つぶやき2007

コミュニティ

SNSという微妙に開かれた世界の中で
人と人が接点を持ちます。

けれど、会ったことも、話したことも無ければ
相手のバックグラウンドも何も知りません。

そんな時、人は何に頼って相手の事を判断するのでしょうか。

プロフィールや日記に出ていることから
人となりを判断していく事ももちろんあるでしょう。

そして、もう一つ。
相手が入っているコミュニティから
相手の嗜好や傾向を読み取ろうとはしないでしょうか。
自分が入っているコミュニティと同じものに
もし相手も入っていたら、
安心感とまではいかなくても
少し親近感を持たないでしょうか。

そう。
人はそんなところから心象を形成していくものなのです。

であれば、あなたという個人を相手に印象付けるために
コミュニティを使っていくことが必要です。
言うなれば、あなた自身をプロデュースしていくのです。

それは、たくさんコミュニティに入ればいい
というものではありません。
あまりに多くのコミュニティに入ったがために
判断材料としての重要性がぼやけてしまいかねません。

むしろ、数を絞ることによって
あなたが最も強調したいイメージを際立てなくてはなりません。
多くても10個までと考えてください。

いくつか例を挙げてみましょう。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

・ワイルドでクールなオレ。男はタフでなくちゃ。
と咥え煙草でうそぶく貴方にぴったりのこちらのコミュ。

「男ならハーレー・ダビッドソン」
「髭にこだわる」
「シルバーアクセの虜」
「プロじゃないけどギタリスト」
「冬でもサーフィン」
「身体を鍛える」
「色黒は嫌いですか?」
「煙草はやっぱりKOOL」
「生き方がロックンロール」
「人生とんがってこそ」

・いい奥さんになっちゃうもん。お買い得なんだから。
と先に嫁いだ友人とのチャットでつぶやく貴女にはこちら。

「お弁当は手作り」
「添加物NO!」
「家事大好き」
「部屋とYシャツと私」
「少子化STOP!子供たくさん欲しい人」
「厚化粧よりナチュラルメイク」
「口コミで手に入れるコスメ」
「目指せやりくり上手」
「晴れた日はピクニック」
「女の子だもん、守って欲しい!」

・センスのいい女でいたいの。ダサい感性に妥協なんてできない。
ときっぱり言い切る貴女にはこちらの組み合わせが。

「今日から始める自分磨き」
「環境保護団体クリーンピース」
「オーガニック素材にこだわる」
「人に教えたくないレストラン」
「バイリンガル以上」
「ルーブル美術館」
「女ですもの~香水を極める」
「マリア・ガラス」
「涙なんか見せたくない」
「一人で行く海外」

・ヲタクで悪いか?趣味には金は惜しまない。
と深夜にスレッドに書き込む人のためのコミュ。

「初音ミクを考える」
「とことんエヴァンゲリオン」
「聖地秋葉原」
「三度の飯よりネットゲーム~ネトゲ廃人同盟」
「VIPPERですが何か?」
「ちょwwワライ草生えすぎwwwww」
「二次元マンセー」
「カラオケならアニソン」
「アニメは文化」
「ニコ厨集まれ」

・人生楽しまなくちゃ。自分らしい生き方を探すんだ
とイベントで気炎を上げる人にはこんなコミュが。

「南の島で暮らす」
「海が見えるロケーション」
「ロハスを楽しむ」
「時計なんて要らない」
「No music, No life」
「呑む~お酒好きの集い」
「今を生きる~刹那主義といわれても」
「他人は他人、自分は自分」
「レゲェが好き・トランスが好き」
「マリファナ解禁運動」

*上記のコミュニティタイトルはフィクションです。
実際のコミュニティとは無関係です。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

どうでしょう。
これだけであなたという人物を
相手に対して鮮明に印象付けられます。

これからはセルフプロデュースの時代です。
インタラクティヴ性がクローズアップされるネット社会で
あなたも自分自身を発信してみませんか?

