでも無いはずだ。

カジノのことに精通しているというだけでなく
いざという時に裏切ったり逃げ出したりせずに、
持ち逃げをしたり使い込んだりしないような人間を置くはずだ。
できれば、昔から知っている人間であれば尚望ましいだろう。

もちろん、そんな人間は多くはいないし、
忠義心ではなく金のための共同戦線にすぎないのだけれど
長いことカジノをやっているようなオーナーであれば
自分の下で長く働いている子飼いの人間というのがいる。

信用というものは実績の積み重ねから成り立つ。
江戸時代の譜代と外様のようなものだ。
同じオーナーの下で長く働くことで
そのオーナーとの間には何らかの信頼は生まれる。

基本的には誰かの紹介で入ってきているにせよ
どんな人間性の持ち主か分からない新入り、
いわば外様をいきなり要職に付けることはまず無い。

少なくとも、ある程度の期間、様子を見て
本当に信頼に足る人間であるか
あるいは仕事の出来る人間であるか見極めてからになる。

同じオーナーの下で長く働くということは
ハコを替えたり一時的に閉めたりはあるにしても
店を長く運営できているということだし
それはすなわち経営が上手くいっているということでもある。

だから、あえて外様を抜擢しなくても、ということにもなるのだけれど
逆に、長くいる譜代ばかりで固めていると
馴れ合いや惰性といった弊害も出てくる。

情勢が変わっているのにもかかわらず
従前のやり方に固執したりすることも出てくる。
組織が腐ってくると言ってもいいかもしれない。

かつて僕も、その言わば外様のような形で
ある店で仕事をしたことがあった。

それまでの僕のカジノ生活と同じような、
変わり映えのしないある冬のことだった。

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The Outcasts・25-5

「あの辺りはウチのシマってことは知ってますよね?
で、カジノやる前にウチの方に話は通ってますかね?」

僕が直接話を通したことは無かったから、
聞いた瞬間はまずい、と思った。

けれど良く考えれば、こちらは既にケツ持ちを頼んである。
であれば、地廻りに話を通すべきなのは
僕ではなくて、こちらのケツ持ちということになるし
それをしなければ揉め事になるのは極道なら百も承知なのだから
それくらいはきちんとやっているだろう。

「いや、今回はMさんのところに世話になってるんですが
そちらの方から話は行ってませんか?」

そう思い直した僕は、Yという男に問い返した。

「いや、聞いてないですが、分かりました。
ちょっと調べてみます」

「ええ、お願いします」

そんな遣り取りを終えて電話を切り
僕はすぐにケツ持ちのところに電話をした。
万が一話を通してなければ、ケツ持ち的には

「下手を打った」

ということになるけれど
そのケジメの付け方を彼らは考えなければならないからだ。

「え?そんなこと言ってきました?
おかしいな、話通してあるけどな。
ま、大丈夫ですよ。あっちの勘違いでしょう」

のんびりとした答えを聞いて
僕も少し安心したのだけれど
同時に僕は、事の経緯を想像してちょっと驚いた。

地廻りが、歌舞伎町ではない場所のカジノ(それも常連中心の店だ)
の存在を嗅ぎつけて、そこを仕切っている人間の名前を割り出し
その人間の携帯電話の番号を調べるまでに
一ヶ月しかかからないということになる。

その行動力の源になるのは、疑いも無く、金だ。

実際、こういった稼業をするに際して
変にケチって地廻りに話を通さないでやるというのは
発覚した場合に大変な事態になる。

得た利益を全て吐き出す羽目になるのは明らかだし
場合によっては命さえ危うい。

逆に言えば、命の危険をちらつかせる事で
彼らは「話を通してからやれよ」と言っているのだ。
話を通してからやる、というのは
言い換えれば、金を持って来いということだ。

Yと名乗った男は、その後電話をかけてくることはなかった。
やはり、ちょっとした話の行き違いで
既に話は通してあったのだろう。

もちろん、だからと言って彼らが
勘違いを詫びてきたりすることは絶対に無い。
そういうことで下げる頭は、彼らは持っていない。

後日、僕は事の顛末をケンイチに話した。
ケンイチはしばらく黙っていたが
やがて、ぽつりとつぶやくように言った。
少し、怯えたような表情だったのが、やけに鮮明に記憶に残っている。

「なんか・・怖い世界っすね・・
立場が上になるとそういうのもあるんだ・・
勘違いしたまま拉致られちゃったり、なんてこともあるんですか?」

あるともないとも僕は答えなかった。
僕だってそこまでは分からないからだ。
金が絡めば人は簡単に変わる。
絶対ないなんて誰に言えるだろう。

あれから、ずいぶんと長い歳月が流れた。

ケンイチはその後すぐ、居候から自分の部屋を借りて移り
僕もいつしか所帯を構え、
やがてアンダーグラウンドの世界から離れたのだけれど
ケンイチは相変わらずカジノの世界にいて
今では店の仕切り役として働いたりもしている。

数学的な知識も、経営的な知識も
ケンイチは体系的には学んではいないけれど
自分が自分の体で覚えたことを忠実にやり遂げる、
そういう意味での一貫性や愚直さがケンイチにはあるのだろう。

時々僕らは会ってお茶を飲んだりもする。
ケンイチの店には時々不良も来るようで
最終的にはケンイチが相手をしたりすることもあるらしい。

「面倒ですよね、あいつら受けると最初はいいんですけど
最後は絶対半分戻せとか言い出すし」

苦笑いを浮かべながらケンイチはこぼす。

あの頃、ほんの少し極道の影を見ただけで
怯えたような表情を見せていたケンイチはもうそこにはいない。
年齢を重ね、場数を踏むことで彼は一人前になったのだ。

履歴書に書き記していたような
彼なりの野望を掴めるかどうかは
もちろん、僕などには分かるはずも無いのだけれど。

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The Outcasts・25-4

もしこの電話の主が刑事で、僕を捕らえようとするのであれば
いちいち電話などかけてこない。
家まで令状を持ってくれば良いだけの話だ。

以前、摘発を経験した知人が言った言葉を思い出した。

「デコスケが言うんだよ。
お前、店出て帰る時にいっつも△△のコンビニ寄ってただろ。
それで帰ってから神社の境内に犬の散歩行ってただろって。
あいつら全部調べ尽くしてやがるんだ」

彼の言葉通りであれば、こんな電話はまるで無意味だ。
データや資料を処分する時間を与えるどころか
場合によっては逃げられてしまうだけだからだ。

ではこの電話の主は何者なのか。

カジノに出入りするような客であれば
こういった不躾とも言える電話をかけてくる者もいる。
彼らは自分自身と僕らとの間には
まるで主従関係があるかのように思っていることもある。

どこかで店の話を聞きつけて
打ちたいとでも言うのだろうか。

はぐらかすような僕の返事に、電話の向こうで男が答える。

「あー、自分はね、D組のYってモンです。
で、カジノやってんでしょ?」

やはり極道だったか。
僕はそう思いながらも、怪訝に感じた。

当時僕が仕切っていた店は、あまりにも「サムい」歌舞伎町ではなく
一時凌ぎ的に隣のブロックに移った直後だった。
移ってからちょうど一ヶ月ほど経っていただろうか。

一見の客を集めるには不向きだったけれど
常連を中心に、短期間やるのであれば
そんな場所でも十分だったからだ。

「あ、Dさんのところの方ですか。
以前はお世話になりました」

どういった世界でも、地元意識というのはある。
プロ野球ではフランチャイズ、サッカーではホームタウン、
大相撲や興行の世界ではご当地力士やご当地歌手というように
郷土の地縁血縁関係というのはなかなかに強固なもので
その影響は決して無視することはできない。

そしてそこから、縄張りというものが発生してくる。
現在では主に極道の凌ぎの範囲を示す言葉として使われることが多い。

この縄張りを余所者に荒らされるのは
面子の問題もさることながら
凌ぎに直接の影響が大きいというのもある。

ある土地を縄張りとする地元の組を地廻りと呼ぶのは、
余所者が入り込んでいはしないかと
巡回して見張るからだろうか。

ところが、歌舞伎町という巨大な繁華街においては
一つの組織だけがそこを縄張りとするわけにはいかない。

地廻りに幾らかショバ代を払っても
歌舞伎町に凌ぎを持つ意味は大きいから
全国からそういった連中が凌ぎを求めてやってくる。

(余談ではあるが、警察の白書などでは
関西を本拠とする巨大暴力団の東京進出は
この数年になってから、というように記載されていたが
実際の感覚では、バブル前後くらいから
既にチラホラと入り込んできていたように思う)

実際、僕自身の経験でも、オーナーのつながり次第で
前回の店ではケツ持ちはD組だったけれど
今回はK連合に頼む、などということも頻繁にあった。

もちろん今回もD組ではないが、あるところにケツ持ちを頼んでいた。
ケツ持ちの人間が、盆暮れの付き合いに電話をかけてくることはあるが
そうでない組が電話までしてくることなどまず無い。

いったい何の用だと言うのだろうか。
僕は如才なく挨拶をしながらも、不思議に思う。

そして電話の向こうでYと名乗った男は話を続け、
僕はその話でようやく合点がいったのだ。

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The Outcasts・25-3

「もしもし?・・・さんですか?」

圧のかかる話し方、というのがある。
言葉遣いは別に乱暴でもなく、
声の大きさもごく普通なのだけれど
聞く相手に、どことなくプレッシャーをかける話し方だ。

今は丁寧に話しているけれど
ちょっと受け答えを間違ったら怒鳴り始めそうな感じ、
あるいは意にそぐわない答えを返したら途端に凄みそうな感じ
そう言えばいいだろうか。

極道の話し方がこういう感じだけれど
不思議なことに、刑事も同じような話し方をするから
後ろ盾のある人間特有の話し方なのかもしれない。

どちらにせよ、いきなり電話口で怒鳴り散らしたり
あるいは吼えまくったりするのは概して小物だ。
犬と一緒で、最初から吼える者に大物はいない。

僕は起き上がって隣の居間に移る。
ケンイチは既に起きていて、音を消してテレビを見ていた。

「えぇと・・・どちら様ですか?」

もちろん僕らのような稼業にとって
そのどちらにもまるで用はない。

だから僕は極力言葉を控えながら返事をした。
反射的に、本能的に警戒していた。
無駄口は、時に致命的な傷を負いかねない。

僕の声色を察したのか、
ケンイチも心配そうな表情で僕を見ている。

それを横目で見ながら、
頭の中では声の主について考えを巡らせる。
けれど、僕の頭の中の思考の結論など待つはずもなく、
電話の向こうの男は、僕にこう言った。

「・・・さんですよね。あなた、○○ビルでカジノやってますね?」

心臓が、ドキリとした。
こういうことを言ってくるとしたら刑事なのか。
店が摘発でもされたのだろうか?

あるいはどこかで知り合った客だろうか?
だとすればそれはどこか?

今まで摘発されたことは無いし、前科前歴も無いけれど
内偵捜査などをされていれば、僕の存在など簡単に分かる。

「いやー、そんなこと急に言われてハイそうですって言う人間は・・」

僕はわざと少し可笑しそうに返事をした。
動揺したのは事実だけれど、それを悟らせるわけには行かない。
僕はこの世界で生きていて、一つ学んだことがある。

もし、動揺を隠したくて平気なふりをしたいのであれば、
平気であるとまず自分を騙さなければならない。

芝居というのは、自分を騙すところから始めるもので
そうやって芝居を打ち続けている間に、本当に平気になってくる。
禅問答のようだが、本当の話だ。

そんなやり取りをしているうちに
刑事ではなさそうなことは既に察していた。

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The Outcasts・25-2

カジノの世界でも、仕事を覚えるに連れて、収入は上がる。
研修生の間は時給に換算すればコンビニの店員と同じくらいでも
一人前のディーラーになれば2倍近く収入は増える。

ほとんどの店では賄いも付くから食費もかからない。
店によっては煙草まで支給してくれる店すらある。
源泉徴収も無く、積み立ても、年金も、社会保険も無い。
給料はほとんど丸々自分の懐に入るようになっているのだ。

ところが、収入が増えると、それに伴って遊びを覚える。

博打、酒、女、マリファナ、クラブのイベント・・

金を稼ぐため、だけにこの世界に入ってきた者は
金を稼いで何をするのか、という点に答えを見つけられないと
稼いだ金をただ使うだけの生活になりやすい。

先のことなど分からないと頭で理解していても
来月の収入を当てにして金を使ってしまう。
どこかで目を覚まさない限り、その繰り返しだ。

そのままのパターンで散財し、やがてパンクしたのか
夜逃げ同然に家を引き払ってサウナで寝泊りしていたケンイチを
当時独り身だった僕は、自分の部屋に居候させてやった。

「やり直す気があるなら、俺んとこ来いよ。
半年居ていいから、その間に金貯めて部屋借りろ」

赤の他人に対して何故そんな親切心を出したのか
僕自身、今でも分からない。
あるいは、弟分のようなものを欲しがる気持ちもあったかもしれない。

当時僕が住んでいた2LDKの部屋の一室で寝泊りさせて
毎月3万を光熱費と寮費として僕はケンイチから取った。
そういうけじめをきちんとさせるところからが、
彼にとって大事な気はしていた。

無学に等しく、読むものと言えば漫画ぐらいだったケンイチに
僕は業界の事情から言葉遣いまで少しずつ教えた。

最初のうちは砂漠に水を撒くような気分しか抱けなかったが
ケンイチはある時急に人が変わった。

時間にも金にもルーズで、
僕が起こすまで起きなかったり、給料の前借を頼んできたのが
そういったところが一切見られなくなったのだ。

ケンイチは目を覚ましたのは何がきっかけだったのだろう。
それは僕には良く分からない。

けれど、明らかに目に見えて仕事ぶりが変わったケンイチを見て
僕はしばらくしてから黒服の仕事を教えるようになり
ケンイチもそれをみるみる吸収していった。

そんなある日、枕元の携帯電話が鳴った。

夜中に動いて、辺りが明るくなってから眠る、
そういう生活をしていると眠りが浅くなり
ちょっとした物音で目が覚めてしまう。

その後なかなか寝付けなくなってしまうこともあるから
本来であれば、携帯電話など電源を落として眠りたい。

けれど、24時間営業で動く現場を仕切る以上
何かあった時に、すぐに連絡が取れないようでは困るから
そう簡単に電源を落とすことなど出来ない。

とは言え、いろんな人間に電話番号を教える仕事だし
中には時間などお構い無しにかけてくる客もいるから
当時の僕も自衛のために携帯電話を二つ持っていた。

携帯電話を使い分けるなんて胡散臭いことこの上ないけれど、
大企業のサポートセンターじゃあるまいし
24時間体制で客の相手などしきれるものではない。

当然、客に教える番号の方は電源を落として、
非常用というかプライベート用の電話だけ鳴るようにしていたけれど
その時鳴っていたのは客用の電話の方だった。

参った・・電源落とし忘れたか・・。

忌々しげに舌打ちをして、僕は電話を取った。
カーテン越しに漏れてくる光は
まだ陽が高いことを教えてくれる。

液晶画面に表示されていた番号は
僕の携帯電話には登録されていない番号だったけれど
客商売をしていて、そういった電話を無視するわけにはいかない。
もしかしたら、番号を変えたという客からの連絡かもしれないのだ。

「もしもし」

受話器を取った僕の耳に、
男の声が聞こえてきた。

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The Outcasts・25

「志望動機:でっかく稼ぐため」

誰が尋ねたわけでもないのに
ケンイチが差し出した履歴書には、そう書いてあった。
カジノの世界を何も判らないまま、
ただ、稼ぎたいという思いだけで
ケンイチは知り合いのつてを頼って面接にやってきたのだ。

アンダーグラウンドの世界に流れてくる者には
それぞれの事情がある。

遠い将来のことはおろか、一年先、いや、極端なことを言えば
明日のことさえ確かではない世界で
彼らは自分の置かれた境遇を半ば諦め、半ば開き直って
彼らなりに必死で生きている。

彼らがどこで裏街道に足を向けたのかは分からない。
誰かに裏切られたのか、あるいは事業で失敗したのか。
浮利やあぶく銭に魅せられて飛び込んでくる者も少なくない。

ただ、若いうちにこの世界に浸かった者の多くには
ある特徴・・共通点と言ってもいいだろうか・・がある。

彼らのほぼ全員が、学歴という点で一般社会の平均よりも低く、
ほぼ全員が金欲しさにこの世界に浸かるのだ。

中卒、高卒、高校中退、専門学校中退、大学中退・・

彼らに渡すアンケート用紙にこの項目を並べておけば
ほとんどの用紙はこのどれかに丸が付いて返ってくるだろう。

この国の構造は、学歴の無い人々にとって非常に過酷だ。
履歴書に記載できるような学歴が無いだけで、
浮かび上がる機会は極端に限られる。

その構造が、彼らに著しい閉塞感を与える以上、
彼らが金を掴もうと思ったら
こういった世界に生きていくのが手っ取り早い近道だ。

ケンイチもやはり、一年目の夏を迎える前に高校を中退していた。
ぶらぶらしながらパチスロ屋に入り浸ってみたり、
あるいは同じように中退した友人の家で煙草をふかしてみたり。

バイクや車の乗り方は懸命に覚えたけれど
わずか50分×数コマの授業の中身は覚えようとはしなかったのだ。

親や身内に説教をされて仕方なく働いてみても
彼らのような境遇の労働者に支払われる給料は
ちょっと遊んだりするだけであっという間に尽きてしまう。

そのくせに、あごでこき使われるだけの歯車であることに
彼らは耐え切れず、やがて意欲を失い停滞していく。

そんな時、誘いが掛かる。

たいていは誰かの先輩か何かだ。
もちろんろくなことをしている人物ではない。

「美味しい話があるんだけど」

そうやって彼らは裏の世界に入る。

もちろん、表で無ければ裏、といった単純な白黒で
世界は分けられるものではない。
白黒の中間にあるはずの灰色には濃淡があって
それが幾重にも重なっている部分さえある。

例えば水商売や雀荘は黒とまでは言えないだろうが
真っ白とも言い切れるとは思えない。
パチンコ業界だっておそらくそうだろう。

何度か述べてきたけれど
そういった世界は全くの別世界ではない。
あなたのすぐ隣に入り口があるかも知れないし
何かの拍子にあなたが入り込まないとは言い切れない。

学歴も職歴も問われずに、のし上がっていける世界。

鬱屈した若さを抱えたままの彼らにとって
それは非常に魅力的な世界に見える。
そこではたとえ仕事がキツくても、彼らは耐えられる。

闇金融、架空請求、振込み詐欺・・
己を正当に評価する術を持たない彼らにとって
遣り甲斐を感じる収入とは「頑張れば百万以上」なのだ。

アングラカジノも似たようなものだ。
違う点があるとすれば、
純粋な意味での被害者がいないことくらいか。

彼らが金を巻き上げる相手は、自らが望んでやってくる者だ。
現実の刑罰の重さなど知らなくても、
多少は良心の呵責からは逃れられる。

そんな風に研修生としてこの世界に入ったケンイチは
僕から見て典型的な「この世界で嵌っていく奴」だった。

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The Outcasts・24-6

ある時、知り合いの金貸しと雑談している時に
僕はこんなことを尋ねられた。

「ね、Oさん知ってるでしょ?
渋谷のNとか六本木のCってカジノやってた」

もちろん知っていた。Oという男は、まさにアユミの彼氏だった男なのだ。
僕が頷くと、金貸しは可笑しそうにこう言った。

「あのOさんがさ、ウチに来て一本(=一千万)貸してくれって言うのよ。
そんなのトイチで回したって飛ぶに決まってるんだから断ったわけ。
そしたらさ、自分が乗ってるベンツ・・確かS600かな、
それ担保に入れるからって言い出して。

ベンツ入れるなら800までいいよって言ったら、
女に使わせてたBMWも入れるからもう200貸してくれだって。
よっぽど詰まってるんだなと思ったね。
あの人の店、流行ってたんじゃなかったの?」

元従業員の話を聞くまでも無く、Oがやっていた店は
決して客の入りは悪くなかったはずだ。

けれど、景気が後退しているにもかかわらず
バブル期のような営業形態を取っていたから
ガジリにとっては天国のような店だっただろう。

だけでなく、従業員の経費には無駄も多かったはずだった。
買い出しのついでに私物まで買い込むような従業員もいれば
責任者クラスが営業費と称して飲み歩いたり、
空の領収書を切ったりするケースもあっただろう。

僕が中にいたわけではないから確かなことは言えないが
あちこちから漏れ聞こえてくる話からは
そういった弛緩した雰囲気しか漂ってこなかった。

「どんなに入ってたって、ダダ漏れのまんまじゃ
1000くらい引っ張ったってどうにもならんでしょうに」

そんな話をした後、僕がそう呟くと、金貸しは頷いた。

「まぁ実質900だし、利益出てなきゃすぐまた詰まるよね。
こっちは車流したから損はしてないけど。
なんか、渋谷の店も新橋の店も手放したらしいよ。
最後に追い込みに自宅行ったら女にすげー目で見られてさ、
泣き喚いてたと思ったら、今度は暴れだしてえらい目だったよ。
最後はOさんにみっともない真似すんなって横っ面張られてたわ」

その時のアユミの様子は、僕にも容易に想像できたけれど、
僕は子供がいたかどうかは尋ねなかった。
あれだけ気位が高い振る舞いを重ねていれば
子供の有無に関わらず、没落した後の苦労は想像に余るだろう。

「長崎に引っ込むんだとさ」

金貸しはそう言った。

「長崎?」

「そう。Oさんは五島列島の出なんだとさ。
こっちで今更知り合いに頭下げて仕事もらうくらいなら
田舎で二人で働けばどうにでもなるって考えるわな」

都会の華やかな世界を散々味わったアユミが
田舎暮らしをちゃんとできるのか、僕は少し疑問に思った。

とは言え、彼女を助けてくれそうな人物が、
若くしてカジノの世界に入ってそのまま成り上がり
傍若無人な振る舞いをし続けた彼女の周囲にいるとも思えなかった。

それに、仮に僕が彼女の知り合いだったとしても
助けるかと尋ねられれば、首を横に振ると思う。
立場の弱い者を虐げることでストレスを発散していた彼女を
救う力も、救う気持ちも僕には無い。

アンダーグラウンドの世界でも大して大きくないカジノの世界の
その中のたった数軒の店の中のマリー・アントワネット。
アユミに、あるいはアユミの支配する店に
最後まで忠誠を誓う者は、たぶんいなかっただろう。
むしろ店の最後には、金目の物を盗む者さえいたかもしれない。

煙草、薬、細々とした雑貨、あるいはタクシー券など・・
どうせ潰れる店なら、何かの足しに持っていってしまえ。

彼女の周りで表面上かしこまっていたのは、そんな輩だったのだ。

だけど、革命が起きてギロチンにかけられなかっただけマシだろ、

もし僕に、アユミに煮え湯を飲まされた経験があったら、
僕だってそう言いかねないのだ。
さすがに、自分から復讐まではしないとしても。


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The Outcasts・24-5

連れとともに店を出るアユミは、
見送るためにエレベーターの扉のところまで行った僕に対して

「アンタの店は従業員の態度が悪いのよ」
「こんなサービスじゃ店は流行らないわよ」
「全くトップがガツガツしちゃってやだやだ」

などと散々嫌味を言って帰った。
サービスとして渡したタクシーチケットは
中身だけ封から抜いて、封はこれ見よがしにその辺に放り捨てた。
もちろん僕は、それに反論も注意もせず、捨てられたゴミを拾い

「すいません、お疲れ様でした」

と頭を下げるだけだった。
怒りも、反感も、もちろん妬みも無かった。
ただ、ずっと立って曲げ伸ばしを繰り返した腰と
チップの付け下げのために重心をかけ続けた片方の膝がやけに痛くて
僕は頭を下げて床を見ながら、そのことばかり考えていた。

アユミはその後も時々来店し、
無理難題を言い出したり、我侭放題を続けた。

勝つこともあれば負けることもあったけれど
落とす金額だけを通算すれば、アユミは間違いなく上客の部類だった。

ところが、アユミの遊び方は次第に変わっていった。
今までだったら確実にチップを追加していたところで席を立ち、
場合によってはほんの僅かの浮きでも場を洗うようになったのだ。

僕にはその原因が薄々判っていた。
おそらくアユミは駒が回りきらなくなったのだ。

アングラカジノの世界は狭い。
どこの店が流行っているだとか、
どこの店がパンクしそうだとかいう情報はすぐに業界に回る。
従業員の移動が激しい世界だから口止めしてもすぐに漏れる。

僕はアユミの彼氏の店にいた従業員から
店の利益がまるで出ていないことを伝え聞いていた。

「やばいっすよ、ガジリばっかりで。
給料が遅れたんで、ソッコー辞めてきちゃいました」

もちろん末端の一従業員だから、
店の状況を詳細までは知るはずも無い。
なんだかんだと言っても、長くやっている店は
一時的に苦しくても持ち直すことも多い。

ただ、彼の言葉を裏付けるように
アユミの振る舞いはずいぶんと切羽詰ってきているように見えた。

ガジリというのは店のサービスを食い荒らす人種だ。
彼らがやっているのは勝負ではなく、単なるゲームの消化だ。
だから当然、店は彼らを排除し、彼らにサービスを出すくらいなら
その分のサービスを上客に回した方がいいと考えるようになる。