当コミュではあなたの希望するイメージに
ぴったり合ったコミュニティの組み合わせを参加者が研究し、
何通りかのパッケージで提供するものです。


・・っていうコミュが出てくるんじゃないかと
ふと思った11月、雨。
ま、ヒマだったんですな(笑)。

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レジスタンス

今さら言うまでも無いけれど、僕の日記は毎回長い。
たまに短いのもあるけど気付くと長くなっている。

こういう長文を書く時に
他の方がどういう風にやっているのか
僕は知らないのだけれど
僕の場合は、頭の中で骨格だけ決めて
後は一気に書いてしまう。
そしてその後に推敲をするのだ。

誤字脱字はもちろん、変換ミスの校正もするし
オチや締め、表現方法、レトリック・・
何度か書き直す。

もちろん例外はあって
勢いだけで書いてしまってUPすることもある。

でも、概ねこの手順を踏む。
人間はミスを犯すものだし
校正したからといって100%無くなるはずもないのだが
やっぱり校正がきちんとされていないのは恥ずかしいから。

とは言え、こうしたからといって
文章が格段に面白くなったりするわけではない。
もちろん何らかの文学的価値が生まれるわけでもない。
完全に自己満足の世界である。

昨日もこうして長文を書いていた。
いわゆる一つのカジノの楽屋話である。
もう30本以上書いてきたけれど
まだ書けることはありそうな気もする。

あるきっかけを通して記憶が甦り、大まかな骨格が出来る。
かすれがちな記憶を頼りに細部を煮詰めていき、
行けそうだとなってからキーボードを叩き出す。

途中で邪魔が入ることもある。
というかほとんどの場合、何度か中断はする。
趣味で書いているのだから当たり前の話だ。

でも骨格が出来ていて細部も煮詰まっていれば
後はいつでも完成させることは出来る。

中断せざるを得ない時は、もちろん保存するのだけれど
長々書いているうちにラインが切れてしまって保存できない、
という経験を何度もしているから
最近は少し知恵をつけて
コピーしてから保存ボタンをクリックしている。

これはブログだろうとミクシィだろうと同じだ。
何事も経験の蓄積というのはそれなりに意味があるのだ。

ところが昨日はある事件が起きた。

キーボードをカタカタと叩いて、ふと天井を見上げたその時
視界の隅に黒い影が走る。

そう不倶戴天の敵、黒騎兵だ。
奴等は己の本能の、欲望のままに振る舞い、
貪欲に、我々のテリトリーを侵していく。
生命力は無限の如き強さで、増殖の速度は光速の如き速さだ。

さぁ、今こそ決起の時だ。
起ち上がれ、同士達よ、革命の戦士達よ。
これは人類史におけるジハードであり
この戦いに敗れることは我らのレーゾンデートルをも失わせる。

逃げてはならない。
武器は至る所にあるはずだ。
台所、玄関、本棚、トイレ・・
何も無ければ衣服でも戦えるはずだ。
いや、真の勇者は素手でも戦えるものだ。

戦えない者は自己批判せよ、総括せよ。
奴等の軍門に降り、走狗となってはならない。

ノリが安保闘争だとか学園闘争だとか
そういうことを気にしている場合ではないのだ。

そして激闘の末、僕は一時の勝利を掴み取る。
例えそれが束の間であっても
この日僕は、確かに勝利の手ごたえを指先でつまんだのだ。

安堵の溜息を吐き、
僕は再びキーボードに向かいマウスを手にする。
どこまで書いたか確認しようと
僕はうっかり確認ボタンをクリックしてしまう。

コピーしたかどうか定かでないことに気付いた時には既に遅く
画面はしばらく動きを止めて瞬間白くなる。
次の瞬間僕の目に入ったのは・・
ログイン画面だった。


そんなわけで昨日は更新を休みました。
え?こんなこと書いている暇があったら
昨日書いたものを書き直せばいいじゃないかって?

そんなに割り切れるもんじゃないんだって。
だってにんげんだもの。

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単車

プロレーサーのノリックが事故で亡くなった。
日本ではそんなに有名じゃなかったかもしれないけど
ものすごく人気のあるライダーだった。

昔、僕もバイクに乗っていた。
ずいぶんあちこち走って回ったけど
特にひどい事故というのは経験しなかった。
一度だけ転んだけど、そんなにスピードが出ていなかったから
ちょっと擦り傷を負っただけだった。

でも、その時でさえ
もしもっとスピードが出ていたら・・、
後ろにトラックがいたら・・、
そう思って怖くなったのを覚えている。

交差点で直進していて
右折しようとしてきた自動車に
危うくぶつかりそうになったこともある。
いわゆる右直事故というやつだ。

ドライバーは中年のおばさんだったけど
迫ってくる車の運転席にいたそのおばさんの
引きつった表情がやけに鮮明に残っている。

バイクに限らず、自動車でもそうだけど
避けようの無い事故、というものがある。
今回の事故もそうだ。

Uターン禁止の道でトラックが突然Uターンを始めるなんて
大抵の人はまず考えないだろう。
そして、そういった避けようの無い事故に遭った時に
バイクのライダーは非常に大きなダメージを受ける。
スピードによっては致命的なダメージだ。