ところが、今までは上客だったのが、
だんだんと資金が細くなっていっていってしまうケースがある。
いや、ほとんどはそういうものだと思っていいだろう。
自分の甲斐性を超えた分を張り続けていれば
どんな客でもいつかは破滅へと向かう。

その、まさに破滅へ向かう途中で、
かつての上客はガジリへと方向転換することがあるのだ。

通常、20万で2~3万のサービスを出す場合、
店は、最低限度のベットで100番以上のゲームを客に強制する。
本当はそれでも甘いくらいなのだけれど、
それ以上強制するのは現実的ではない。

一方、上客であれば5万、あるいはそれ以上のサービスを出したり
あるいは消化ゲーム数の強制を甘くしたりする。

そんな強制を受けるのは誰でも気分が良くないから
長い目で見れば強制するまでもなく控除しきれる上客は
細かいことは言わずに気分良く遊ばせておきたい。

この特別待遇を受ける上客がガジリ行為をするというのが
店側にとっては一番困る。

5万のサービスを貰っておきながら
ものの数分で席を立たれてしまってはどうにもならない。

30万のチップを30分もしないうちに35万で換金されてしまえば
何のための特別待遇か分からないのだけれど
それをかつて上客だった人間に言うのは、なかなか難しい。

苦しくなってきた上客の中には、
それを逆手に取って、ガジリ行為を続ける者も少なくない。

アユミがまさにそれだった。

なんだかんだと理由をつけては
4,5万のサービスを持ち帰るようになったのだ。

「従業員の態度が悪いから気分悪いのよ」
「アヤが付いたから今日はもう終るわ」

言い訳とも憎まれ口ともつかないことを吐き捨てて店を後にするアユミ。
おそらく他の店でも同じようなことをしていただろう。
歌舞伎町界隈の業界人の間では、すぐに噂になった。

「ありゃもう終るね」
「VIPもどきのガジリだよ」

そんなことを言い合っていたりした。
そろそろサービスを絞る時期だと僕も思っていたのだけれど
そう思い始めた頃から、アユミはぷっつりと姿を見せなくなり
いよいよ終わりかと誰もが思い始めた。
妊娠したなどという噂もあった。

そんな時、僕は思わぬところからアユミの話を聞いた。

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The Outcasts・24-4

「あっちのテーブル開けて。あっちで一人で打つから」

アユミが言った「あっち」というのは
今アユミが打っているテーブルより少しレートは下がるテーブルだったが
打ちたいと言う客がいなかったので、その時はクローズされていた。

カジノのテーブルゲームというのは
テーブルごとに店側が受ける最大差額が決まっていて
その時は5万、15万、30万、50万という設定だった。

最初50万のテーブルに座っていたアユミは
30万のテーブルを開けろと言ったのだ。

打たせるために設置してあるテーブルだから
客が希望すれば開けざるを得ないのだが
早朝の時間帯は比較的暇なことが多いために
シフトに入れてあるディーラーの数も少ない。

店にあるテーブルは4台だったが、早朝のこの時間は
全部の台が同時に開くことは想定してはいない。
ここで4台稼動させるには、勤務中のディーラーの数が足りなかった。
だから黒服も腰を低くしてアユミに告げた。

「この時間帯はあちらのテーブルはクローズになってまして・・」

とは言え、僕にはその結末は見えていた。
そんな返答で納得するはずも無いのだ。

案の定、アユミは柳眉を逆立てて言った。

「何言ってんのよ、お客さんが打ちたいって言ってるのよ。
打たせないんだったら商売なんかやめればいいじゃない」

どのテーブルを稼動させるかは店の決めることであって
客が強要することはできないのだけれど
(その時間だけテーブルクロスを敷いて花瓶の一つも置いてしまえば
飾りだ、と言ってしまうことも極論すれば可能なわけだ)
それは原則の話であって絶対のルールではない。

傍にやってきた黒服に僕は言った。

「いいよ、開けよう。俺も入るよ」

店の中で要注意人物と言えるのはアユミだけだったし
一人分ディーラーが増えるだけで何とか回るなら、
もちろん回した方がいいに決まっている。

忙しい思いをするディーラーはいい迷惑だけれど
僕がディーラーだった頃は、休憩時間なんてほとんど無く
10時間働けば8時間以上はテーブルに入っていた。

要は慣れの問題なのだ。

そして新たなテーブルを開けてディーラーを入れ
ゲームをスタートさせてしばらくした時
アユミは蓮っ葉な口調で、再び吐き捨てるように言った。

「大体、アンタたちはさ、座って仕事できるんだからいい身分よね。
それで一回入ったらしばらく休憩して。
アタシなんかそれこそ9時間も10時間も立ちっ放しだったわよ。
ラスベガスなんかでもディーラーは立ってんじゃない。
お客さんの前で座って対等に仕事するなんて何様よ」

確かに日本のカジノではディーラーは座っているし
海外のカジノでは立ってディールするテーブルも多い。

とは言え彼女の言っていることは無茶苦茶だ。
ディーラーが座っているのは、別に客と対等だからではない。
休憩させようとさせまいと、アユミがこの店で給料を払うわけではない。

アユミはかつてウェイトレス時代に自分が味わった苦痛やストレスを
成り上がった今、誰かに強制することで解消しているのだろうか。

当然ではあるが、口をつぐんで反論しないディーラーに、
アユミはやがて嫌がらせを始めた。

その時ディールしていたディーラーは
どちらかと言えば小柄な女のディーラーだったけれど
その子が立って思いっきり体を伸ばさなければ
チップを付けたり取ったり出来ない枠ギリギリにベットし始めたのだ。

普段からそのディーラーを見ている僕は
彼女が必死に憤りを抑えているのが手に取るように分かったし
ただでさえ小柄な彼女にとって
それがかなり負荷がかかる行為であることも分かった。

僕は黒服に目で合図を送り
上着を脱いでディーラーの後ろに立って言った。

「シュートの途中ですがディーラーチェンジさせていただきます」

その後3時間ほど、僕はずっと立ったままディールし、
彼女と1対1でゲームを続けた。
シュートの合間、客にカードをチェックさせるショウ・カードの時だけ
僕はそれを他の従業員にやらせ、トイレに行き、飲物を飲んで口を湿らせた。

アユミは時々

「何でアンタばっかり入ってくるのよ。
イカサマでもしてんじゃないの?」

などと憎まれ口を叩いていたが
やがて持ち金を全て打ち込んだらしく、
しばらく僕のことを睨み付けていたが
すっかり白けて勝負を止めてしまっていた連れを一瞥してから席を立った。

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The Outcasts・24-3

一時的に勝つことがあっても、いつかは負け組に入るのであれば
そしてその時にこちらが十分潤うだけ落としてくれるのであれば、
相当な侮辱を受けたとしても、僕らは何とも思わない。

罵声を浴び、嘲笑され、小突き回されたとしても
作り笑いであろうと笑顔で頭を下げられないようであれば
そういったことが耐えられないのであれば
この仕事は(たぶん接客業全般は)務まらない。

とは言え苦痛でないはずはないから、
僕はこの後に味わうであろう屈辱を想像して
いささかげんなりしながらも、
いつものように、営業用の笑顔を作ってテーブルの近くに立っていた。

ディーラーがテーブルに着き、カードをシャッフルしてから
白いシュートボックスに入れてゲームをスタートさせる。

30万ほどのチップをそれぞれ買った彼らは
ああでもない、こうでもないと会話をしながらゲームに興じる。
当然一部始終はカメラを通じて記録されているし
万が一が無いように、黒服が目を光らせている。

最初のうち、彼らは冷静にゲームを進める。
もちろんアユミもそうだ。

熱くなって大きく張ったりすることはまず無い。
1回に2、3万ずつ(実際のところ、それでも張り過ぎなのだが)を
自分が予想した方にベットしていく。
アユミは自信がある時は5万ほど張っていただろうか。

ところが、何かの拍子にアユミのその冷静さは崩れる。
自分の予想が外れたせいとは限らない。
誰かの一言、仕草でなぜかカチンと来てしまう。
その原因が従業員だったりすればもちろんのこと
仲間であってもそうなってしまうことがある。

特に、自分より下だと思っている人間の仕草を気にしだすと
それはどんどん苛立つ原因になる。

アユミが何に苛立ったのかは分からない。
彼女はいつの間にか熱くなり、毎回10万以上をベットするようになって
あっという間に追加のチップを買い足し始めた。

追加が100万を超えた頃、
アユミは黒服に吐き捨てるように言う。

「ちょっとアンタそこ目障りよ、退きなさいよ」

黒服が立ち位置を変えたわけではなく
彼は最初から同じ位置に立っていたのだけれど
アユミは苛立ちの捌け口をそこに求め
黒服は慌てて数歩分下がる。

もちろんそんなことで一度崩れたリズムは戻らない。
アユミは冷静になるように諌める周囲の声にも耳を貸さず、
周囲と反対側にベットするようになっていった。

あるいは、周囲が諌めるせいで余計熱くなったのかもしれない。
僕らに対するのと同じで、アユミにとって周囲の男は
自分の彼氏が食わせてやっている使用人のようなもので
間違っても同格の存在ではない。
そんな存在に諌められるという事実自体が
アユミにとっては我慢ならなかったのかもしれない。

やがてアユミは再び黒服を呼んで言った。

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The Outcasts・24-2

見たことがない客は観察から入る、
これはこの商売の鉄則だ。

あくまでそれとなく、一人ずつ顔や服装、アクセサリーなどを見て
さらに言動にも目を配る。
バッグや携帯を置く位置、視線の先、手元や手の動き・・
見るべき場所はいくらでもある。

特殊塗料を塗ったカードを使ったゴトであれば
携帯や、バッグや煙草の箱の中に忍ばせたカメラで読み取ろうと
そういったアイテムの位置をしきりに微調整したりすることもあるし
マジシャン系のゴトであれば、手元を見張っていなければならない。

食うか食われるかの世界で
人の善性などに期待していたら馬鹿を見るだけなのだ。

僕が見たところ、彼らは酔っているわけではなく、
おそらく仕事明けであることを窺わせる振る舞いだった。

ゆっくりと、一人ずつ見ていき、
一人だけ混じっていた女の横顔に僕は目を止める。
どこかで見たことのあるような横顔だったが思い出せない。

けれど、自分よりも明らかに年長者であろう男たちに対して
やけに見下ろすような態度で接しているところを見て
僕は、彼女がおそらく彼らの働くカジノの上客か
あるいはオーナーサイドの人間であろうと当たりを付ける。

Cの文字が重ね合わさったバッグとおそらく同じブランドの時計・・
身に付けている物は高級そうな物ばかりだったが
その中から取り出された豹柄の布地が貼られている手鏡や
目元に着けられたラメ交じりのファンデーションと
爪を彩るゴテゴテとしたネイルアートが
彼女の好む世界観をうっすらと示していた。

そして僕は、男の一人がチップを買うために出した札束を受け取る際に
彼女の顔を正面から見た瞬間、彼女のことを思い出したのだ。

あれはアユミじゃないか・・。

それは、この世界ではかなり有名な女だった。
アユミは、元は僕らと同じアングラカジノの従業員だった。
確か、最後は六本木でウェイトレスをしていたはずだ。
ただし僕自身は一緒に働いたことはない。

特に優れた美貌の持ち主というわけではなかったが
スタイルが良く男好きのする顔立ちだったアユミは、
当時アユミが働いていた店のオーナーに見初められて
強引に口説かれた結果、彼女として成り上がったというわけだ。

そして成り上がった人間に往々にして見られるように
アユミはその我侭ぶりで有名で
あちこちのカジノに出入りしては、傍若無人な振る舞いで
かつての同業者たちに顰蹙を買っていた。

「あんたたちとあたしは違うんだから」

言葉にしなくても、アユミがそう思っているのは伝わってきたし
あろうことか、アユミはしばしばそういった内容の発言をした。
さすがにパンの代わりにケーキを食えとまでは言わなかったけれど。

もちろん彼女の言っていることは別に間違ってはいない。
僕ら男はもちろんのこと、大半の女性は
「容姿だけ」で成り上がることはできない。

要は、それを口にすれば反感を買うだけの話だし
そういった反感が気にならないのであれば
振る舞いを改める必要もないだけのことだ。

ただし、そういった振る舞いを除きさえすれば、
アユミ自身は負け始めると数百万は落とす客だったし
言ってしまえばその点においてはカモでしかなかった。

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The Outcasts・24

彼らが来店した瞬間、嫌だな、という直感があった。

入り口付近にいた従業員には目もくれず
奥の高レートのテーブルに向かったのは
若い女が一人と、三十代と四十代の男が四人。
時刻は早朝・・6時を少し回ったところだったろうか。

警察の関係者や組関係の風体ではないのは分かった。
むしろ男の集団の方は同業風の雰囲気を漂わせていた。
全員の顔を確認できたわけではなかったが、
その中の一人は見覚えもある顔だった。

なのになぜ嫌な印象があったのか。

同業に限らず、早朝という時間帯に集団で来店する場合
アルコールが入っていることが極めて多いのだ。
朝まで飲んで騒いで、そして勢いが付いた挙句に
いっちょ一勝負しようかなどという流れになってやってくるのだ。

泥酔さえしていなければ、酔った客は冷静さを欠いた美味しい客だし
それ自体は一向に構わないのだけれど
酔いのせいで騒いで他の客に迷惑をかけるケースもある。
盆面もあまり良くないことが多い。

特に同業の場合、場荒らしに近い振る舞いをする者さえいる。
僕がまだ下っ端の頃は、上の人間に

「他の店に遊びに行く時はみっともない真似するんじゃねぇぞ」

などと口を酸っぱくして言われたし
実際それはこの世界の常識と言ってもいいのだけれど
それが必ずしも守られることがないのも良く有る話だ。

だからと言ってその前に断るわけにもいかない。
彼らは新規の客ではないし、同業というのは基本的にはカモだ。
ゴトを仕掛けに来る場合も無いわけではないが、
そう簡単に出来るものでもないし、させるはずもない。

アングラカジノで博打を受ける側にとって一番美味しいのは
20万から100万程度の金で遊びに来る客だ。

持ってたってせいぜい2、300だろ?

そんな感覚で受けられる客、いわゆる中堅ベッターが
カジノにとってはいわばボリュームゾーンでもある。

逆に言えば、いくら持っているのか見当も付かない客は
受ける場合でもちょっとした怖さがある。

持っていても10万以下、という客であれば
手間ばかりかかって、という思いだけで怖さは無いが
次から次に金が出てきて、億の勝負になる客というのが
歌舞伎町にはごく稀に出現するのだ。

こちらにアドバンテージのある勝負とは言え、
途中で客側に勝ちが偏ることはいくらでもある。
それが億単位の客であれば数千万になるのだから
怖さが無いはずはない。

とは言えそんな客は本当に稀だから
従業員や自分の目にさえ自信があるのであれば
これはもう受ける一手と言ってもいい。

騒ぐようならきちんと注意して行くように指示を出し
僕は、彼らが座ったテーブルが見える位置にさりげなく近づいた。

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The Outcasts・23-3

またもや別の常連客から電話がかかってくる。
用件は先程と全く同じで同伴を求めるものだ。

彼女もホステスだが、収支は先月はちょいマイナス程度。
これならとりあえず放置しても大丈夫だろうと僕は判断する。

「来週にならないと予定が分からないから、来週また電話して」

と言って先送りにしておく。
いつかは行かなくてはしょうがないだろうけれど
優先順位としてはそこまで高くはない。

ただし誰に対しても、一度行くと言った時は必ず行く。
そうすることで、納得して先送りを受け入れてくれるのだ。
営業電話と言えど嘘はつかない。いや、つけない。
信用は何よりも大事なものなのだ。

リップサービスやおべんちゃらしか言わない相手が

「うちはイカサマなんて一切ありませんから」

なんて言ったところで説得力が無い。

その後しばらく、僕は事務所でモニターの映像を眺める。
ほんの2時間ほどで数字がチャラにまで落ちた。
カメラを動かすと、画面にはチップを増やして嬉しそうな客の顔が映り
彼らを前にしながら、ナカヤマが無表情にカードを配っていた。

途中の勝ち負けにいちいち一喜一憂しているようでは
ディーラーや黒服は務まらない。
そういう意味では、ナカヤマは優秀なディーラーだった。

心から笑っているわけではないけれど
悪印象を与えない程度には、表情を作らなければならない。
結果として、丁寧な物腰と柔らかな表情を浮かべていても
見る者が見れば、そこに作り笑いしか見出せなくなる。
作られた表情しか存在しないことが分かるようになる。

それは、この世界の人間にとって
自衛の為の、あるいは世渡りの為の道具なのだ。
ナカヤマも、その必要悪を身につけているというだけに過ぎない。

客の人数が一定以上あって、ベットが一定額以上張られるのであれば
胴元側には自然と利益が出てくるようになる。
それがこの世界の原理原則であって
客が勝ったら一緒に喜んでやるくらいでちょうどいいのだ。
たとえそれが「喜んでやるふり」に過ぎないとしても、
それが出来ない人間は、この世界で長くは生きていけない。

不機嫌になって態度に出すなんて論外なので、
僕も、インカムで責任者にその旨を念押しする。
客に不愉快な思いをさせて来なくなったらその方が痛いのだ。

しばらく画面を見た後、深夜になって僕は店を出る。
飲み屋には行かないが、雀荘に顔を出すつもりだ。

途中で他店のシキテンと立ち話しながら情報交換をする。
言ってみれば、そういった情報収集も外出の目的だ。
お互い歌舞伎町は長く、顔なじみなので貴重な情報もたまに入る。

雀荘に着いて東風戦を8回ほど打つ。
1-3-6のビンタありのレートなので
それなりの額の勝ち負けになることも多いが、
それほど大きな金額を負けたことはなかった。

そもそも雀荘の勝ち負けの金額は「営業費で落とせない」ので、
愛想良くしながらもかなり真剣に打っていた。

打ち終わって店に戻る。
その後また数字が上がって200ちょっと上がっている。
客は2台がほぼ一杯。上々の入客である。
インも1200まで伸びた。

シフトの入れ替わりで既に顔ぶれが変わった
夜番のディーラー、ウェイトレスとも同様にコミュニケーションを取り
その後夜番の責任者とも同様にミーティングをする。

突然スポンサーから電話。
数字と状況を報告すると上機嫌で

「じゃよろしく頼むよー」

と言っていた。結果がすべての商売だから当然の反応だろう。
とはいえあまりの現金ぶりに少し苦笑したものだ。

その後は従業員のタイムカードを持ってきて給料計算。
エクセルに関数を入れてあるので、
時間数を計算して打ち込むだけである。
週払いなので30分もかからない。

作業の最中、ナカヤマの分を計算し忘れていたことに気づく。
入ったばかりの人間の分は表には含まれていないから
新たに名前と通勤の最寄の駅を記入した表を作る。
わざわざ最寄駅を調べるのは、こちらで定期代を調べておかないと
新宿ではなく渋谷までの定期を買ったりしてごまかす者もいるからだ。

ナカヤマの最寄駅は・・鷺宮と書いてあった。
ネットで定期代を調べて、それも表に記載しておく。
ここまでやっておけば、後はキャッシャーで金を詰めるだけで済む。

その後スポンサーに提出する月報の作成。
これも日報から数字を引用するように関数を入れてあるので、
数字を見直すだけだ。

モニターに映る店の様子を横目に見ながら
僕は自分に課されたルーティンをこなしていった。

一日の締めに入る。結局その日は320万ほど上がっていた。
毎日これが続けば笑いが止まらないが、そんなわけはない。
出足が良かった、それだけの話である。

キャッシャーから出された日報をPCに打ち込んで終了だが、
客一人一人の収支を計算するのが結構大変だ。
これはどこかから関数を引っ張ってくるわけには行かない。

ただ、溜めるともっと大変なのは小学生でも分かることだ。
夏休みの宿題と一緒である。

作業を終えて店を出る。空はもう明るい。
肌寒さを感じながら車に乗り込む。

今日も無事に終わった、そんな安堵感がため息になって出る。
警察の摘発も無かったし、ヤクザも来なかった。
店の中でトラブルも起きなかった。

どれも頻繁に起きるようなことではないけれど
いつ起きてもおかしくない世界だ。

車を運転して自宅に戻る途中の信号待ちで
不意に今日は燃えないゴミの日だったことを思い出すこともあった。
寝る前に捨てておかなければ、妻の機嫌が悪くなるのだ。

全部終ったと思っていたが、
もう一仕事残っていたことになる。

「やれやれ」

思わず苦笑いして、車を再び走らせる・・

それがかつての僕の日常だった。

生き馬の目を抜く夜の世界でギラギラした欲望の相手をすることも、
ゴミを分別し、決まった日に捨てることも、
たぶん、僕にとっては同じルーティンだったのだろう。

そこまで思い返して、僕は、今のナカヤマの年齢が
当時の自分の年齢であることに思い当たった。

僕と一緒に働いた当時でさえ
既に6,7年のキャリアを持つディーラーだったナカヤマ。
客の顔も良く知っていたし、接客だって下手ではなかった。

けれど、黒服になるかと尋ねると、決して首を縦には振らず
ディーラーとして気楽に働きたいと言っていた。

そのナカヤマが、わざわざ疎遠な仲の人間にまで
必死で電話をかけるようになったことに、僕は暗い気分になる。
緊張と不安の繰り返しの日常の中のつかの間の安堵。
僕はその生活から離れ、ナカヤマはまだそれを繰り返しているわけだ。

そして歳月が瞬く間に流れ、いわゆる潰しの利かない年齢になって
ナカヤマにはナカヤマなりの不安を抱えるようになったのだろう。
そのために、マルチのような浮利を求めるのだろう。

もちろん、マルチであっても、上手く行けば
もしかしたら彼はその先に、何かを手に入れられるのかもしれない。
けれど、失うものにも気づくことを、
できるなら、それが失う前であることを、僕は少しだけ願った。

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The Outcasts・23-2

アンダーグラウンドの住人だった頃の僕の日常。

辺りが薄暗くなってからが僕が目を覚ます時間だった。
普通の人間とは全く逆の生活サイクルを
僕は何年続けたのだろうか。

のそのそとベッドから這い出して
熱いシャワーを浴びて髭を剃る。

シャツとネクタイを適当に選んで車に乗り込み
依然として混雑している道路をノロノロと走らせながら、
自分の店のことをぼんやりと考えるのが、僕の習慣だった。

車の中で何度も独り言を言っては
通行人や対向車に見られてはいないかと
首をすくめていたことを思い出して
僕の回想はさらに深くへと入っていく。

僕が当時仕切っていた店が開店して、
入客もだいぶ安定してきた頃だったか。
前月は単月度では黒字だったものの、
初期投資金額はまだ丸々残っていた。

何とか今月で回収しきって来月から配当につなげたいな。

そんなことを考えているうちに、車は歌舞伎町へと着き、
けばけばしいネオンが、歌舞伎町が夜の顔に変わったことを思わせる。

店に入って様子を見渡す。
客は30バランスに5人、15バランスに10人。
まずまずの入りと言っていいだろう。

キャッシャーで確認した朝からのインは600、
集計用紙をみるとこの時間で150ほど上がっている。
これだけ抜けていれば上出来の部類だろう。

テーブルの傍に行って、常連客に挨拶をする。

常連の何人かはサービス欲しさに寄ってきて、
自分がいかに負けているかを力説するが、
いつものことなので機嫌を損なわないように適当にあしらう。

他の客の目もあるので「言えばくれる」と思われてはいけない。
逆に何も言わない時にさりげなく出すのがコツなのだ。

シャッフルの合間にソファで休憩している何人かの常連とも談笑する。
他の常連客に連れられてきた新規の客がいたので、挨拶がてら話しかける。
店の長に挨拶されて気分の悪い客はいないからだ。

ゲームが始ってから遊び方を見ると、なかなかの張りっぷりだった。
こういう客なら是非リピートさせたいと思う。

とは言え様々な客それぞれに、こまめに気を使うのが基本中の基本だ。
贔屓はする側よりされる側の方が敏感なものだ。

ただしずっと店内にはいないように、僕自身は心がけていた。
たとえ暇でも忙しく見せておかないと、
客が甘えて要求がエスカレートしかねない。

その後、休憩室でディーラーやウェイトレスとコミュニケーションを図る。
アングラとは言え組織だから、彼らのメンタルケアも大事な仕事で、
ちゃんと見てるよ、ということは折に触れて伝えなければいけない。
その中にいたのが、当時入店したばかりのナカヤマだったのだ。

他愛も無い話で盛り上がっている彼らに
僕のできる範囲で話を合わせる。
インドに行きたいとしきりに口にするナカヤマに

「インド行ったら帰ってこなさそうなタイプだよな」

などと突っ込みを入れ、話題が性格の話から血液型の話へと移っていく。
どこの世界にもある世間話の類だが
そんな会話の中にも、その相手の精神状態は現れてきたりする。

そもそも若い子は精神状態が接客に直結しやすいので、
使う側が気をつけてやらなければいけない。
イライラしたまま接客に当たってトラブルを招いては目も当てられない。
跳ね返ってきて困るのはこっちだというのもある。