スピードは車と同じくらい出ているのに
身体を守ってくれるものは何一つ無いのだ。
ほぼ剥き出しに近い状態で100km/hの速度を出す、
それがバイクだ。

一人で移動する時には最適な乗り物だと思うけれど
その万一を考えて、僕は結婚と同時にバイクを降りた。

プロのライダーでさえも
避けようの無い事故に巻き込まれるのだ。
僕のような粗忽者は、そうするのが賢明だったろう。

でも、バイクが悪いわけではない。
事故を起こすのはバイクでも車でもなくて人間だ。

だから、いつか僕が親としての責任から解放されて
もう少し自由を手に入れたら
僕はまた、バイクに乗ろうと思う。

バイバイ、ノリック。
あの世で鬼でもぶっちぎれ(←知ってる人はどれくらいいるだろう)

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空席

帰りの電車の中、僕はぼんやりと立っていた。
時刻は夜の8時30分。
車内は帰宅途中の人々で混み合い、
少し身体を動かせば隣とぶつかってしまうくらいだった。

僕は吊革ではなく、
吊革をぶら下げている銀色の金属の棒に摑まり
取りとめも無い考え事に耽る。
吊革は僕の身長ではいささか低すぎて
却って安定感を失うのだ。

突然電車が揺れ、車内が大きく動く。
ほとんどの人は咄嗟にあちこちに摑まったようだが
その対象を瞬時に見出せずによろけてしまった誰かが
ぶつかったことを詫びる声が聞こえる。

僕のちょうど目の前にぶら下がる吊革の丸い輪にも
誰かが手を伸ばして摑まっていた。

距離にして30cmも無いその手を
僕は何の気なしに眺める。

それは女性の左手だった。

吊革を固く握り締めた、色白で小ぶりな手。
手の甲や手首を見る限り
おそらく20代の半ばくらいだろうか。

僕は尚もその手を眺める。
というよりも、位置的に否応無しに目に入るのだ。

ふと気づくと、その手の薬指には
きらりと光る指輪がある。
石がついているかどうか、僕は少し角度を変えて見る。

まだ若そうだけど結婚してるんだ。

そんな結論を出して、僕は無意味で無価値な観察を続ける。
手の爪は短く切り揃えられていて、マニキュアも塗られていない。
爪の付け根の部分にはささくれがあって
手が荒れていることが見て取れる。

爪を短くして、手が荒れる仕事。

僕の貧弱な想像力では、
それに該当する仕事は医療もしくは福祉関係、あるいは美容師。
それくらいしか思いつかなかった。

僕は吊広告を眺める振りをしながら
今度は彼女の全体像を横から眺める。

一心に携帯電話の端末に見入る彼女の髪は少しだけ茶色く、
2cm近く黒くなった髪の根元が、
切り時を少し逃しているような印象を与える。

美容師じゃなさそうだな。

僕は勝手にそう推測する。
良く考えれば、夜の8時30分に帰れる美容師は
そんなに多くは無いだろう。

靴は少しだけかかとのある黒いパンプス。
服装はカジュアルなジーンズだから
おそらくこれは通勤着で、着替えのある仕事なのではないだろうか。

このままの格好で仕事をしている可能性だって無くはないが、
美容師であれば、もう少し楽なスニーカーなどを履くだろうし
わざわざ靴は履き替えないだろう。

僕は勝手に彼女の職業を看護士に設定する。

大変なんだろうな。

僕の母親は看護士だったので
その苦労については容易に想像が出来る。
まして家庭がある人になれば
主婦業との両立はかなり困難なことだ。

そして列車が駅へと着き、どっと人が降りていく。
僕が降りる駅はまだ先で、彼女が降りる駅もまだ先のようだ。

その時、ちょうど僕の目の前の座席が空く。
僕は勝手に設定した彼女の苦労に同情して
小さな手振りだけで彼女に座るように促す。
彼女はそれに気づき、会釈する。
それから荷物を持ち直して座ろうとした。