もちろん勤務状態や成績に応じて、当事者ごとに話し方を変える。
単に叱るのも、ただおだてるのも良い方法とは思えない。
時に厳しく、時に励ます、そういうやり方を心がけてはいた。
うまくできない事ももちろん多かったが。

そして昼番の責任者を事務室に呼んで軽いミーティングをする。
気づいた点は遠慮なく報告させるようにしないと、
24時間店にいるわけにはいかないのだ。
となると現場の意見はかなり重要になってくる。

責任者からは、中国人常連が朝から大負けしていて、
だいぶ熱くなっているとの報告がある。

もともと特別サービスを責任者の裁量で出していい
と言ってあるので、その点は責任者がうまくやるだろう。
後でチェックすればいいだけのことである。

責任者クラスには、先月の数字と今月の目標値を伝える。
それくらいのポジションであれば、ある程度の数字を教えて、
ノルマ的な値を課すようにしている。
配当をもらえるのだから、彼らもその方がやる気になるのだ。

ミーティングが終ってしばらくすると、常連客の一人から電話がある。
彼女はホステスをしているので、営業電話をかけてきたのだろう。

世間話をしながら収支をPCで確認すると、
先月はトータルで100ほど負けている。
一度同伴で行ってやってもいいだろうかという数字だ。

ただし、今日すぐに行くわけではない。
月の初めと月末は出かけられないということにしてあるのだ。
そうでもしないと営業費が抑えられないからだ。

少ない投資で大きな回収を見込むには、営業費だって抑えたい。
日曜を除く日が毎月25,6日あるが、
そのうち営業に行くのは15日くらいに抑えるようにしている。
その辺の兼ね合いはこちらの腕の見せ所である。

「今日はちょっと月初めで忙しいんで」

そんな言い訳をしながら数日後に約束をして僕は電話を切った。

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The Outcasts・23

「もしもし。お久しぶりです。ナカヤマですけど」

見覚えの無い電話番号からかけてきていたのは
僕が仕切っていた店で働いていた一人のディーラーだった。
僕と働いた頃には既にベテランと言ってもいい年代だったが
決して黒服にはなろうとしない男だった。

おそらくナカヤマは経営や接客に心を砕くよりも
気楽に言われた事だけをこなしていたかったのだろう。
こういった稼業に時々いるタイプだ。

けれど相手が誰であれ、アンダーグラウンドの世界から離れてからは
僕の方から電話をかけることなど皆無に近いし
かかってくることも滅多にない。

だから少し意外に思って返事をした。

「おお、久しぶりだな。元気か?どうした?」

そう問いかけながら、彼が電話をかけてきた用件を想像する。

金の無心ではあるまい。
そんな頼みを受け入れてくれると思うほど、
僕と彼は親密ではない。
要は電話番号が変わったことを教えない程度の仲なのだ。

そんな相手が突然電話をかけてきたということは
仕事に困って紹介を依頼してきたか
あるいは表の世界の相談や悩みがあるのか。

実際のところ、稀にかかってくるカジノ関係の人間からの電話の大半は
そんな類のものであることが多い。

ただ、同じ店に居た当時でさえ
それほど親しくなかった僕と彼の関係を考えると
そういった相談事でさえちょっと想像しにくく、
僕は若干嫌な直感を持たざるを得なかった。

「いや、実はちょっと話を聞いて欲しいんですけど
今度時間作ってくれませんか?」

悩み事でもあるような台詞だったけれど
実際の口調はやけに明るくて
僕はそのことも少し訝しく思う。

「時間作るのは構わないけど何か相談でもあるのか?
先にある程度の概略だけ言っておいてくれよ。
俺は今カジノ業界じゃないんだし
調べないと答えられない事だってあるんだからさ」

彼に会って相談を持ちかけられるにしても
やはりいい加減な答えをしたくはなかったから
僕は彼に先に概略の説明を求めた。

法律がらみのことであれば
条文や判例を当らないと返事が出来ないことだってあるし
電話で済む話のためにいちいち時間を作るような仲でもない。

「・・・お会いしてから話したいんですけど。
つっても悪い話じゃないですよ。
うまく行けばすげぇ美味しい話です」

一瞬口ごもった後、彼はそう言った。
そしてその瞬間、僕の中にあった嫌な直感が
急激にその大きさを増し始めた。

カジノ関係の人間が持ち込む電話では話せない話。
疎遠だったにも関わらず、会う事が前提。
特別なスキルもコネも無いのに、美味しいという話。

この事実を総合すれば、大体の予想はつく。
僕は心の中の苛立ちを懸命に抑えて、彼に言う。

「あのさ、俺もまるっきり暇ってわけじゃないからさ
しょうもない話をしに時間作るのは嫌なんだよ。
相談ならある程度内容聞かないといい加減な答えとかしたくないし
他の話なら他の話で、時間作る意味があるかどうかは聞いておきたいね」

少しきつくなった口調に、彼が黙る。
僕は追い討ちをかけるように言葉を重ねた。

「会って話すってさ、マルチか何かの勧誘じゃないのか?」

「あ、いや・・マルチかどうかは
会って話を聞いてから判断してもらえると・・」

語るに落ちるというやつだ。
電話でマルチの勧誘などしても誰も乗りっこない。
あれは会って一種の催眠状態などを作り上げてこそ
それに引っ掛る人間が出てくるのだ。

おそらく行けば複数の人間がいるだろう。
そしてなんだかんだと言葉を並べて
何かの集まりに連れて行こうとするだろう。

ナカヤマがそのビジネス(と呼べればだが)で成功しているのかは
最初から聞くまでもなかった。
ネットワークビジネスで成功できるのは
それを最初に始める人間だけだ。

それなのに、カジノ業界の人間で
マルチまがいの商売に手を出す人間は多い。
浮利というか、不労所得が何より好きな人種が集まる世界なのだ。

けれどもし、彼がそれを最初に始めたのなら
何年も疎遠だった僕になど声をかける必要は無い。
彼の身近な人間数人を「子」にしてその下の「孫」まで拡大できれば、
その先は自然と利益がねずみ算のように膨れ上がっていくだろう。
そこに至るまでがネットワークビジネスの肝なのだ。

とどのつまり、ネットワークビジネスというのは
自分がそれまで築いてきた信頼と人間関係を金に換える行為だ。
それに加わる人間全てが成功することが原理的に有り得ない以上、
最後に誰かが必ず貧乏くじを引く。

誰しも貧乏くじは引きたくないからこそ
こうやってほとんど接点の無い人間にまで声をかけるのだ。

それ以上、ナカヤマと交わすべき言葉は無かった。
僕はナカヤマにアポイントを取る意思が無い事を告げ電話を切った。
苛立ちも、怒りも既に無かった。
終ってしまえば、それは今の僕の日常の一こまだ。
何かの不利益を蒙ったわけではない。

けれど彼の電話は僕に、
かつて自分が属していたアンダーグラウンドの世界での
自分の日常を思い起こさせて
僕はこうして日記のような文章を書くことになったのだ。

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The Outcasts・22-4

ヨシオカはオーナーについてこう言っていた。

「在日の人らしい」

人種の問題なのではない。
らしいということは、ヨシオカ自身はオーナーを知らないことになる。
間に入っているとヨシオカが言っていた人物は
ヨシオカのケアをちゃんとしてくれる人間なのだろうか。

弁護士は着けてくれているのだろうか。
差し入れなどは持っていっているのだろうか。
家族のことは大丈夫なのだろうか。

僕のところに入ってくる情報はひどく少なく
内心で案じながらも、出来ることはほとんど無かった。

そしてヨシオカの消息がはっきりしたのは
僕が店を再開してからしばらく経過した頃のことだった。

誰が焚き付けたのか知らないが
どこかの小金持ちが、カジノに手を出す話になったらしく
知り合いが物件を紹介してくれと言ってきた。

僕はふと思い起こして、ヨシオカの店の物件を挙げてみた。
摘発された経歴のある箱は「アヤがついた箱」として
嫌がる人間も多いのだけれど、
その分安上がりということもある。

「場所自体は悪くないけど空いてるかな」

そんな話になって、行きがかり上で
僕が借主であるヨシオカにコンタクトを取って
物件を見に行くことになった。

ところがヨシオカはまだ勾留されていた。
摘発されてからそろそろ二ヶ月になろうとしていたから
おそらく保釈申請は認められなかったのだろう。

「上の人が何もしてくれなかったんです。
弁護士も自腹で着いてもらったし」

ヨシオカの妻の愚痴を聞いて
僕は、間に入っていた人間がヨシオカを見捨てたことを知った。
そして、ヨシオカが抜かったことにも気づいた。

僕らのような現場を仕切る人間や名義人は
摘発された時には罪を全部被ることになる。
オーナーの名前を出すことはあってはならない。

その代わり、きちんとしたケアを要求する。
そうでなければ、経営者としてオーナーの名前を出すよ、と
ある種の保険をかけておくわけだ。
でなければ、誰も助けてくれない。

転ばない人間はいないけれど
転んだ時に怪我をする人間としない人間は間違いなく分かれる。

おそらくヨシオカはオーナーの名前すら知らなかったのではないだろうか。
間に入っている人間の名前(それも本名かどうかも不明だ)を出したところで
国に帰ってしまえば捕まえられるものではない。

さらに悪いことにヨシオカには入墨がある。
それも極道が入れるような本格的なものだ。
心証は極めて悪いものになっただろう。

見ず知らずの人間と組むということに対して
ヨシオカ自身にも甘いところがあったのは否定できない。

僕は弁護士に連絡を取って
少しばかりの差し入れを頼み、物件の処理についての意思を確認した。
解約は当然として、備品が売れるなら、売って欲しいということだった。

そしてあちこち動き回った挙句に
ようやく物件を確認できることになった当日のことだった。

買い手と大家とともに物件に向かう。
大家から鍵を受け取りドアの前に立った時
明らかに異臭が漏れていることに僕は気づいた。

「?」

恐る恐るドアを開ける。
異臭はどっと流れ出てきた。

なんだこの臭いは。

口々に騒ぎながら電気を点けようとする。
スイッチを入れても明かりは点かなかった。
ブレーカーごと切られていたのだ。

その時点で、僕は臭いの原因の想像がついた。

臭いに耐えかねて、買い手側と大家が戻ってしまった後で
僕は電話でヤマウチを呼び出し、
二人でマスクを着けて、鼻に詰め物をして
臭いの原因を取り除いた。

それは、冷蔵庫の中の食品が腐敗した臭いだった。
捜査員が押収の後にブレーカーを切ったのだろう。
そしてただの箱と化した冷蔵庫の中で食品は腐り
やがて腐臭が外にまで漂うようになったのだ。

換気をしようにもカジノには窓が無い。
日常から切り離すために、カジノには時間の経過を示す物は
時計だろうが窓だろうが全て取り除かれている。

消臭剤を3本ばかり空にして、ドアを開けて
腐敗した食品を全て捨てた後も臭いはなかなか消えなかった。
手や服にも臭いがついた気がして
僕は服を着替えて何度も手を洗った。

売れるような備品もほとんど押収されてしまっていたけれど
それでも最終的にはその物件には借り手がついた。
安い備品を紹介することで借りさせたのだ。

普通であれば、摘発を免れた者が後始末をする。
この場合はその店の黒服の誰かがやるはずだ。
けれど、オーナーサイドがまるっきりの知らん顔をしていたら
誰がわざわざそんな後始末などするだろうか。

責任の擦り付け合いの結果がこうなったのだ。

売れるものを全て売って、それをヨシオカの口座に振り込んだ後、
僕は、ふと自分の手の臭いをもう一度嗅いでみた。

夢の跡と言えば格好が良いけれど
人の欲望の果てに残るものは、
もしかしたら、あんな腐臭なのかもしれないと思ったから。

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The Outcasts・22-3

歌舞伎町に訪れた冬の時代。
それはメディアには「歌舞伎町浄化作戦」と呼ばれていた。

当時の都知事が大々的に取り組んだ公約の中に
歌舞伎町の治安を良くするというものがあって
都知事はわざわざ他県の警察関係者を副知事にしてまで
その公約の実行に全力を注いだのだ。

良かれ悪しかれ、繁華街にはある種の陰や闇がある。
その闇を垣間見ることも、訪れる人を惹きつける魅力になる。
水清くして魚住まず、ではないけれど
ある程度の猥雑さは繁華街には欠かせない。

けれど、そんな僕の個人的な考えなどとは別に
連日のように何らかの店が摘発されていった。

裏ビデオ店、ホストクラブ、ファッションヘルス、ぼったくりバー・・
中国人や韓国人だと分かると、すぐに行われる職務質問。
もちろんカジノやポーカーゲーム屋も例外ではなかった。
むしろ狙われる確率は他の業界より高かったかもしれない。

それまでの情報筋からの情報も
まるで当てにならなくなった。

月に一軒摘発されたとしてもハイペースなのに
二日連続でカジノが摘発されたこともあった。

そうなってくると、客足はぐっと落ちる。
都内の他の繁華街だけでなく
横浜、西川口といった比較的安全だとされる街に
摘発を怖がるギャンブル中毒患者は次々に流れていった。

リスクを負ってまで続けるメリットが無くなる頃、
僕は一旦店を閉めることにした。

一ヶ月ほど、最長でも二ヶ月大人しくしておけば、
この摘発ラッシュも落ち着くだろうという読みもあった。
選挙や人事異動などを考えれば、そういう読みも可能だったのだ。
僕はそれを従業員に伝え、待っていられる者は待っているように、
待っていられない者は、自分で店を移るように言った。

店を作り直さなければならないことを考えると
かなりもったいない気持ちもあったが
地雷原に目をつぶって突っ込むような真似もしたくなかった。

もちろん、ヨシオカとヤマウチには少ないながらも保証給を出した。
彼らは不可欠な人材だったし、核さえきちんと出来ていれば、
店を作り上げるのはそんなに苦労ではないと思ったからだ。

ほとんど休み無しで働いてきたのだ、
しばらく充電期間といこうか。

僕はそんなことを考えながら
客との個人的な顔つなぎだけをする日々を送っていた。

そしてある日、三週間ほどした頃だろうか、
ヨシオカから電話があって僕は歌舞伎町まで呼び出された。

「実は・・」

少し言いにくそうにヨシオカは話し始めた。

「自分の知っている人から、カジノやりたいんだけど
お前仕切ってくれないかって言われて・・
生活もあるんで受けようかと思っているんですが」

正直に告白すれば、一瞬僕はむっとした。
保証給まで出してるのに、裏切るような形で去っていくなんて。
そんな思いはあったと思う。

けれど、僕はすぐに思い直した。
ヨシオカクラスの人間であれば、そういった誘いもあるだろう。
日々現場で客と接しているのだ。
ちょっと気の利いた人間であれば誘いをかけてもおかしくはない。

店を開けている時であれば、
それは筋の通らない「不義理」として非難される。
引き抜き行為に加えて競争相手の店を開けるのだ。
場合によっては相当揉めるけれど
今は店を閉めているからそんな非難はお門違いということになる。

それに今のままであれば、ヨシオカはいつまで経っても僕の下だ。
男である以上、トップになって勝負してみたいという気持ちがあっても
それは致し方の無いことではある。

僕と働くことで学んだことと
ヨシオカ自身が発見し身につけたこと。
これなら自分で仕切ってもやっていける、
ヨシオカがそう考えたとしても当然のことだし
実際それはその通りでもあった。

ちょっとした工夫と向上心、そしてある種の覚悟さえあれば
もともとの人材の層が薄いこの世界でのし上がるのは
そんなに大変なことではないのだ。

「そうか。残念だけど仕方ないな。
いつから動き出すの?」

僕はヨシオカにそう尋ねた。
こちらの再オープンより前であれば
人材の流出も覚悟しなければならない。

「箱はあるんで、来週には開けられると思います。
オーナーは在日らしいんですが、間に入ってる人がいて
その人が金を動かしてるんではっきりは分かりませんが」

ヨシオカが間に入っていると言って挙げた人物の名前は
僕も知っている韓国人の名前だった。
僕の店にも遊びに来ていた客の一人だった。
おそらくその男が、誰か金主を見つけて
カジノをするように焚き付けたのだろう。

実のところ、その時に直感的な危惧は感じたのだが
ヨシオカには言わずに、僕はただ頷いた。

「まぁこっちもまた開けたら被るだろうけど
お互い頑張ろう」

そしてヨシオカは自分が仕切り役として店を開けた。
後から知ったのだけれど、名義人にまでなっていた。

「すごく流行ってるみたいですよ。
今歌舞伎町寒くて閉めてるところ多いですし」

ヨシオカの店には行かなかったヤマウチがそう教えてくれた。
もちろんその噂は僕の耳にも入ってきていた。

僕のところでやっていたイベントと
僕のところにいた従業員をかなりの人数使ったことで
最初のうち、客には僕が仕切る店だと思われたらしい。

ヨシオカ自身、それをあえて否定しなかった節もある。
その方が客に受け入れられやすいと踏んだのだろう。
何人かの客には、そういった電話までもらう羽目になった。

この調子だと、こっちが開けてからしばらくは
相当大変になるだろうな。

僕がそう覚悟しながら
ある条件が整い次第、準備にとりかかることにした時のことだった。

「ヨシオカさんの店、持ってかれましたよ」

教えてくれたのはヤマウチだった。
この寒い時期に店を開けてイケイケで商売をしていたのだ。
それくらいはヨシオカも覚悟の上だったかもしれない。
もちろんあまりに早すぎるとは思っただろうが。

僕が考えていたある条件、

「もう一軒摘発されれば落ち着くはず」

これを満たしたのがヨシオカの店だったことに
僕は少しばかり胸が痛んだけれど
それ以上に気がかりなことがあった。

ヨシオカの話を聞いた時に感じた危惧のことだった。

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The Outcasts・22-2

ある時、店に黒服の欠員が出た。
当然募集をかけて補充することになる。

こういったケースでは僕自身が知っている人間に当たるのだけれど
そうそう都合良くは集まらないから他の黒服にも当たらせることになる。
使えない人間を紹介しているようでは自分の評価も落とすから
それはそれで有効な求人の仕方だと言ってもいいだろう。

そんな時にヨシオカが紹介して来たのがヤマウチだった。

「一緒に働いたのは短かったんですが使えますよ。
確かこの間閉まった○○で責任者やってたはずです。
空いてるようならお勧めですよ」

そう言って紹介して来たヤマウチは
確かにヨシオカの言う通り有能な男だった。
しばらくはヨシオカの下に置いて使っていたのだけれど
むしろヨシオカがいない時間帯に置くべき人材だった。

ただ、だからと言ってそうそう抜擢はできない。
当然そのポジションには別の人間がいるのだから
簡単に降格などもさせられない。

正直に言って当時のもう一人の責任者は
人材不足のあおりで消去法的に残った
業界に長年いただけが取り柄の男だったので
内心ではさっさと交代させたかったのだけれど
そう簡単なものではない。

自分のポジションを新参に奪われる・・
これに対しては当然嫉妬や自尊心のような感情が生まれるし、
僕らのようなアンダーグラウンドの組織にとっては
そういった感情は非常に厄介な存在なのだ。

人間関係をぐちゃぐちゃにするだけでなく
金銭的な被害まで招きかねない。
責任者クラスが不正を行おうと思ったら
それを未然に防ぐのは難しいのだ。

ましてわざわざ不満を生じさせて
こちらがそれを呼び起こすようなことはできない。
恨みを買うことがそのまま存続に関わる世界では
配置転換でさえ容易なことではない。

いくら駒とは言っても
そこまでドラスティックなことはできないので
ヤマウチをどう使うかを考えながら
僕はしばらく様子を見ていた。

機会が全く無いわけではないからだ。

アングラカジノの世界では、店の寿命は短い。
摘発されることもしばしばだし、利益を出せずに潰れていく店もある。
控除率通りに収束させようと考えたら
長いサイクルで営業しなくてはならないが、そこまで持たないのだ。

さらに摘発を避けようと、箱替えと呼ばれる店の移動もある。
半年ほど営業したら、別の物件に移動してマークされないようにするのだ。
予め予定を立ててすばやく移動することもあれば
摘発情報などによって急に移動せざるを得ないこともある。

そんなこんなで、カジノで働く人間にとっては
急に店が無くなるということは決して珍しいことではない。
従業員が条件次第で店を転々とする一方で
店側も従業員の雇用の安定を気にしたりもしない。

僕が言う「機会」というのはそういう意味だ。

その当時の店も、おそらくしばらくすれば箱を替えることになるはずだった。
その時に、どうしても必要な人間にだけ声をかけておく。
いついつまでに店をオープンさせるから待っていろと言うのだ。
場合によっては若干の保証給を投げておくこともある。

逆に、特に使いたい人間でなければ
店を解散するからと言って予定も明らかにしなければ保証もしない。

そうやってふるいにかけて、必要な人間を厳選し、確保していく。
ヨシオカとヤマウチの二人を中心にするのはその時にしようと
僕は考えたのだ。

そして予定通り箱を移動することになった。
予め当たりをつけておいた物件だったから
開けようと思えば2日もあれば開けられたのだけれど
リストラをする意味でも僕は一週間の空白期間をおいた。

勤務態度の良くない者、給与に見合った仕事をこなせない者に対しては
店は解散するといって解雇を告げ、
核になる人間には個別に連絡をして、予定を明らかにした。

有能な人間を揃えて、自分の思うように仕切っていくというのは
どんな分野でも楽しいことだと思う。
ましてそこに結果が伴えば、それが楽しくないはずがない。

ミーティングをしては改善点を見つけ、
それを現場にフィードバックしていく。

どんなイベントを打てばいいか、
従業員の意識はどうなっているか、
顧客の管理は適切に行われているか・・。

おそらく歌舞伎町で一、二を争う繁盛店になったのは
もちろん僕一人の力ではなく、むしろ彼らのお陰といってもいいだろう。

そしてさらに一年近くが過ぎ、歌舞伎町に冬の時代がやってきた。

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The Outcasts・22

カジノを仕切っていく上で、
自分の右腕となる存在が不可欠であることは
既に何度か述べたと思う。

店が24時間体制で稼動している以上
四六時中自分が張りついているわけにはいかない。
むしろ、自分がいなくても現場がきちんと動くように
どれだけ組織を構築できるかこそが肝に近いと言っていい。

ある時期の僕にとって
ヨシオカとヤマウチはまさに左右の腕という存在だった。

どちらもそれほど長い時間を過ごしたわけではない。
それぞれ別々の店で責任者クラスの仕事をしていたのだけれど
ヨシオカは店の摘発で、ヤマウチは胴のパンクで職を失って
知り合いの伝を頼って僕がいた店に来たのだ。

もちろん来た時期は異なる。
先に来たのはヨシオカだった。

新人の黒服というのは
どこの店でも最初は警戒される。
不正行為を働かないか、勤務態度はどうか
口先だけで世渡りを図る人間の多い業界だから
そう簡単に信用は得られない。

けれど、ヨシオカを使いだして数ヵ月後には
その有能さと豊富な経験に僕は気づいた。

客の顔や遊び方を記憶しているだけでなく、
不正行為に対する知識、業界の噂話、
どれを取ってもさすがに責任者クラスの仕事ぶりだった。

いささか頑固すぎるところと
自分の流儀を下の人間に押し付けがちな欠点はあったけれど
僕はヨシオカを責任者に抜擢することにした。

日が浅いという心配が無いわけではなかったが
それについてはある程度の自信と覚悟は持っていた。
子供が産まれたばかりだと聞いたのも、
その自信を補強する一因にはなった。

産まれたての赤ん坊を持つ人間は
発覚した時に逃げなければならないような行為を
そう易々とできるものではない。

事実、抜擢された後も
ヨシオカの仕事ぶりには全く問題は無かった。

日々の小さな信用の積み重ねが
自分の収入に跳ね返ってくるというのは
別にカジノでなくても良くあることだけれど
僕はオーナーに掛けあって、ヨシオカに責任者手当てとして
給料を上乗せしてやることにした。

人材流出の防止というのはもちろんだけれど
待遇への不満が不正の引き金になることは
僕とて重々承知していたのだ。

ヨシオカの休みの前日を見計らって
僕はオーナーとのアポイントを取り
ヨシオカを同席させた。

現場の切り盛りを任せている人間がどういう人間か
オーナーも知りたいだろうし
ヨシオカだってオーナーがどういう人か知りたいはずだ。

「遅くなっちゃったけど今日はサウナでも泊まってくれ」

オーナーと別れた後、僕がヨシオカに言うと

「いや、タクシーで帰ります。サウナ入れないんで」

ヨシオカはそう答えた。
その返事で僕はあることを察した。

「もしかして彫り物入れてるの?」

ヨシオカは苦笑いしながらシャツの袖をまくった。
そこには、見事な唐草模様が手首のすぐ際にまで描かれていた。
タトゥーと呼ばれるワンポイントの刺青ではなく
極道が「ガマン」と俗称で言うところの入墨だ。