「!!1!」

僕から少し離れたところに立っていた中年の男性が
まるで僕を払いのけるかのように席へ腰掛ける。
唖然とする暇さえ無く、彼は腕を組んで目を閉じる。

もちろん彼を責めることは出来ない。
彼だって疲れていて座りたかったのだろう。
空席は僕の所有物ではないから
僕に処分する権利があるはずも無い。

目の前に立っている者が座ることを放棄した空席は
いわば早い者勝ちだとも言えるだろう。

「・・・」
「・・・」

ただ、僕と彼女の間には
何とも言えない空気が流れた。

彼女は再び携帯電話の端末をいじり出し、
僕も同じように携帯を取り出して眺めた。
一言の会話も無かった。

だったらまだ自分で座ったほうが良かったよ。

僕の心の中には、行き場を失った小さな善意と
苦々しい思いだけが残った。

やがて列車は僕が降りるべき駅へ着き、
僕はわき目も振らずに列車を降りて階段を上る。
改札を出ようとしたその時に
僕の真横から声がした。

「ありがとうございました」

その声の主は先ほどの彼女だった。
彼女は僕ににっこりと笑いかけてから
僕が向かうべき方角とは反対へ向かい立ち去る。

そして僕も家へと向かって歩き出した。
久しぶりに暖かな気持ちになった。

さよなら、心優しき看護士さん。

お礼を言わなければならないのは
どう考えても、僕の方です。

どうもありがとう。

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丼・2

部活動を引退した僕は
今度は雀荘に入り浸るようになっていた。
受験生だったのだが、推薦入学を選択する、しないで
両親と衝突してやる気を全く失っていたというのもあったが
一番の理由は、麻雀というゲームの面白さに
取りつかれていたのだと思う。

まぁ挙句の果てに僕は家出までするわけだが(笑)。

来る日も来る日も、それこそ乏しい種銭(資本金)が尽きるまで
僕は毎日のように麻雀を打ち続けていた。
学校に行って、朝のHRを受けるとそのまま教室を出て
駅の反対側の雀荘に向かい、夜まで打ち続けていた。

僕の学校は制服というものが無かったので
入ろうと思えば18禁の場所でも入れたのだ。

時々熱くなって翌朝まで打ち続け
一睡もしないまま再び学校に行き
今度は授業中にひたすら寝たりもしていた。

寝食を忘れて打ち込んだと言えば聞こえは良いが(良くないか)
実際は勉強するべき時間に寝ていただけだ。

でも、食事はほとんど摂らなかった。
雀荘で食事を摂れば金がかかる。
カップラーメンは割高だし、出前もマージンが乗っている。
そんな金があれば種銭に回したかったのだ。

時々ではあったが、あまりにも腹が減ると
仕方なく出前を頼むことがあった。
麻雀が調子よくて懐中に余裕があったりする時が
ほとんどだったけれど。

頼むものはもちろん丼物だった。
その雀荘で取れる出前の中に、なかなか美味い店があって
僕は取るならそこといつも決めていた。

そこで僕は「○○重」というものの存在を知った。
これはもう、大袈裟ではなく、僕の世界観を変えた。

あれほど美味い丼物を
さらに美味に、さらに豪華にした料理がある・・

衝撃だった。
もちろん、値段も衝撃だった。

僕がごくたまに取っていた出前のカツ丼の値段は1250円。
上カツ丼なら1400円。
それがカツ重になると1450円、
上カツ重だと1600円になるのだ。

1600円だった鰻丼は
1800円出しても「並」の鰻重しか食べられないのだ。
上鰻重を取るなら、2200円を出さなければいけない。

そんなもの、そう簡単に取れるわけがない。

ごく稀に大勝ちして、
思い切って頼んだ鰻重の何と美味かったことか。

でも、当時、ハコで2500円の麻雀を打っていた僕にとって
(勝っても負けても1回に動くのがそれぐらいの額ということだ)
1250円でさえ、決して小さな出費ではなかった。

そして、ある週末、僕はほぼ丸二日麻雀を打ち続けていた。
眠気も食欲もまるで無かったけれど
ある時、隣の卓で出前を取っている客がいて
その匂いを嗅いだ時、突如として空腹が襲ってきた。

その感覚で僕は、自分が
昨日からほとんど何も口にしていないことを思い出し
それを思い出すことで、一層空腹を募らせることになった。

種銭はだいぶ乏しくなってきていたので
ここで1250円の支出をしてしまえば
下手をすれば次に卓を割らなければ(卓を抜けなければ)
ならなくなる恐れもあったが
一度意識した空腹を我慢しながら打ち続けるのは難しい。

腹が減っては戦は出来ぬ、トップを獲れば問題ない・・

博打打ち特有の根拠の無い楽観的見通しを立てて結論を出した僕は
ついに従業員を呼んで言った。

「すいません、カツ丼取ってもらえますか?」
「並でいいの?」

あったりまえじゃん!