本職以外でそこまで本格的な入墨を入れる人間は少ない。
僕は冗談半分で茶化すように尋ねた。

「本職だったの?」

昔極道だったのか、という意味だが
ヨシオカは即座に首を横に振って言った。

「まさか。若い頃ちょっと憧れてたんで」

普段の立ち居振る舞いを見ていれば分かることだったが
まぁそれはそれでちょっと意外な事実だった。

ヨシオカがやってきてから1年ほど経った頃には
僕はほぼ全面的にヨシオカを信用していたし、
かなり安心して現場を任せるようになっていた。

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The Outcasts・21-8

僕の向かいに座ったマキはしばらく黙っていた。
僕も何を言えばいいか分からずに、黙って額の汗を拭いていた。

グラスの水滴が、紙で出来たコースターをしっとりと湿らせた頃
言いにくそうに、少し恥ずかしそうにしながらマキが話し始めた。

「実はね、Aさんにお金を貸してたんだけど・・
それで・・来週返すっていう話が・・」

見栄なのか何なのかは分からないけれど
何かを隠そう、何かを装おうとしながら饒舌に話すマキ。
その冗長な話を要約すると、結局は金を貸してくれということだった。

「貸す、貸さないは別としていくら必要なんですか?
いくら借金があって、どうやって返すんですか?」

そう聞き返した僕に、マキは言った。

「とりあえず50万、50万あれば何とかなるの」

絶対に何とかならないのはすぐに分かった。
そんな額で何とかなるはずが無い。

50万やそこらで何とかなるなら、
僕に借りようとはしないだろう。
頼めそうなところは全部当たった上で
僕が貸しそうな額が50万だと踏んだだけだ。

それは、ある意味では
マキが付けた、僕とマキとの関係の値段だ。

「そんな大金、僕には無理ですね」

僕はそう言いたいのをこらえて、もう一度マキに尋ねた。

「で、いつまでに、どうやって返すんですか?」

「今月中に働いて返すわ」

「お店、辞めちゃってるじゃないですか。
それに、50万の給料なんて返済に回せるんですか?」

マキは黙った。
そして、今度は少し口ごもりながら言った。

「実はね、知り合いの人がお店を紹介してくれてね。
そこで給料をバンス(前借)させてもらうの」

嘘、では無いだろう。
けれどそこには絶対に裏があるはずだった。
もしそれがそのままの話なら
僕でなくても身近な誰かが貸してくれるはずだからだ。

ということは、身近な人間には言えないか、
明かされていない事実があるかのどちらかになる。

僕を騙そうとでもいうのだろうか。
少し頭に血が上り、思わず詰問口調になる。

「どこの、なんていうお店ですか?」

マキは再び黙った。
沈黙が流れ、僕はウェイトレスにコーヒーのお代わりを頼む。
コーヒーが届いてしばらくしてから、
マキは恥ずかしそうに話し始めた。

「歌舞伎町のお店じゃないの。
普段は事務所みたいなところで待ってるだけで
電話があったら、待ち合わせて相手の人と会うの」

ああ、と思った。
ついにその日が来たのだろうか。

マキの言う仕事は、要するに風俗嬢だ。
いわゆるデリヘル嬢というものだ。
間違っても、会うだけ、ではない。

「会うって・・マキさんそんなことできるんですか?」

何度目かの沈黙が流れ
今度はマキは泣き始めた。

「・・だって・・こうしないともうどうしようもないもの・・
みんな誰一人助けてくれないし・・」

すすり声を上げて泣くマキを見て
周囲のテーブルの客の視線が僕に突き刺さる。

「男は上り詰めないと金を持てないが
女は落ちても金を持つことがある」

誰かがそんなことを、若かりし頃の僕に言っていた。
マキが本当にその世界で生きていくのであれば
借金ももしかしたら返済できるかもしれない。

おそらくは無理だろうと思ったのだけれど
僕は立ち上がって言った。

「分かりました。貸しましょう」

僕が近くの銀行から金を下ろして戻ると
マキは誰かに(おそらく金貸しだろう)電話をしていた。
そして、僕が銀行の封筒を差し出すと、
マキは嬉しそうに、本当に嬉しそうに電話を抱き締めたのだ。

苛烈な追い込みから逃れられるだけで、
こんなにも人は、喜べるのだろうか。

僕はそう思って、少し切なくなって
まだ暑さの残る店の外へ出た。

けれど、案の定、約束は果たされることはなかった。
マキが指定した期日に僕が電話をかけると

「今日はこれしか用意出来なかったの」

そう言ってマキは10万だけ僕に返し
改めて指定した期日を待たずに、飛んだ。

彼女のメンタリティで
コールガールが務まるとは思えなかったから
飛ぶことはある程度覚悟していた。
むしろ10万が返ってきたことの方が驚きだった。

マキが今、どこで何をしているか僕は知らない。
噂では、逃がしたのはパトロンだとかいう話だから
調べようと思えば調べられるのだけれど
もとより、追い掛ける気もない。

金貸しは血眼で捜していたようで
僕のところにまで情報を求めて来たけれど
もちろん何一つ教えなかった。
高利貸しを助けるなんて真っ平だから。

できればマキが、これ以上落ちて行くことなく
うまくリセットできればいいとは思う。
落ちても金を持つことがあるからと言って
高利貸しのために働く必要なんて無いのだ。

いわんや、博打の種銭のためになんて、だ。

そこまで思い起こして、
僕は自分が無意識の間に列車を降りて
改札を出ていたことに気づいた。

変化の乏しい日常を生きていて、
あの頃から上ったのか落ちたのか、
僕には、自分自身のことも良く分からないのだけれど。

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The Outcasts・21-7

バカラは非常に控除率の低いゲームだ。
プレイヤーに賭けても、バンカーに賭けても
1%強の控除率しか負担しない。
しかも2回に1回は当たりの快感を味わえる。

自分が負担していた控除率の大きさには
破滅の一歩手前でなければ気づかないものなのだ。
そして、さらに恐ろしいことに
その時には、もう止めることは出来ない。

バカラというゲームそのものが持つ破滅へのステップに加えて
マキは別の要因まで抱えてしまうようになった。

マキは高利貸しの保証人にまでなっていたのだ。

博打場に巣食う高利貸しは
ある意味においてはババ抜きのようなものだ。
トイチ(10日で1割の利息だ)の金に手を出して
必勝法の無い博打を打つ人間が
トータルで所持金を増やすことなど皆無だ。

博打打ちに必要な冷静さも、理性も何も無いのだ。
まともに借金を返せるはずが無い。
だから、最後は必ず飛ぶ。逃げる。

元金を回収するまでに、9回回ればいいのだけれど
(最初に1割引くから、9回でいいのだ)
それすらも危うい人間が多いから
高利貸しは極力保険をかける。

自分の顔の利くカジノに行って
サービスチップを利息代わりに取り上げるのもそうだけれど
マキのようなお人よしは絶好の鴨だ。

「マキが保証するなら貸してもいいよ」

そんなことを言えば
借りたくて仕方の無い人間は必死でマキに頼む。
保証人なんて、自分が借りるより酷いものだけれど
マキのような世間知らずが、軽率に承諾したりする。

「絶対に迷惑はかけないから」

保証人になってくれと頼む時点で
既に十分迷惑をかけているのだけれど
世間知らずはこう考える。

「私はもう貸してあげられなくて可哀想だから」

彼らとて、最初から逃げようと思っているのではないだろう。
でも、返せるはずが無いのだ。
トイチの金が借りられなくなったら、
次はもっと高利の金に手を出す。

そんなことを繰り返せば
一ヶ月もしないうちにパンクするだろう。

そして、借りた本人が逃げれば
高利貸しはマキに返済を要求する。
それも、利息もひっくるめた総額をだ。

「そんなになるわけないじゃない」

携帯電話で言い争うマキは、最後には

「わかったわよ。払えばいいんでしょう」

と面倒そうに言って電話を切っていた。

とはいえ、何度か諌め、忠告した僕に
マキは本当の事情を打ち明けなくなっていったから
それがどういった内容の電話か、正確なところは知らない。

でも、行き着く先は僕には分かっていた。

マキは今度は保証人ではなく、
自分自身が高利貸しから金を借りるだろう。
金利が滞れば、高利貸しは平然と職場にも行くだろうし
パトロンの元にも行くだろう。

事実、いつの間にかマキは店を辞めていた。
噂では、パトロンといる時に追い込みをかけられたらしい。
そんな女はもう知らんとパトロンは言い放ったようだった。

そしてマキが僕に電話をかけてきて会おうと言った。
用件は聞かなくても分かっていたが
僕はマキと新大久保の喫茶店で待ち合わせた。

夏の昼下がりのことだった。

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The Outcasts・21-6

最初信用していて、後から猜疑心が芽生えると
人はなかなか払拭できない。

逆に、最初は警戒していたのに
一旦それが解除されると
人は無条件に信じるようになる。

疑うべき理由があっても
わざわざ自分でそれを否定する理屈を作り上げてまで
一度築いた信用を維持し続けようとする。

おそらくマキは、最初は僕の店で出会う人全てに対して
強い警戒心を抱いていたはずだ。
ところが、店の人間である僕と親しくなることによって
その警戒心を解くようになった。

すると今度は、僕と無関係な人間まで
信用するようになっていったのだ。

いつも周囲に人が絶えず、
華やかな雰囲気をカジノでも持つようになったマキ。

時には、僕から観ると眉をひそめるような客とも一緒にいたけれど
マキが僕の店に来ることで、他の客も店に来るのだ。
あえてそれをやめろと言うことは僕には出来なかった。

けれど、僕には分かっていた。

マキの周りに集まる人の、ほとんど全ては
マキが無一文になれば鼻も引っ掛けない。
僕とて例外ではない。
客で無くなってしまったら、営業費など出ない。

お嬢様育ちで、チヤホヤされることに慣れていたマキにとって
周囲の人々が発する言葉の真実は見えていたのだろうか。

ある日、黒服の一人が僕に言った。

「マキさんはAとBに駒を回してますね。それもかなり」

ついにそうなってきたか。

僕は歯がゆい思いをしながらその話を聞いていた。
博打に嵌まって金を失った人間は金のある人間にすり寄る。
運良くご祝儀がもらえればいいし
適当な物語を拵えて、金を借りてもいい。

もともと彼らに失うものは無い。

使ってはいけないお金に手を出して・・
来週になったら金が入るから・・
この間一緒にいたアイツに金を貸してるから、それを代わりに・・

ちょっと気の利いた人間であれば耳も貸さないような話に
世間知らずのお人よしはコロリと引っかかる。
借りた瞬間に彼らから発せられる感謝と賞賛の言葉は
返せない時には、嘘と言い訳で塗り固められる。

一人目でそれを学習すればいいのに、
お人よしは、次の誰かは前回とは違うと思い込む。

あの人は逃げたりしないから大丈夫。

そんなことを、半ば自分に言い聞かせる。
具合の悪いことに、何度かは事実返済されるのだ。
10万返した相手が、次に20万返せるとは限らないのに
お人よしは、それを信じて疑わない。

けれど、僕がマキにそれを言ったところで
僕の言葉はマキには届きはしない。
僕としても、疎んじられるリスクを背負ってまで
マキをそれ以上たしなめるような真似は出来ない。

そしてマキは、どんどん金を失っていった。

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The Outcasts・21-5

ある日僕は、店の外で偶然マキに会った。
ちょうど僕の店から出てきたところらしく
僕が

「お疲れ様でした」

と軽く声をかけると

「あら。今日はいないなって思ったら外にいたのね。
おかげさまで今日は少し勝ったわ」

と微笑みながら近寄ってきた。
その頃にはマキが上客の部類であることを知っていた僕は
好機と見て、マキにさらに話しかけた。
店の中では話かけにくい雰囲気をまとっている分
こういう機会を逃すべきではなかったのだ。

「これからお仕事ですか?」

「そうよ」

そう答えたマキから、自然を装って店の名前を聞きだした僕は
翌日、マキの店に行ってマキを指名した。
いわゆる営業という行為だ。

席に着いたマキと話す間に
マキが相当なお嬢様育ちであることに僕は気づいた。
ちょっとした所作、言葉遣い、
そういった部分には育ちと言うものが如実に現れる。

そんなことを装うのは簡単だという見方もあるかもしれない。

けれど、一番ボロが出やすいのは
そういった細部でもあるのだ。

穏やかで、丁寧な言葉遣いで話すマキは
むしろ、なぜこういった水商売をしているのか
僕にとっては不思議ですらあった。

その日以降も、マキは僕の店に来て
僕は月に1、2度マキの店に行った。

「僕のところでお客さんにばったり出くわしちゃったら
ご商売的には拙くないんですか?」

僕がそう尋ねるとマキは

「いいのよ、それが気に入らなければ
私のこと指名しなければいいだけじゃない?

私ね、別に指名していただかなくてもいいのよ。
指名するからって私のプライベートまで
どうのこうのっていうお客さんは要らないの」

僕はその考え方は理解はできたけれど、
客の落とす金で成り立つ商売である以上、
現実にそれを実践して行くのはなかなか難しいことも知っていた。

「それはそうですけど・・ノルマとか無いんですか?」

そう問いかけた僕にマキは

「あるわよ。でも、私のこと指名してくれるお客さんは
私が私らしくいてくれればそれでいいっていう人ばかりなの。
そのお客さんだけで私はノルマをクリアできるの。

時々ね、ママが一見さんの席に私を着けてくれるけど
向こうが私のこと気に入っても
私が嫌な印象を受けたら私はもう着かないの。
二度と指名していただかなくて結構ですってはっきり言うわ。

俺は高い金払ってるんだとか言うお客さんには
お代は結構ですからって言って自分で払うの」

ニコニコと笑いながらあけすけに語るマキに
僕は正直羨ましさを覚えた。
それでやっていけるならどんなに楽かということを
僕は嫌と言うほど思い知っていたからだ。

そして、マキがそのやり方でやっていけているのは
おそらく「パパ」の存在があるであろうことも想像できた。
ノルマの大半は、パトロンとパトロンが連れてくる客だけで
クリアできてしまっているのだ。

もちろん、僕は自分からそれを切り出したりはしなかったけれど
やがてマキ自身がこっそりそれを打ち明けてきた。

「最初のうちね、カジノの人たちは
みんなすごく悪い人たちだと思ってたの。
パパはそう言ってたわ。

バカラしたっていいけど、
お店の人にもお客さんにも気を付けなくちゃダメだって。

だから自分から仲良くする気なんて全然無かったんだけど
不思議なもので、こうして店長さんと仲良くなって来ると
お店にいる人たちも悪い人とは思えなくなってくるのよ」

「いや、パパの仰っていることが正しいんですよ。
気を付けられた方がいいですよ。
僕が言うことではないんですが」

苦笑いしながら言った僕の言葉は
マキにはどう聞こえていたのだろうか。
マキはだんだんと従業員や周囲の客と打ち解けていった。

ふんだんな資金を持ち、鷹揚な遊び方をするマキの周囲には
やがていつも誰か他の客がくっついてくるようになった。

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The Outcasts・21-4

カジノにおいては、他の客との関わり方も
黒服にとって重要なチェックポイントになる。

普通、カジノで遊ぶような客は、
一つの店にしか行かない、ということはまず無い。
たいていはあちこちのお店に行くものだ。

ということはこっちが知らなくても
周囲の客とは顔馴染みだったりすることが多い。

顔馴染みであれば、同じテーブルに着けば
挨拶や会釈程度はするものだ。
誰ともそういった交流をしない客というのは、
それだけで要注意なのだ。

誰も知らない客か、誰も関わりたくない客のどちらかだからだ。
いずれにしても、気をつけて観察しておく必要がある。

もちろん要注意ではなくても、新規客の遊び方は必ず気をつけて見る。
何を根拠にベットを決定しているのか、
平均ベットはどれくらいか、
罫線の付け方やカードを絞る手元や視線の先をそれとなく見るのだ。

例えば、シューターからカードが出てくるところばかり見ている客は、
イカサマに嵌められないように用心している場合と、
自分がゴト師でゴトを仕掛けにきたかのどちらかだ。

さらにカードの絞り方も見る。
どういう風に絞っても構わないのだが、
絞る時の手元は必ず見なくてはならない。

カードを握りこんですり換えるマジシャンのようなゴト師もいるからだ。
斜め後ろから見るのが一番発覚しやすいので、
後ろをやたら気にする客はモニター室に連絡して、
ズームでしばらく追いかけることになる。

とにかく、人間の目というのは嘘がつけないことが多く、
薬物でキメている客も、目で分かるものだし、
テーブルを見ている黒服と頻繁に目が合う客も要注意だ。
ゲームに集中していないから周りが気になるということだからだ。

また、罫線を見ながらベットを決めるのが一般的な中で、
他人のベットばかり気にしている客は
「人目=ついてないと思われる人の反対ばかり張ること」
をしている可能性がある。

それ自体は店がどうこう言うような問題ではないのだが、
反対に張られた客とトラブルを起こすケースがあるので、
気をつける必要はある。

マキはそのどれにも該当していなかったが
他の客と会話をしようとしなかった。
誰かが話しかけても、最低限のことしか答えなかった。

そのくせ、自分と同じ方向に張っている誰かが
首尾良くナチュラルナインなどを出したりすると
にっこりと笑って拍手を送ったりもしていたから
人と関わることを嫌っているわけでもなさそうだった。

僕はそれが不思議だった。

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The Outcasts・21-3

マキは、僕が仕切っていた店の客だった。

歌舞伎町の飲み屋でホステスをしていたマキは
それを知っていたシキテンが連れてきた客だったのだけれど
他の客とは、最初に来た時から少し違っていた。

カジノに来る客は、来店した瞬間からそうであるが、
テーブルに着いて打ち始めるまでに
黒服によって気づかれないように観察されている。

極道ではないか、警察関係ではないか、ガジリではないか・・
そういった「店にとって害である客」でないか見られるのはもちろん
どの程度の単価の客になるか、どんな素性であるか
黒服は観察によってできる限りの情報を集めようとする。

財布を出してチップを買う段階であれば
この時には財布の中身を出来る限り見る。
それがカジノの黒服の習性というべきものだ。

パッと見れば大体分かるものなのだが、
厚さやクレジットカードの色などでもある程度の判断は出来る。
カードの類を一切財布に入れていない客もいるが、
それはそれで怪しいわけだ。

普通に社会生活を送っていれば、
カードを一枚も持たないなんてことはあまり考えられない。
キャッシュカードくらいは入っているものだからだ。

もちろん財布を持たない人や
遊びに使う専用の財布を持っている人もいるが
あくまでそれは例外的な存在だ。

財布にお守りを入れる人が多いことや、
開運や風水などで扱われやすいアイテムであることを考えれば、
財布を頻繁に変える人間は少数派だろう。

そして、海外旅行でもなければ、
お金をあちこちに分けている人はそうそうはいない。

財布が空になったからと言って、腹巻から別の財布が出てくる、
なんてことはそうあることではない。
とにかく、いくら持っているか、というのは結構大事な要素だから
黒服は、財布の中身をこっそり盗み見る。

なぜなら、所持金と平均ベットは無関係ではないからだ。
例えば何百万も持っていて平均1万しか張らなければ、
それはカジノにとっては良い客ではない。
手ごわい客かただの見せ金かのどちらかだ。

本来、正しいバンクロールは所持金の1~2%とされているのだが、
サービスチップが出る日本のカジノの場合、
初回のお買い上げ分の5%くらいの平均ベットがないと
サービス目的のガジリである可能性がある。

サービスチップが無ければもっと低くても構わないのだが、
サービスがある場合はプレイ時間が2シュート以下では
サービス分を控除しきれないからだ。

所持金が数百万であろうと、チップをいくら買おうと、
店に落とさないなら良い客とは言えない。
それがバンクロールをキッチリ管理できる客でも
あるいはガジリでもだ。

だから黒服は客の所持金を見ることで
そういった客を判別する手がかりを得ようとするのだ。

ところがマキは、財布を持っていなかった。

ハンドバッグはいつも持って来ていたが
その中を決して見せないようにしながら金を出した。
封筒にも入れていなかった。

帰りかけたのを見て、金を使い切ったのかと思ったら
踵を返して再びテーブルに戻り、また金を出すこともあった。

そして本当に帰る時には、どんなに負けていても

「ありがとう。おやすみなさい」

そう言って帰った。

最初のうち、バッグの中身を見せないようにすることで
注射器やらクスリのパケのような「危ない物」でも持っているのかと
僕は密かに案じていたのだけれど(そういう客もいないわけではない)
そういうわけでもないことにやがて気づいた。

ベットする金額の大きさを見れば
金を持っていることは容易に推察出来たけれど
それを他人に見せるのは美しくないことだと
どうやらマキは思っていた節があった。

そして、奇妙なことに、
あれだけの遊び方をする割に
マキは他の客の誰とも関わろうとしなかった。

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The Outcasts・21-2

駅へ着き、帰路を急ぐ人が溢れるホームに立つ。
数分後、電車が着き、まるで呼吸するかのように
大量の人を吐き出し、大量の人を飲み込んでいく。

降りる乗客が多いせいか、車内には空席がいくつもある。
僕はその一つに腰を下ろし、
携帯電話のメールで妻に帰宅を知らせる。

今から帰る。
はい。

わずか数文字で構成されるコミュニケーション。
ドラマも、ロマンスもそこには無い。
ただの日常に過ぎない。
昨日も、おそらくは明日も繰り返される日常。

そして携帯電話を仕舞い、僕はふと正面に目をやる。
そこには、先ほど追い越した彼女が座っていた。

あのペースで歩いていた彼女が
まさか僕と同じ電車に乗れるとは思っていなかったので
僕はいささか意外に思ったけれど、
良く考えてみれば、あのビルから駅までは
歩いて数分の距離なのだ。
ホームで待っている間に追いついても全く不思議は無い。

彼女は、先ほどの僕と同じように
携帯を取り出していじっている。
少し斜めに伸びた白い脛がやけに艶かしくて
僕は首を傾げて車内の吊広告に目をやる。

と、そこへ携帯の着信音が鳴る。
機械音声でメールの着信を知らせる声だ。

「You've gotta mail・・」

音のする方向へ反射的に目を向けろと
それは彼女が持っている携帯電話だった。

彼女はすぐに折り畳まれた携帯電話を広げて
届いたばかりのメールを読む。

どんな内容のメールをやり取りしているのだろうか。
相手は友人だろうか、恋人だろうか、
あるいは家族だろうか。

そんな想像をしている僕をよそに
彼女はひとしきりメールを読んだ後
嬉しそうに、本当に嬉しそうに、
まるで携帯そのものが恋人であるかのように
携帯電話を胸元で抱き締めた。

そして、その仕草を目にした瞬間
僕の中のかすれかけた記憶が蘇った。

あの夏の午後、新大久保の喫茶店で
僕の向かいに座ったマキは
電話で手短に用件を話した後
最後に、同じように携帯電話を抱き締めた。

嬉しそうに。
自分が世界一幸福な人間であるかのように。

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The Outcasts・21

その日、僕はとある雀荘にいた。

繁華街であっても、雀荘に貸してくれるような物件は
いわゆる「何業可」であることが多い。
特に違法な事業で無い限りどんな商売にも貸す、ということだ。

結果として雑居ビルというよりはピンクビルと言った方がいいくらい
ピンク産業が入り込んでいるビルの一角に雀荘がある、
ということも多い。

5階建てのビルの3階にあったその雀荘も
1階にラーメン屋が入っている以外は
上から下までピンク産業の店子が入っていた。

その日の遊戯を終え店を出て、エレベーターに乗ろうとした僕は
上のフロアにエレベータが止まったままなのを見て
すぐ脇にある階段で外に出ることにした。
いちいち待っているよりその方が早い。

階段を降りて1階に着くと、
ちょうどエレベーターも1階に着いたところで
中から若い女の子が一人出てくるのが視界に入った。

ピンク産業しか入っていないフロアから女の子が降りてくれば、
それはそこで働く女性であろうという推定が働く。

僕は今までにたくさんの風俗嬢を
博打場の客として見てきた。
場合によっては、最初は学生だったのに
いつの間にか風俗嬢になっていた女性もいた。

彼女たちが風俗の現場で働くようになった背景は
もちろん人それぞれであり、簡単に類型化は出来ない。
人はそれぞれ、自分だけの事情を抱えているのだ。

僕の少し前をゆっくりと歩き出した彼女の出で立ちは
アイボリーの春物のハーフコートと
膝丈より少し長いフレアのスカートに黒のミュール。
ストッキングは履いていないように見える。

ごく普通の外見とLとVを組み合わせた柄のバッグと
何か買い物でもしたのだろうか、
横文字の並んだ紙袋を持っている。

僕が歩くのが早いせいもあるけれど、
ビルを出た時にあった数メートルの差はあっという間に詰まって
僕は彼女に並びかける。

僕の知る限り、店の出入りの場面以外で
足早に歩く風俗嬢というのはあまりいない。
彼女たちの多くは、いささかだるそうにゆっくりと歩き、
少ししか離れていないところでもタクシーに乗る。

そしてちょっとした面倒になりかけると
出せる範囲であれば金で解決しようとする。

「あぁもういいわよ、払えばいいんでしょ?」

店のテーブルの一角で、
携帯電話で面倒そうに話していたのは誰だっけな・・

僕は一瞬そんな回想に耽りかけたが
アンダーグラウンドの世界を離れて久しいせいか
その場では詳細を思い出すことが出来ずに
駅へと向かう道で、目の前をゆっくりと歩いていく
見知らぬ彼女を追い越した。

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The Outcasts(読切り短編)21~30 | | コメント (0)