心の中でそう叫びながらも
僕は目の前の麻雀に集中する。

やがてカツ丼が届き、僕はそれを片手に持って
打牌の合間に突付きながら局を進めるつもりでいた。
今までもそうしていたし、周りもそうしていたから。

右利きの僕の場合、麻雀の牌は右手でツモり右手で切る。
両手を使うことは局の最初と最後だけだ。
一方、カツ丼を食べる時は、左手に器、右手に箸だ。
だから、自分の打牌の時だけは箸と器を左手に一緒に持って
打牌が終わるとまた箸だけ持ち替えて食べようとした。

さて、食うか。

僕が自分の順番を終えて、
ホカホカと湯気を昇らせているカツ丼をいざ食べようとすると
突然上家がポンポンと仕掛け
いきなり僕の順番が回ってきた。

何だよ、もう俺の番かよ。

少し焦って僕は右手の箸を持ち替えようとした。

その瞬間。

僕の左手の指はほんの少しだけ滑り、
僕の左手の器はぎっしりと詰まった中身の重さも加わって
あっという間にバランスを崩して
次の瞬間には床の上に転がっていた。

「!!!」
「・・・」
「www」

同卓者の視線を一身に浴びた僕は
呆然として、先ほどまでは食用に適していた物体を眺めた。
従業員が飛んできて、あたりを片付けてくれ
こっちはいいから局を進めろと言う。

「すいません」

と言いながらも、動揺を隠せなかった僕は
その半荘を全く集中できないまま3着で終えた。
振聴に気づかずに誤ロンまでかける始末だった。

そしていよいよ瀬戸際に追い詰められた僕は
無理攻めを繰り返した挙句ダブロンで飛んで、
箱下1万点ほどの大きなラスを食った。

「すいません、ここ終わります」

ほぼ種銭が尽きた僕はとぼとぼと雀荘を後にした。
財布には数百円しか残っていなかったが
あまりにも腹が減ったので、途中のコンビニで
菓子パンを買って食べた。

それはそれで美味かったのだけれど(笑)。

以来20年の間、僕は麻雀をする時には
どんなに腹が減ろうとも
決してモノを食べながらは打たなくなった。

皮肉なもので、財布の中身を気にしないで
あるいは家庭の方針を気にしないで
食事を決められるようになる・・いや上鰻重は今でも躊躇うが(笑)
のと反比例するかのように
不眠不休で麻雀を打ち続けるだけの情熱はなくなってきた。

まして「食べながら」博打を打つために
鉄火巻やサンドウィッチを編み出すなんて情熱は
あろうはずも無い。

そんな発明を出来るほどのめりこむ・・
それはそれできっと凄いことなのだと
僕は丼物を食べるたびに思う・・はずもない。
そこまで考えながら飯なんか食えない(笑)。

という「落ちない落ち」で今回はおしまい。


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ふと、子供の頃を思い出した。

僕の家庭は割と食事にうるさかった。
というか、ちょっとしたこだわりがあった。

丼物やお茶漬け、ブッカケご飯といった食事は
品のよくない食べ物という理由で
子供の頃は一度も出てきたことがなかった。

カレーライスとチラシ寿司だけは例外的に
ちょくちょく食卓に並んだけれど
○○丼というものは見たことがなかった。

オムライスやかやくご飯とかは普通に出てきた。
でも、丼物は不可だったのだ。

カレーライスとカレー丼の「品性的な違い」は何なのか
子供の頃の僕は尋ねることすら思いつかなかったので
結果的に僕にとっては、○○丼というものは
テレビ画面の中の幻の食品だった。

高校生になって、食事を自宅以外で摂る機会が出来た時、
僕は友人と吉野家に初めて入った。
友人の家で麻雀をした後のことだった。

当時、吉野家は会社更生法の適用を申請した後の
再建時期だったと思う。
大きな通り沿いにあって煌々と光る吉野家の看板を見て
友人が「西武系列になって変わったなぁ」と呟いた。

僕は吉野家が西武系列だったことはもちろん
以前の吉野家がどういう店を出していたかさえ知らなかったから
そんなことを知っている友人に、軽い尊敬の念を抱いた。

そして友人の真似をして選んだ牛丼と卵。
それを口にした瞬間、大袈裟ではなく僕の世界観は変わった。

「う、うまい!」

ご飯に滲み込んだ肉と肉汁の旨味、それを包む卵のまろやかさ。
こんな美味いものがあったのかと心底思った。

それ以来、僕は丼物を追い求めるようになった。
自宅では相変わらず丼物は出てこなかったし
そもそもが部活動をしている高校生の頃だから、
それほど頻繁に外食をすることは無かったけれど
友人達と外食する時は、ほぼ欠かさず丼物を選んだ。

カツ丼、親子丼、天丼・・
どの丼物も美味かった。

今にして思えば、部活で散々動き回って
腹をぺこぺこに減らせている頃だったのだから
何を食っても美味かったに違いなかったのだけれど
オトナはこんな美味いものを食べているのかと思った。

月にせいぜい1度か2度しか
外食する機会は無かったのだけれど
オトナになったら毎日丼物を食ってやろうと思っていた。

こんなしょうも無い話なのに、続く(笑)。

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好物

僕は鰻という食べ物が好きだ。
ちょっとした店でちゃんとした鰻を食べれば
間違いなく一食2000円以上はするから
そう頻繁には食べられないけど、
誰かと待ち合わせてちょっとした昼食を一緒にするなら
鰻屋に行くことが多い。

と言っても女性とランチとかでは鰻屋にはなかなか行けない。
別に気にすることも無いのかもしれないけど

「お昼ごはん食べましょうよ」

となった時に

「じゃ、鰻食べましょう」

とかは何となく言い出しにくい。
この微妙なオトコゴコロがわかっていただけるか
書きながら非常に不安になるのだけれど、
ともかく結論としてオファーは
イタリアンとか和食・寿司といった
無難な線を選びがちになる。

女性とランチって
もともとアンタそういう機会あるの?

というのは言ってもらっては困る。

あるに決まってるじゃないか、
たまにはあるよ、
いや、無きにしも非ず・・・
どんどんトーンが下がっていくけれど(笑)。

男性と昼飯を食う時は
選択肢の中には常に入っている。
とあるマイミクさんが上京された時に
昼食をご一緒したりするけれど
今のところ常に鰻を食べている。

鰻のいいところは
注文してからある程度時間がかかるところだ。
あたりに漂う香ばしい鰻の香りに包まれながら
その間に、大事な話や近況報告をできてしまう。
蕎麦屋ではこうはいかない。

ところが、昨今、鰻をめぐる状況が
急激に悪化している。

そう、中国産鰻の毒性物質問題だ。

かの国の輸出食品の品質には
これっぽっちも信用が置けない。
安かろう悪かろうの典型みたいなものばかりなのだ。

では、国産の鰻を食べればいいではないか。

そうおっしゃる方もいらっしゃると思う。
でも、である。
改正されたJAS法によると

・外国産のウナギでも、加工を国内で行なえば「国産」表示OK
・外国で白焼きまで行ない、
 国内で最後にタレをつけて加熱しただけでも「国産」表示OK

となっているのだ。

そして、店頭で「国産もの」として販売されていても、
「四万十川産」「浜名湖産」とか地名で書いてあっても
中国である程度養殖したら日本に輸出し、
中国で養殖した期間より長く日本で池に入れておけば
「国産」になってしまうのだ。

いったい何のための改正なのか。
純粋な国産鰻というのは(たとえ養殖でも)
どこに行けばわかるのか。

あるテレビ番組では業者が

「本当の国産なら値段が違う」

などと言っていた。
違いは値段が高いだけなら、
中国産の鰻の値段を上げれば
余計利益が出るだけではないか。
馬鹿らしくて言葉も出ない。

輸出増進とかいろいろな理由はあるかもしれない。
でも、こういう法律を改悪、放置していて
美しい国って言われてもね。

と、鰻が値上がりした腹いせに書いてみた。
食い物の恨みは、やっぱり根が深いのだ(笑)。

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サービスの質

今日訪れた雀荘。
僕が入ってフリーが1入りで2卓立ち、
セットが2卓立っている。

従業員が2名しかいなくて、
2卓だけど立ち番が不在になっていた。

フリー卓がラストになった時は
それぞれに入っている従業員が業務を行う。

それはまぁ普通だろう。

不思議だったのはセット卓への対応だ。
飲み物などのオーダーが入ると、
対応するのは必ず僕が入っている卓の従業員なのだ。

その状況は半荘2回くらい続いたのだけれど、
その間3~4回入ったオーダーに対応したのは
全て同じ従業員だった。

単純な疑問として思うのだけれど
最近の雀荘ってそういうものなのだろうか?

もしそうなら、
それは間違っているんじゃないかと思う。

時間は平等だし、料金も同じだ。
どちらかが2~3入りで、どちらかは1入りとかなら
2~3入りの卓側が中断して対応するのは
半ばセオリーだと思う。

1入りが2卓なのに
片方の卓だけ何回も中断するのは
明らかにサービス提供に公平さを欠いている気がする。
雀荘のサービスに
公平さを期待するのが間違っているのかもしれないが。

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機会損失

暑い。蒸し暑い。
少し動くと、汗が噴き出して
体がべったりとまとわりつく。

この季節のこの不快感は
本当に嫌なものだ。
満員電車の中などでは
体が触れるだけでも嫌な気分になる。

だから、エアコンが効いていない部屋になど
入る気にもならなかったりする。

一方空き時間に訪れるあちこちの雀荘。
ドアを開けた瞬間に
ひんやりとした空気が体に当たる。

女性が多い商売だと
冷え性に配慮してか、弱冷房などもかなりあるけれど
雀荘は良くも悪くも男視点だから
空調は基本的に強めに効かせていることが多い。

ところが、雀荘においては
一度座ってしまうと体を動かすことは無いから
席によってはかなり寒い思いをすることになる。

雀荘で働いている方、
麻雀を打っている方、
ちょっと思い起こして欲しい。

あなたがいる店では
エアコンの風の直撃を受ける席は無いだろうか?

天井が高い店などでは
そういった心配もあまり無いかもしれない。

でも、エアコンから出る風が
体に直接当たる席に座ったりすると
男でも辛い思いをするのだ。

雀荘の従業員の制服は
長袖が一般的であるばかりか
ベストやエプロンまで着ていたりするし、
直接風が当たらない席であれば
客も気にならないから、
その席に座った客だけ辛くなるのだ。

変になじみになると気を使ってしまい
言い出せなくなったりもする。

でも、それは店側の怠慢なんじゃないかと
僕は思わないでもない。

場所によってエアコンの風向きの影響で
寒くなることがあるのであれば
その影響を極力無くすべく
手段を講じるのがあるべき姿だと思うのだ。

客本位の視点で見れば
特定の席が寒くなったりするのは
すぐに分かるはずだ。

だったら何とか工夫しろと僕は言いたい。
何年も商売しているなら
毎年のことだから尚更である。
寒い思いをしながらの麻雀なんて楽しくない。

手段はいろいろあると思うのだ。
風向き調節用のグッズだって
ネットで検索かければ数千円で買える。
毛布やひざ掛けを揃えたっていい。

要はそういう発想が無いだけなのだ。
たぶん調べたことも無いだろう。
このネット全盛の時代、
ググればいくらでも見つかると思うけど。

昔、カジノ業界で働いていた頃は
エアコンの風向きではずいぶん苦労した。
その席にVIPが座るかもしれないのだ。

ダンボールで送風口に蓋をしたりもした。
テーブルの配置で避けられないかと
営業を終えてから重いテーブルを動かしたりもした。
業者に問い合わせたらグッズがあったのだけれど、
それでも念の為に毛布やひざ掛けを用意したりもした。
ともかく、その席に座る客のことを考えてはいた。

「エアコン、寒いよ」

客にそう言われた時に

「すいません」

と言うだけでは接客になんてならない。
そういう言葉だけでは(心はともかく)体は温まらない。
かといって仮に弱めれば、他の客に

「暑いよ」

と言われるだけだ。
そのままではどちらかの満足度が下がるだけなのだ。

もちろんコストはかかるだろう。
カジノと同じ客単価ではないわけだし。
たった一、二箇所の座席に座る客のために
わざわざそんなことはしないんだ、というのも
ある意味では正しいのかもしれない。

僕はそういう雀荘を非難しようとか
何かを押し付けようとか思っているわけではない。
もちろん僕などの為に
そんなことをする必要はまるで無い。

でも、顧客の満足度を考えたら
決して高い買い物ではないと思う。
調べれば分かると思うが、
エアコンの風向き調節用のウィングなどたった数千円の話だ。

実際、そういうことをしている雀荘に
あまりお目にかかったことが無いのだが
一つの雀荘に何人従業員がいるか知らないが
誰もそういう発想にならないのだろうか。

「エアコンの送風口、何とかならないかな?」

ミーティングの席上、こういう疑問が出れば

「じゃ今度業者がフィルター交換に来たら訊いてみよう」

とかならないのだろうか。
業者だったらいろんな対策を知っている可能性も大きい。
何たってあちこちのエアコンのフィルターを
日々交換して回っているわけだから。

そういう発想はあるけど、検討の結果
経営判断として導入しないと言うのであれば
それはそれで致し方ない。

それとも、それを上回る何か、を
客に与えられる自信があるのなら
それはそれですごいことかもしれない。

そういうコストをケチる店から
毎月何百半荘と打つもっと単価の高い客が
僕と同じことを考えて足が遠のいても、
全く不思議は無いのだけれど。

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常連化

人は生活の中で、様々な店に入る。
食事をしたり、買い物をしたり。
戦時中の配給制ならいざ知らず、
資本主義社会で消費活動をする以上、
店舗に入らないという人はまずいないだろう。

そんな中で、何かのきっかけで足繁く通うようになることがある。
メニューが、サイズの種類が豊富、
味が、接客が、デザインがいい、
家から、会社から近い・・・理由はもちろん色々ある。

雀荘も何らかの理由で通う店が固定される。
上に挙げた理由以外に、レートが手ごろ、
知人が、有名人が働いて(経営して)いる、
相性がいい、リベンジしたい・・・
まぁそんなところだろうか。

もちろん店側にはそれはわからない。
毎日来る客ならともかく
その客がその店にしか来ないのか
他にも行っているのかなど、
本人が口にしない限り分からないだろう。

けれど、常連なのか、非常連なのかは
店側が決めていることなのだと僕は思っている。
だって

「いつもの」

などと言って、それが本当にそのまま出てくるならいいけれど
そうでなければすごく恥ずかしいと思う。

雀荘で言えば、コーヒーのミルクや砂糖の量、
あるいは煙草の銘柄などを
いちいち指定しなくても良くなったら
常連扱いされていると言ってもいいかもしれない。
けれど、新規カードに店側がそれくらい書いていることもあるから
これだけで常連という風に考えることは出来ないかもしれない。

だからそれ以外に、僕には常連と看做されているかどうかを
判断する基準があったりする。

麻雀の卓には、サイドテーブルがある。
通常は一人に一つずつ、左側に置かれている。

このサイドテーブルに、煙草や携帯、
あるいはチップを入れるかごを置いておくのだが、
もちろん飲み物もその上に置かれる。

この飲み物を置く時に、
コースターなどを使っている店はあまり多くない。
そのままグラスやカップをテーブルの上に置くのだ。

するとどうなるか。

冷たい飲み物であれば、
グラスに水滴が付き、それがテーブルに小さな水溜りを作る。
温かい飲み物でも、
コーヒーなどを混ぜた時に少しこぼれて
テーブルに茶色い輪が出来る。

実は僕はこれが大嫌いなのだ。

煙草はもう止めたけれど
煙草の灰が散乱していたり
この手の飲み物の水滴の跡が付いていると
お絞りなどで拭き取りたくなるのだ。

特に綺麗好きということはないのだが
こういうのをちゃんとしないのが好きではないのだ。
特に、帰る時にそれを放置するのが嫌いなのだ。

もちろん点棒も出来る限り揃える。
清算時に全員の点棒が全て卓上に出るわけではないから
揃えようがない場合も多いけれど
可能な限り入れるようにしている。

次に座る人に、嫌な思いをさせたくない、
自分なりのルールだ。

もちろん席を立たずにモタモタするのもみっともないから
サイドテーブルは極力綺麗に使っておきたい。
そんな理由で、僕はコースターのない店では
お絞りをコースターの代わりにしている。
これなら万一こぼしても、すぐに拭けるし。

こういう客はあまり多くない。
だからおそらく目立つのだろうか、常連になった店では
飲み物を頼むと、サイドテーブルに置いてある
お絞りの上にカップを置いてくれるようになる。

これをどの従業員に頼んでも
そうしてくれるようになったら
自分はその店の常連だと思うようにしているのだ。

要はこういった独特の習性を把握してもらえれば
常連になったといってもいいかもしれないということだ。

当然のことながら、そんな店はそうそうない。
飲み物を頼まないでいると、知らないうちに
お絞りを片付けられてしまうこともある。
そんな時は、またお絞りを頼んで
一からやり直しということになる。

常連への道は、なかなかに険しいのだ。
強さなどで印象付けられないのが
そもそものネックなのだろうけれど。

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